医学書院の70年
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1985.07.26椿 孝雄,代表取締役社長に就任1921年3月21日東京府渋谷に生まれた椿孝雄は,1944年に京都大学経済学部を卒業後,学徒出陣で赴いた戦地で終戦を迎え,そのままフィリピンのモンテンルパ収容所に抑留された。数年後,学徒出陣中に抑留された学生たちに対する助命嘆願運動が実を結び,帰国が叶う。その後,縁あって1953年10月1日に医学書院に入社した。 販売部長を経て1963年6月に常務取締役,1978年9月には副社長となり,1985年7月26日,長谷川泉の後を受けて代表取締役社長に就任する。入社以来,一貫して販売業務・洋書業務を担当。とりわけ常務時代には特約店制度を整備し,今日の社の販売網を作り上げた。また,収容所で通訳として活躍したというほどの語学力を生かして海外出版社との交渉にも当たり,洋書の展示販売,リプリント版*の生産,アジア各国への輸出といったビジネスを立ち上げた。 1970年代前半の医科大学新設の時期には,必要な洋書・洋雑誌を揃え,大学図書館に納入するビジネスを主導。一時期,社を支えるほどの利益を上げ,いわゆる洋書輸入事業の黄金時代を築いた。また,海外出版社との付き合いを通して,医学書院サウンダースをはじめとする合弁会社を設立,運営を積極的に推進し,社の国際化にも貢献した。 一方,業界内では,日本書籍出版協会や自然科学書協会において医書出版社の代表的存在として活躍し,再販問題や著作権問題の検討に尽力した。 社長を退任後は1991年8月までの4年間会長職を,その後は相談役に就き,1994年8月に引退。2008年5月29日逝去した。新潟水俣病を発見し,スモン病の疫学調査を行った椿忠雄新潟大学・脳研究所元教授(神経内科)は実兄。社長就任後の椿孝雄(1986年8月26日/日本出版クラブ会館)Takao Tsubaki, one month after taking office as president of Igaku-Shoin Ltd. (at the Japan Publishers Club, August 26, 1986) Takao Tsubaki’s Appointmentas the President of Igaku-Shoin Ltd.*リプリント版はアジア版とも呼ばれ,海外版元との契約の下に作製した廉価版を指す。洋書の普及に伴い,その値段が高価であることから,版元の許諾なしに無断で複製・頒布される海賊版が出回るようになった。版元が日本を含むアジアにおける海賊版対策の一環として社に提携を求めてきたのがリプリント版事業であった。70 years of igaku-shoin124

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