系統看護学講座
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サンプルページ 文化人類学第 2 章 質的研究とエスノグラフィー34タとして研究対象の理解に役にたつ。おもなものは写真や動画である。研究成果を発表するときには,言葉のかたちで原稿を書くだけでなく,映像データを用いると効果的に現場について伝えられる。●ボトムアップ式の分析既存の理論や,そこから導かれた仮説が,研究をしている事象にあてはまるかどうかを検証するのは「トップダウン式」の分析である。これに対して,質的研究では基本的に「ボトムアップ式」の分析の道筋をたどる。つまり,具体的な現場で得られたデータから理論を立ち上げていくのである。質的研究の場合,理論とは対象にあてはめる「鋳型」ではなく,事象を適切にとらえ,説明するための視角と考えたほうがよい。そしてこの視角を,具体的な事象の側から徐々につくり上げていくのである。 B 文化人類学とエスノグラフィー質的研究は総称であると述べたが,その中にエスノグラフィーという方法論が含まれる。このエスノグラフィーは文化人類学の分野で発展し,中心的な方法として用いられてきた。そこには次のような特徴がある。◯1 質的研究の源流としてのエスノグラフィー●1 他者の世界との出会い 「他者」とは▶ 「他者」とは,自分があたり前だと思ってきたことに異なった視点から疑問を投げかけ,揺さぶるような存在のことである。だから,他者との出会いは驚き,とまどい,ことによると不快なものとして経験される。しかしその異なった視点を受け入れることによって,世界は広がり,多様化し,複眼的なものの見方ができるようにもなる。文化人類学は,他者の世界を発見し,理解し,その視点から自己があたり前だと思っていた枠組みを相対的にみるという経験から出発した。その典型がマリノフスキーの例である。●2 マリノフスキーとクラ マリノフスキー▶ ブロニスワフ・マリノフスキー 1)Malinowski, Bronislaw K.(1884~1942)はポー1)ブロニスラフ(またはブロニスロー)・マリノフスキ(ー)など,異なった表記の仕方がある。35B.文化人類学とエスノグラフィーランドに生まれ,イギリスで人類学を学んだ人である(▶図2-1)。彼はニューギニア島の東にあるトロブリアンド諸島において,現地の人々の生活への参与観察を軸とするフィールドワーク(▶37ページ)を,足かけ2年にわたって実施した。そしてそれを通して「クラ」と現地語でよばれる事象を発見した。 クラ▶ クラとは,貝でできた首飾りと腕輪という「実用性のない品物」が,ある規則に従って島々の間で交換される制度をさす。マリノフスキーはクラを当時の学界で一般的な「原始的交易」(欠乏や必要に促されて,文化的な秩序がないかたちでなんらかの品物を交換すること)の理論では説明できず,新たな理論を必要とするようなきわめて重要な経済現象とみなして詳しく調べていった。それを通して,クラは他の社会文化的事象(社会組織,カヌー建造の技術,儀礼や呪術など)と複雑に結びついていることが明らかになっていった。マリノフスキーはこの調査の成果を『西太平洋の遠洋航海者』として1922年に出版した 1)。これが文化人類学の調査研究のスタイルに革新的な影響をもたらし,エスノグラフィーという新しいジャンルの出発点となった。では,このエスノグラフィーとはどのようなものであろうか。トロブリアンド諸島におけるマリノフスキー。1918年。写真提供:London School of Economics and Political Science. LSE Archives, LSE/MALINOWSKI/3/18/2.▶図2-1 マリノフスキー1)マリノフスキ,B.(1922)著,増田義郎訳:西太平洋の遠洋航海者.講談社,2010.