2023年版_系統看護学講座_全70巻
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● 賃金● 尊重● 昇進・安定● 要求度● 義務▶▶▶▶▶表5-1 健康・病気と保健医療の世界において進行中のおもなパラダイムシフト▶図7-6 NIOSHの健康職場モデル▶図7-5 努力─報酬不均衡モデル 1)この言葉はドイツの社会学者ウェーバーWeber, M.(1864~1920)によって最初に提示され,20世紀中葉のアメリカにおいて「行為理論theory of action」として継承,発展された。74第2部/第5章 健康・病気・ストレスの新しい見方ととらえ方 1)内閣府「平成28年版男女共同参画白書」動物の行動を与えられた刺激に対する反応としてとらえるという立場に基づいて理解しようとした。しかし,人間を対象とする社会科学は,シンボルを用いた意図的行為にこそ人間の決定的特性があるとし,これに批判的な姿勢をとってきた。前述のように,人間の行動は動物の行動とは質の異なる要素を持っている。しかし,それ以上に重要なことは,行為とよばれる人間行動の過半は,他者という存在を志向してなされる社会的行為1)だという点である。社会科学の前提である「社会」という存在の基本的要素は,この社会的行為であるということができる。ロビンソン=クルーソーの物語を思い出してみよう。無人島に1人漂着した彼に,他者は存在しなかった。その限りにおいて,そこで彼がどのような行動をとろうと,それは社会的な行動とはいえない。たとえば,木を切るという行為はそれ自体では社会的行為ではない。しかし,彼がその木を誰かに売ることを目ざして切ったとすれば,それは社会的行為である(通常それは経済的行為とよばれる)。社会的世界には,政治的行為・経済的行為・医療的行為・教育的行為など,無数の行為が存在するが,それらは他者への志向性を持つ限りにおいてすべて社会的行為である。医療活動と ▶社会的行為医療活動は,診察・治療・看護・検査・リハビリテーションなどの数多くの社会的行為からなりたっている。それぞれの行為が「社会的」とよばれるのは,それが患者あるいは医療従事者という他者の存在のもとでなされるというだけでなく,そこで用いられる知識・技術・道具が社会的に創出・伝達され,一定の制度的枠組みの中でなされているからでもある。社会は,社会的行為を基本的な要素としている。そして社会学の中心的な関心事は,個人の社会的行為の動機・意味・目的それ自体にあるのではなく,複数の個人がどのように相互にかかわり,それが社会的なものをどのように生み本章で学ぶこと現代における,健康・病気の新しい社会学的な見方・とらえ方と,その意義について学ぶ。疲労・ストレスへの社会学的な接近とその意義について,また,疲労・ストレスが成長促進につながるか病気発現につながるかを左右する要因について学ぶ。健康・病気の見方・とらえ方は,社会や文化が違えば異なり,また属する集団や社会が同じでも人によって異なる。さらに時代とともに大きく変化し,新しい見方・とらえ方が旧来のものにプラスされたり取ってかわったりする。本章では,20世紀の後半から21世紀の今日までに進行した健康・病気の見方ととらえ方におけるおもな変化,とくにその社会学的な新しい見方・とらえ方について概説することとしたい。健康・病気に対して,わたしたちはさまざまな反応や対応をする。しかしその背後には「そもそも病気とはなにか。健康とはなにか」といった,社会とその成員の見方・とらえ方がある。そして,わたしたちの反応や対応の仕方に影響を与えたり,反応や対応の仕方を規定したりしている。たとえば,かつてわが国では,病気を前世のわるい行いの結果や報いである▶近代以降に成立・普及した 「業ごうびょう病」と考えるような風潮があった。しかし,近代,すなわちわが国でいえば生物医学モデルと疾病モデル明治維新から太平洋戦争の終結あたりまでを指す時代において,病気の原因やなりたちに関する確かな(科学的な)知識やそれに基づく治療技術・予防法がしだいに明らかにされるようになった。こうした新しい知識が,近代以前の時代において支配的であった,非科学的な見方やとらえ方に取ってかわっていった。その後,現代とよばれる今日までの,世界の医学・医療の急激な進歩は,おもに病気に関する生物医学的・科学的な知識の膨大な蓄積に支えられてきた。それらの知識は,保健医療システムの確立と医療産業やマスメディアの発展などにより,一般の人々へも普及・浸透していった。現代において最も一般的な,健康・病気の見方・とらえ方は「病気とは,疾患や異常や症状の有無および程度に基づいて,医師によって診断されなんらかの治療が必要とされた心身の状態のこと。医師が異常や疾患はないというのであれば,まあ健康と考えてもいいだろう」というものである。こうした健康・「ワーク」とは仕事と勤務時間における生活であり,残業など仕事の延長線上の生活も含む。一方,「ライフ」には,家事・育児・介護などの家庭生活,地域生活,レジャー・休養・趣味などの余暇生活などが含まれる。