医学書院の70年
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創業社屋のエントランス─同建物は庶民にはちょっと入りにくかった高級フランス料理店「鉢の木」の跡であり,しゃれた両開きのドアにその面影を残す。当初は洋酒やチーズの香りが漂い,象牙の柄付きの銀製ナイフやシャンデリアが光を放っていたという。西洋文化に傾倒し,世界の医書出版社を目指す経営者が好んだ建物であった。ドアの上部にはめ込まれたステンドグラスは,現在の社屋でも実物を見ることができる。社の70周年ではこのデザインをモチーフにしている。Front entrance of the original com-pany building.前者が現在の金原出版,後者が後の医学書院である。 一郎が興した雑誌社は,金原商店の雑誌部にほかの医学雑誌会社数社(当時の歯苑社など)が合併したもので,社長には当時衆議院議員で日本医師会の理事でもあった今牧嘉雄を迎え,実際の社務は常務取締役となった金原一郎と今田見信(元歯苑社社長)によって行われた。国策に従った起業であり,用紙の割り当ては受けることができたが,紙型を持つ日本医書出版株式会社に比べれば財産は乏しかった。不動産の取得にまで資金を回す余裕もなく,そのころ休業状態であったレストラン「鉢の木」の建物を賃借りして創業した。 空襲は終戦間際まで止むことがなかった。古い木造社屋で,一郎は自ら階段裏の小間に防空服装のまま宿直し,社内の掃除から練炭ストーブの火起こし,始末まで一人で引き受けた。そのうち社員が交代で宿直するようになり,社の内外を巡視して夜間の防空,防火に備え,宿直日誌に報告した。1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲では東京帝国大学を除き三方戦火に囲まれ,1944.08.1870 years of igaku-shoin004

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