第 3 章 個人・家族・家族をこえたつながり68◯1 家族のなりたち家族は,生殖によって生じる親子関係・兄弟姉妹関係や,結婚によって生じる夫婦関係を中心とする親族関係をもつ人々によって構成されている小規模の社会集団であると同時に,その形成と維持にあたってさまざまな規則を伴う制度でもある(▶77ページ,ミニレクチャー「インセスト」,78ページ,「さまざまな結婚の規則」)。養親・養子のように,生殖によって生じる親子関係をもたない者どうしが家族を構成したり,結婚というかたちをとらず,夫婦としてではなくパートナーとして家族を構成したりする場合もある。しかし,こうした場合でも,そこでつくられる関係は,親子関係・兄弟姉妹関係・夫婦関係といった親族関係がモデルとなっている。家族の構成は,文化や社会によって,あるいは同一社会の中でも時代や個々の家族の状況によって異なっているが,家族のなりたちにおいて生殖と結婚によって生じる関係(あるいはそれをモデルとする関係)が重要であるということは共通している。●1 生殖と親子人は,生まれてきたときに,誰の子かということを通して,特定の家族集団・親族集団に分類され,それによって社会の中での位置が決まってくる。一方,家族集団・親族集団は,生まれてきた子どもは誰の子かということに基づいて,その子どもは自分たちの集団の成員であるかないかを決定し,成員と認めた場合には一定の権利と義務を付与する。個人の帰属を規定することは,その個人ミニレクチャー生殖と人口生殖はそれが行われているレベルでみれば個人的な営みといえるが,個々の生殖の結果の集積である人口の問題は集団の存続に大きな影響を及ぼす。そのため,集団はさまざまな慣行や制度を通して成員の生殖を管理してきた。現代社会においては,生殖は,きわめてプライベートな領域に属するもので,国家が直接的に介入すべきではないという認識が一般的である。しかし,生殖の結果である人口問題は当該国家だけでなく,地球規模の問題にまで発展するきわめて公的な事柄である。そのため,国家や国際機関は直接あるいは間接的に生殖の問題に介入し,人口を管理しようとするという矛盾がおきている。第二次世界大戦後,人口の激増に直面した開発途上国の多くは人口抑制政策を行ってきた。一方,最近,ヨーロッパや日本・韓国をはじめとするアジアの一部地域において少子化の進行が問題となり,少子化をくいとめるための政策が検討・実施されている。しかし,こうした国家の人口政策の効果を判断するのはむずかしい。出生率の増減の要因は多様かつ複雑であり,過度に単純化はできないからである。人口抑制政策のもとで出生率低下がおこったからといって,必ずしもそれが人口抑制政策の結果だとは限らない。同様に,人口増加政策を行ったのちに出生率が増加したとしても,政策との因果関係は必ずしも明確ではない。かりにある国がとった人口政策に効果があったとしても,異なる社会・文化環境において同様の効果を上げるとは限らない。したがって,人口問題を考えるときには,当該社会において生殖がおかれている社会的・文化的脈絡をみる必要がある。「身体観」「病気観」「死生観」など、医療・看護につながるテーマを学ぶことができます。163A.健康と文化 A 健康と文化◯1 健康とはなにか●1 健康の定義人の日常生活において心身ともに健康であることはきわめて重要であるにもかかわらず,病気になってはじめて健康のありがたみがわかるといわれるように,多くの人は健康の尊さを認識しないまま日常生活を送っている。健康はふだんとかわらない状態をあらわし,発熱や外傷など具体的な身体の異変として知覚できるものではないため,つかみどころのないものである。健康と病気は人間の生命の普遍的な現象であり,人は生まれてから死ぬまでの間に,軽い病気や重い病気を経験するが,健康や病気のとらえ方・感じ方には,個人の身体の感覚だけでなく,個人を取り巻く社会や文化から影響を受けるため,社会や文化による多様性もある。 世界保健機関の健康概念▶ 世界保健機関World Health Organization(WHO)は,「すべての人々が可能な最高の健康水準に到達すること」(世界保健機関憲章第1条)を目的として設立された国連の専門機関である。