医学界新聞


国際社会の動向とランセット報告,日本版BPSDケアプログラムの普及について

寄稿 中西 三春

2020.10.26



【寄稿】

COVID-19と認知症ケア

国際社会の動向とランセット報告,日本版BPSDケアプログラムの普及について

中西 三春(東京都医学総合研究所 社会健康医学研究センター 主席研究員)


 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は,高齢者や,高血圧や糖尿病といった病態を有する者で,症状の重篤性や致死性が高まる。認知症の人は特にCOVID-19による死亡リスクが高い1)。また介護施設は入居者の多くが認知症を有するため,介護施設における感染症対策が喫緊の課題となっている2)

 認知症の人は時に,ウイルスの伝搬を防ぐための対策を理解したり,理解したとしてもそれを覚えていたりすることが難しい場合がある。このことは翻って,介護従事者や家族介護者の感染リスクにつながっている。さらに介護施設は人が集合して生活するという構造上,感染が広がりやすく,認知症の人や身体合併症を有する高齢者が多いために感染の影響はより深刻である1)

介護施設におけるCOVID-19対応ガイドラインの策定状況

 米国カリフォルニア大学Global Brain Health Instituteの研究チームは,2020年3月25日から4月8日にかけて36か国の研究者および6の国際機関を通じて,COVID-19関連で出された介護施設での対応ガイドラインを収集し分析を行った3)。集められた81のガイドラインのうち,緩和ケアに言及がないなどで60が除外され,21件が分析対象となった(筆者は研究チームの要請に応じて日本の資料を提供したが,スクリーニングの結果,分析対象からは除外された)。

 対象となった21のガイドラインで,言及されていた内容はアドバンス・ケア・プランニング(n=14),終末期における家族等の訪問・面会の制限(n=12),病院やICUに入院させることが適切かの臨床的な意思決定(n=11),であった。ガイドラインで対応されておらず,今後の充足が求められている内容としては,終末期の症状やニーズの全人的アセスメントと管理(備蓄されている薬を使うことについてを含む),職員への緩和ケアの教育,緩和ケアの専門家やホスピスに送ること,アドバンス・ケア・プランニングのコミュニケーションをどう進めるか,死別後のケアを含む家族支援,そして職員への支援が挙げられた。

従前の介護政策の問題が顕在化

 カナダ王立協会では2020年6月に,COVID-19が介護施設に与えた影響と,その影響の背景にあるカナダの介護政策の課題を指摘している2)。協会の報告によれば,カナダではCOVID-19による死亡者の81%が介護施設で発生していた。従前からの介護政策のもとで従事者の待遇は不十分で,高齢者,特に認知症の人のニーズに対応するのに必要な人員を,介護施設が確保できない状況が長く続いてきた。COVID-19の流行により,利用者の生活の質やケアの質は隅に追いやられてしまい,それが結果として介護施設での死亡者の発生につながったと分析されている。今後の介護政策のあるべき対応として,適正な人員確保のための待遇改善に加えて,ひとりの従事者が「働く場所はひとつにすること(one workplace policy)」を挙げている。

認知症ケアにおけるCOVID-19対応の推奨事項

 2020年7月に英国の医学雑誌Lancet(ランセット)が認知症予防・介入・ケアに関する国際委員会の報告の更新版を発表した1)。同報告では認知症予防に関する12の改善可能なリスク要因(合計寄与率40%)が特定されているほか,認知症と診断された後のケアの在り方についても提言を行い,その中でCOVID-19への対応を示唆している。推奨事項を以下抜粋する。

COVID-19対応の推奨事項(ランセット認知症委員会2020年7月報告)

●認知症の人にCOVID-19による重い症状が出た場合に,入院するか否かを前もって決めておく。
●職員や利用者を施設間で移動させない。
●職員の感染検査を定期的に行う。
●症状のある職員は傷病手当を受けて休める体制にする。
●酸素療法等を病院に行かなくても受けられるようにする。

 推奨のひとつ「入院するか否かを事前に決める」という提言は,同報告での入院医療に対する推奨を前提にしている。ランセット報告では,認知症の人が入院すると身体機能や認知機能の低下など,さまざまな意図しない有害な影響が起こるとして,警鐘を鳴らしている。とりわけ入院時にせん妄が起こりやすく,またせん妄を経験した人は後に認知症と診断される可能性が高い。そこで同報告は,痛み,転倒,糖尿病,不衛生,感覚器の障害に対する早期の対応を行い,入院を回避することが重要だとしている。COVID-19対応の推奨「酸素療法等を病院に行かなくても受けられるようにする」も同様に,呼吸苦への対応目的で入院することがかえって本人の死亡リスクを高めるおそれがあるために,入院回避の対応として提言されている。