時代とともに家族の形態やライフスタイルが変化するなか,仕事と,家事・育児・介護などの生活との両立は働く人々にとって大きな悩みの1つとなっている。このような「ワーク」と「ライフ」との「バランス」をとり,仕事と生活との調和を考え直そうとする動きから,近年ワーク─ライフ─バランスという言葉が広まってきた。わが国では,2007(平成19)年に「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」・「仕事と生活の調和推進のための行動指針」が策定され,仕事と生活の調和の実現に向けた取り組みが始まった。ワーク─ライフ─インバランス現代のわが国においては,多くの労働者がこのワークとライフのバランスがくずれた「ワーク─ライフ─インバランス」の状態におかれていることが懸念されている。内閣府「男女共同参画社会に関する世論調査」(2012〔平成24〕年)によれば,「仕事」「家庭生活」「地域・個人の生活」の優先度については,複数の活動をバランスよく行いたいと希望している人の割合が全体としては高かった。しかし現実には,「仕事」や「家庭生活」といった単一の活動を優先している人の割合が高かった1)。とくに,男性の20~40歳代では,現実には「仕事」を優先している人の割合が5割程度と高くなっており,希望と現実が大きく乖かい離りしていることが示されている。長時間労働▶この背景にあるのが,30~40歳代の男性を中心とした長時間労働の常態化本章で学ぶこと人間行動の特性とはどのようなものかを学ぶ。社会を構成する,社会関係,集団・組織,地位・役割に関する理解を深める。全体社会,社会制度に関する基本的理解を得る。社会変動,グローバリゼーションの意味を学ぶ。社会学とはどのような学問領域なのだろうか。本章では,この問いに対して,社会学に固有の基礎概念を示すことで答えよう。「社会」という言葉は日常的な会話のなかでそう多く使用されるものではない。しかし,複数の人間が一定の関係を持つところに「社会」は姿をあらわしている。それは二者関係から始まり,政党や企業などの集団や組織,さらには教育・医療・経済・政治などの制度を介して,最終的には国家,さらにはグローバルな世界システムまでを含んでいる。社会学は社会的世界をどのような視点から,どのようにとらえてきたのか。社会学の基礎概念を通して学んで行こう。人間の行動は動物の行動とどこが異なるのだろうか。社会学はこの問いに対して,人間に固有な行動を行為actととらえ,動物一般の行動behaviorと区別してきた。外見的に観察される行動は同一であろうとも,人間の行為には言語に代表されるシンボルを用いた意味・動機・意図・目的が含まれている。たとえば,摂食という行動はすべての動物に共通であり,生命維持にとって不可欠なものである。しかし人間にあっては,いつ・どこで・誰が・どのように行うかという詳細な規則が文化によって定められており,そこに複雑な意味が与えられている。動物行動学は人間が動物と共有する行動の側面に関して多くの示唆を与えてくれるし,人間がつねに意識的・自覚的に行動しているわけではない。たとえばかつてフランスの社会心理学者ル・ボンLe Bon, G.(1841~1931)は,「群衆」と「公衆」を区別し,前者を非合理的な感情にかられて行動するもの,後者を理性的討議に基づいて行動するものとしてとらえたが,この「群衆」の原型は群れをなす動物行動をモデルにしていたといえる1)。心理学の行動主義behavirorismは,人間を「刺激─反応」理論2),すなわち,ドイツの社会学者セグレストJ. Siegristが提唱したのが,努力─報酬不均衡Effort-Reward Imbalance(ERI)モデルである(▶図7-5)1)。このモデルでは,仕事に費やす努力effortに対し,それによって得られる金銭的報酬や正当な評価,昇進などの報酬rewardのバランスがくずれた就業環境でストレス状態が高まるとした。「がんばっているのに報われない」状態が続くと,ストレス状態が高まり,健康障害が発生すると考える。このようなアンバランスは,仕事に過度に傾注する傾向の強い人に生じやすいといわれている。アメリカの国立職業安全保健研究所(NIOSH)は,「健康職場Healthy Work Organization」という新たな概念を用いたモデルを提唱した(▶図7-6)2)。これまで対立すると考えられがちであった働く人の健康や仕事への満足感と職場の業績や生産性とは,両立させることが可能であり,むしろ互いに強化することが可能であるというものである。前述の2つのモデルを含めた従来の職業性ストレスの研究においては,個人レベルでの仕事の特徴やそれに伴うストレスをとらえることが多かった。これに対して健康職場モデルでは,その背後にあるよりマクロな組織特性に注目し,組織の健康には,管理方式や組織風土,経営方針といった組織特性が重要な要因となるとしている。