世界保健機関によると,「健康とは,病気ではないとか,弱っていないということではなく,肉体的にも,精神的にも,そして社会的にも,すべてが満たされた状態である」と定義している(日本WHO協会訳)。この定義は,人間の身体の生物学的側面と社会・文化的側面の両方を含み,健康であることの最高の状態をあらわしている。●2 健康の文化的・社会的基準健康の文化的基準とその多様性▶ 人類学は,世界の人々の日常生活の全体を理解する視点から,健康にかかわる現象を日常生活の文脈の中でとらえる。それは,日常生活の土台となる文化と健康を総合的にとらえることを意味する。たとえば,精神を身体から切り離さない民族では,人のこころの状態が身体の調子と深くかかわっていると考える。このことは,日本においてもよく言われることである。同様に,人間関係のゆがみなど社会的ストレスが身体の異変となってあらわれると考える民族や,人間の身体は人間社会も地球もこえて,宇宙全体のありようを映し出すと考えている民族もいる。疫学(人間集団に出現する健康に関連する事象の発生の頻度・分布・要因などについて探求し,有効な対策に役だてる科学)の観点から,ある地域では,人々が病気と認識していないある特定の疾患が広くみられることがある。慢性再発性疾患のフランベジア(イチゴ腫)は,おもに熱帯地域に住む子どもにみられる感染症であり,初期段階では皮膚の病変をみとめる。しかし,あまりにも頻第 7 章 いのちと文化212確実にすることと安定した生存環境を維持する事との間のバランスをとることは,大きな緊張を生むものであった。そこで,人々は堕胎と「間引き(マビキ)」と称された嬰児殺しを実行し家族計画をはかっていたと考えられる。各種の近世史資料を検討したうえで,近世史を研究する太田素子は,民俗学ではマビキを実行する農民に罪悪感をいだかせなかったのは,幼い魂はいったんおもむいた彼岸からすぐに再生するという信仰があったからだと説明してきたことを批判する。そして,近世後期には農民は胎児を生命体とみなす感覚をもちイメージ豊かな胎児観を育てていたし,堕胎やマビキを罪とみなす感覚は,宗教者や支配者によって繰り返された教化政策によって生まれていたと指摘する。そのうえで「小さい家族の中での子どもの可愛がりと家の後継者への注意深い子育て,そして出生コントロールが,近世家族の中で同時に生じてきたという事実が重要だと思われる」 1)と論じている。◯2 人の死──いのち/生命が失われるとき誕生とともに人の死にかかわる文化は,人々の生命観を理解するうえでの手がかりを与えてくれる。それはまた,いのち/生命が成立(存在)しているとはどのようなことをいうのか,いのち/生命が失われるというのは,具体的になにが失われることをいうのかを,その多様性とともに示してくれる。●1 身近な誰かが死んだときの特別な行動死の判断と多様な死の確定▶ 人間は自分だけでなく周囲にいる人のいのち/生命が失われることを特別なことと考えている。そのことは,その人が生きているか死んでいるかを判断しまた確認する方法と手続きが厳密に決められていることから明らかである。現在の日本をはじめ産業社会では,医師がその人の身体の状態から死亡を判断(診断)するのが一般的である。医師が直接身体をみることができない地域や時代には,呼吸の停止,心拍の停止から始まり,体温の低下,身体の硬直,さらには身体から腐敗臭が漂いはじめるのを確認して死亡を判断した。しかし,身体のこうした変化だけが「その人が死んだ」ことの確定にはならず,何段階もの手順をふみ,一定の時間経過ののち死が確定する社会もある。その内容は社会と時代により異なる。現在の日本では医師が身体の状態から死亡した(死亡している)と診断し,それにより死亡が確認され「医学的な死」と「法的な死」が確定する。しかし,火葬(ないしは土葬)による遺体の処理は最低でも死亡診断の24時間後とされている。この時間差が,現代の日本では「身体的(医学的)死」と「法的死」1)太田素子:前掲書.pp.28-29.109基礎分野

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