系統看護学講座
141/152

サンプルページ 総合医療論2第6章 医療を見つめ直す新しい視点 A 臨床疫学──医療における合理的判断 人は意思決定をするとき,どのように行っているのであろうか。多くの場合は,個人の経験に照らし合わせたり,ほかの人に聞いたり,最近であればインターネットで検索するだろう。それでもわからないときは勘に頼るのかもしれない。医療の現場でもつねに意思決定がなされているが,そこでは経験や社会的価値観だけでなく,科学的合理性が求められている。 1 医学情報の共有と医学の発達 医学の発達と医学会 医療の場面で,経験豊かな臨床家の勘がなににもまして尊重されてきたのは,一見当然のことのように思われる。医学の知識が経験の積み重ねである以上,どういった症状があればどのような結果が予測されるかは,長年にわたって多くの患者をみてきた熟達の臨床家の知恵にまさるものはないように思える。 しかし20世紀のはじめまでは欧米においても,一部の外科的処置を除いて,今日の水準から見て明らかに有効性がみとめられるような治療法はほとんどなかった。また,経験ある臨床家の英知も,すぐに有効な治療法に結びついたわけではなかった。結果のよしあしよりも,伝統的な技法を踏襲することが医師の権威とカリスマ性を高め,最新の科学を取り入れたと称する治療法が熱狂的に迎えられたかと思うとすぐさま忘れ去られ,イカサマ師との区別もむずかしいといった状態であった。 このような因習的な医療の実態を変革するうえで大きな役割を果たしたのが,医師の定期的な会合における臨床情報の交換であった。このような集会は,科学精神の高揚と自然科学的な治療法の発達とともに活発となった。そこでは症例報告を通じて各地の医師が自分たちの経験を紹介しあい,やがて学術論文として各地の医学会雑誌に掲載され,有用な医療情報として多くの臨床医たちが利用した。そしてこのような情報の交換を通じて,適切な医療が行われたか否かを科学的な目で評価するという考え方が広まっていった。すなわち,臨床文献を通じて,直接自分が体験しなくても,ほかの多くの臨床家の貴重な体験を自分の診療に生かすことができるようになったのである。 医学雑誌と臨床情報 上述のように20世紀の医学は,定期的な専門学会の開催と専門雑誌の発行を軸に,学問として大きく進歩した。基礎医学の研究活動が活発になるとともに基礎的な実験医学の論文が多く生みだされ,医学情報の量は飛躍的に増大した。さらに1970年代以降は,医学雑誌に掲載される薬効などについての臨床研究において,統計手法などの面でも質の向上がみられるように系看_別巻_総合医療論_4版_6章.indd 22021/06/25 12:01:503A.臨床疫学──医療における合理的判断なった。 EBMの提唱 多くの医学情報が利用可能になるにつれ,臨床医が行う実地の診断・治療上の決断は,科学的に根拠のある情報に基づいてなされるべきであるとの考えが重視されるようになった。とくに不確実な状況下で決断を迫られる臨床医には,経験や社会的価値観に加えて,統計学的に吟味された情報に信頼をおく態度が求められた(●▶図6-1)。サケットSackett, Dらはカナダのマクマスター大学で問題解決型の医学教育を推進し,臨床疫学の基礎を築いてきたが,このような「科学的な根拠に基づいた医療の実践」に対してEBM(evidence based medicine)という標語を提唱した(●▶表6-1)。今日では臨床医だけではなく,すべての医療従事者にとって必須の考え方であり態度となっている。 2 臨床疫学の基礎 臨床疫学とは,医療従事者が臨床の現場で,臨床上の問題を解決するために用いる疫学 ❶的方法論のことをいう。臨床の現場で遭遇する問題は複雑で,従来は経験と勘が重要とされてきた。しかし実際のところ,経験や勘に頼る方法には,さまざまな思い込みやかたよった判断が入り込みがちで,必ずしも最も適切な臨床判断に到達できるとは限らない。 臨床医の思考過程と早道思考 経験と勘に頼るやり方の欠点をひとことでいうと,個人のかたよった経験から一般的な結論を出してしまうことによって間違いが生まれうる,というNOTE❶疫学とは,疾病などの健康事象について人集団における分布と規定要因を研究し,問題の解決に役だてようとする学問のことである。●▶図6-1  EBMにおける根拠・価値観・資源のバランス臨床上の意思決定には,根拠・価値観・資源の3つが影響するといわれ,実践ではこれらのバランスが大切である。(厚生労働省:もう一歩進んだ「情報の見極め方」,『「統合医療」に係る情報発信等推進事業』eJIME.〔https://www.ejim.ncgg.go.jp/public/hint2/c03.html〕〔参照2021-2-28〕による)根拠その治療が有効で安全とする理由価値観自分が解決したいことや望むこと資源利用できる費用・時間・労力●▶表6-1 EBMにおける5つのステップ①患者の問題の定式化:目の前の個別の患者の問題を明らかにする。②問題についての情報収集:その問題について情報収集する。