そして,これらの組織特性を含めて組織の健康を考えたストレス対策を実施することによって,働く人の健康の向上とともに,職場の生産性や業績が高まり,職場が活性化されると考えられている。へ(患者の自律性の尊重,自己決定・共同決定,参加・パートナーシップの重視) 1)パラダイムとは,ある時代において支配的な,ものごとの基本的な見方・考え方や理論的枠組みのことである。パラダイムシフトは,現実の変化,新しい事実の発見などがあったときに,旧来のパラダイムでは見えてこない,あるいは説明がつかないため,新しいパラダイムが必要となることにより生じる。10第1部/第1章 社会学の基礎概念 1)ル・ボン,G.著,櫻井成夫訳:群衆心理(講談社学術文庫),講談社,1993. 2)S─R理論ともよばれる。パブロフの条件反射論を起源としている。116第2部/第7章 ﹁働き方﹂﹁働かせ方﹂と健康・病気報 酬努 力 1)Siegrist, J. : Adverse health effects of high-effort/low-reward conditions. Journal of Oc-cupational Health Psychology 1 : 27─41, 1996. 2)Sauter, S. L., Lim, S. Y., Murphy, L. R. : Organizational Health: A New Paradigm for Oc-cupational Stress Research at NIOSH.産業精神保健4(4) : 248─254, 1996.B.相互行為,社会関係,地位─役割11健康・病気の見方におけるパラダイムシフトD.仕事と生活の調和117組織の特徴組織の健康管理方式業績の成果組織文化・風土組織価値観健康・満足度の成果A.健康・病気の見方・とらえ方のうつりかわり75病気の見方・とらえ方は,生物医学モデル,疾病モデルとよばれる。しかし,こうした健康・病気の見方・とらえ方にも,よく言えば独特の特徴,わるく言えばかたよりや一面性といった弱点・欠点があることに気づかされる。それは,病気は定義されているが健康それ自体は定義されていないとか,病気の原因やなりたちを生体内の器質や機能の異常に還元する傾向が強いといった点である。そうしたかたよりや一面性を埋めるかたちで,近年,健康・病気の新しい見方やとらえ方が次々と生まれてきた。第二次世界大戦後,とくに20世紀最後の四半世紀に入ってから,保健医療サービスのあり方や保健医療システムの組み方とともに,前述の生物医学モデル・疾病モデルに代表される近代以降の健康・病気に対する見方・とらえ方にはパラダイムシフト1)(パラダイム変化/革新)とよばれるレベルでの変化が生じ,それが大きな流れとなっている。そして,それは今日なお進行中である。健康・病気と保健医療の世界において進行中のおもなパラダイムシフトには表5-1のようなものがある。こうした新しい見方・とらえ方は,近代以来のものにとってかわるというよりは,それを補完することによって,健康・病気に対するより豊かな見方ととらえ方を整備する役割を担ったといえる。1986年,WHO(世界保健機関)によりオタワ憲章で提唱され,以来国際会議のたびごとに発展してきたヘルスプロモーションという健康戦略は,20世紀後半に進行したパラダイムシフトを深化発展させるものとなってきた。ヘルスヘルスプロモーション健康・病気の見方・とらえ方・生物医学モデルから,生物心理社会モデル・ライフ(生活)モデルへ・客観的健康(objective health)のみならず,主観的健康(subjective health)も・死亡か生存かから,QOL(生命・生活・人生の質)へ・疾病モデルから,健康モデルへ・疾病生成論(pathogenesis)とともに,健康生成論(salutogenesis)を・静的・状態概念としての健康から,動的・能力概念としての健康へ・患者(patient)から,ひと(person)へ保健医療サービスのあり方/システムの組み方・処置(treatment)から,世話(care)・癒し(healing)へ・病院・施設から,コミュニティへ・治療・医療とともに,予防・保健福祉を・プロバイダー(提供者)オリエンテッドから,コンシューマー(消費者)オリエンテッド・指導・教育から,自立支援・学習支援へ・西洋医学医療一辺倒から,多元的ケアシステムへ(代替医療,セルフヘルプグループ,家族・隣人への注目)サンプルページ  社会学103 2 努力─報酬不均衡モデル 3 健康職場モデルA行為,社会的行為 1 行為 2 社会的行為B相互行為,社会関係, 地位─役割A健康・病気の見方・とらえ方のうつりかわりD仕事と生活の調和 1 ワーク─ライフ─バランスワーク─ライフ─バランスとは健康・病気の社会学的見方を示しています。社会学の基礎的な考え方を初学者向けに解説しています。社会学の基礎概念を保健医療の切り口から解説しています。

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