③情報の批判的吟味:集められた情報が信頼できるかどうか批判的に吟味する。④情報の患者への適用: エビデンス,患者の病状と周囲の環境,患者の好みと行動,医療者の経験を考慮して実際に適用する。⑤プロセス①~④の評価:結果を評価し次に生かす。EBMを実践する際の手順は,わかりやすく5つのステップにまとめられている。系看_別巻_総合医療論_4版_6章.indd 32021/06/25 12:01:5116第6章 医療を見つめ直す新しい視点ている。 評価の内容 医療の質の評価には,医療における個別技術の評価だけではなく,医療施設の設備,人員,業務体制など,実際に提供される医療サービスに対する全体的な評価も含まれる。また,患者の立場で行う「医療の満足度」などの評価も大きな位置を占めている。 医療の質の評価方法には,基本的に3つの方法があり(●▶表6-3),不十分とはいえわが国でも実施されている。構造(ストラクチャー)は建物や医療機器,人的資源や組織などが含まれ,近年話題となっている医師や看護師の不足は構造の問題ということになる。過程(プロセス)は医療を提供するための実際の診療活動のことで,その技術水準や安全性,さらには患者さんやその家族とのやりとりも含まれる。結果(アウトカム)は文字通り診療の結果や満足度を表し,最終的な評価指標となりうる。 PDCAサイクル 医療現場では,日々の診療行為を振り返って業務の見直し(プロセスの見直し)を行っているが,そこではつねにアウトカム(結果)を意識し,その向上につながるような工夫をしていく必要がある。これを継続して行うことを改善kaizenとよぶ。P(計画;plan),D(実施・実行:do),C(点検・評価:check),A(対策・改善:act)の4段階を繰り返して改善を行うことを,頭文●▶図6-7 医療機能の分化・連携(脳卒中の例)(「厚生労働白書」平成23年版による)ケアハウス,有料老人ホーム等多様な居住の場を含む時間の流れ発症予防● 脳卒中の 発症予防発症救急要請救急搬送退院時連携救急医療● 発症後できるだ け早期の専門的 治療開始● 急性期のリハビ リテーション身体機能を回復させるリハビリテーション● 回復期のリハビリテーション実施● 再発予防治療,基礎疾患・危険因子の管理転院・退院時連携日常生活への復帰および維持のためのリハビリテーション生活の場における療養支援● 維持期のリハビリテー ション実施● 在宅等への復帰および 日常生活維持を支援● 在宅療養支援● 希望する患者に 対する看取り退院・退所・通院,在宅療養支援在宅等での生活医療機能の分化・連携(脳卒中の例)各地域において,急性期から回復期,在宅療養に至るまで,地域全体で切れ目なく必要な医療が提供されるネットワークを構築系看_別巻_総合医療論_4版_6章.indd 162021/06/25 12:01:5317C.医療の管理と評価字をとってPDCAサイクルとよぶ(●▶図6-8)。 4 医療における技術評価 医療技術の進歩は,必ずしも実際の診療面でよいことばかりをもたらしたわけではない。そのうえ,今日のように医療技術がますます高度化し,高価な診断機器類を購入するために多額の投資が必要となってくると,経済的な問題もその比重を増してくる。そこで,公平な第三者の立場から新しい技術のもたらす影響を技術的・経済的・社会的な角度から解析し,技術の有用性を総合的に評価する技術評価(テクノロジーアセスメントtechnology ●▶表6-3 医療の質の評価構造 (ストラクチャー)過程 (プロセス)結果 (アウトカム)評価の視点医療資源や医療が提供される環境を評価。医療活動が適切に行われているかを評価。提供された医療の結果を評価。評価項目例建物,立地条件(アクセス),設備,医療者数,資格など。診療,ケア,手技,コミュニケーション,EBM,ガイドライン,クリニカルパスなど。死亡率,5年生存率,インシデント,アクシデント,医療費,患者満足度など。特徴把握が容易。短期間での改善は容易ではない。把握が容易。医療活動そのものであり,現場の改善が期待できる。医療の質そのものであり,プロセスの改善と密接に関連する。●▶図6-8 PDCAサイクルDoCheckPlanAction計画を実行する実行状況や結果を点検・評価する計画をたてる改善のための対策を講じる 医療施設の機能を客観的に評価するために,同じ基準で測定した施設のデータを公表し,比較を可能にする取り組みがある。これに用いられる指標は臨床指標(クリニカル・インディケーター)とよばれ,その医療施設のパフォーマンスや質をあらわすものとされている。具体的な指標としては,院内感染発生率,褥瘡発生率,退院患者の死亡率,標準的治療の施行率などがあり,最近では指標を公表する病院が増えている。臨床指標column系看_別巻_総合医療論_4版_6章.indd 172021/06/25 12:01:54学習が深まるcolumnやNOTE、図表を多数掲載しています。139別巻

元のページ  ../index.html#141

このブックを見る