行動・心理症状への対応に遠隔でのケア提供を推進

 COVID-19に関連した場合の症状だけでなく,感染予防のため社会的にとられている方策もまた,認知症ケアの現場に困難をもたらしている。上述のランセット報告において,COVID-19への対応として対人接触の減少と物理的距離の確保が行われることにより,認知症の人の行動・心理症状が増悪する懸念が示されている。そこで,技術を活用した遠隔でのケア提供の推進が望ましいとされている。

 筆者ら東京都医学総合研究所のチームが東京都と共同開発した「日本版BPSDケアプログラム」では,認知症の行動・心理症状への心理社会的対応に焦点を当て,介護従事者向けの研修とオンラインシステムの利活用を推進してきた4)。従来の研修は,東京都の補助金を受けた区市町村が主催する対面集合型の研修で行われてきたが,2020年度はCOVID-19の対策としてeラーニング研修を導入した。2020年9月末時点で80人弱がeラーニング研修を修了し,年内にさらに160人程度が受講予定である。

 従来の集合型研修は2018年度の修了者が138人,2019年度は252人であった。集合型研修は1日(7時間)で,仕事の休みをとる必要があることが,受講のハードルとなっていた。eラーニング研修に移行したことは感染対策のみならず,集合型研修の受講が難しかった層にも参加の機会を広げたと言える。

 他方,事業所で利用可能な端末の数が限られている,あるいは自宅でインターネットへの接続が確保できない,という事情でeラーニング研修の受講は難しいという意見も出ている。またeラーニング研修を修了しても,オンラインシステムの利用ひいてはケアプログラムの実施が進まない可能性が憂慮されている。集合型研修のときからこの点は課題と認識されてきた。2018年度の集合型研修修了者138人中,実際にオンラインシステムを利用したのは87人であり,そのうちケアプログラムが求める水準に達していたのは64人(全体の46%)にすぎなかった5)。ここでの水準とは,行動・心理症状の評価とニーズのアセスメント,および心理社会的なケア計画のケアチームでの話し合いを,1人の利用者につき2回以上実施することを指す。

 ランセット報告でも行動・心理症状への対応として,症状を測定すること,痛みなど基本的な身体的ニーズをアセスメントしてそのニーズへの対応を第一優先にすることを推奨している。2回目以降の話し合いは,症状の変化をモニターすることで,前回の話し合いで立てたニーズやケア計画の仮説検証を行うことを意味する。

介護におけるIT導入の課題

 COVID-19の感染拡大以降は,対人接触を避けるために,上述のケアプログラムでもケアチームの集まりが難しい,事業所でCOVID-19の対策に追われ話し合いの時間が取れない,といった声が上がっている。東京都医学総合研究所ではZoomなどのウェブ会議を活用し遠隔で話し合いをすることも提案しているが,上述のネットワーク環境や,従事者のIT操作の習熟度といった要素が絡み,ウェブ会議の導入は容易ではないとされる。

 また集合型研修では他の受講者とペアを組んで演習を行うが,eラーニング研修では受講者が1人で端末に向かって進めるため,実践へのモチベーションがわきにくいかもしれない。eラーニング研修の修了者になんらか人を介したフォローアップ・支援が必要と考えられるが,集合型のフォローアップ研修を行うのでは,感染リスク低減のためeラーニング研修を導入した意義が薄くなってしまう。だがウェブ会議でフォローアップの研修を行うとすると,前出のIT障壁がある者は参加が難しい。

 ランセット報告が推奨する「技術を活用した遠隔でのケア提供による行動・心理症状への対応」を推進するためには,介護現場のIT体制に対する施策・制度面からの支援が必要と考えられる。

参考文献・URL
1)Lancet. 2020[PMID:32738937]
2)Royal Society of Canada. Restoring trust:COVID-19 and the future of long-term care. 2020.
3)J Pain Symptom Manage. 2020[PMID:32437942]
4)Int J Geriatr Psychiatry. 2018[PMID:28857263]
5)Scand J Caring Sci. 2020[PMID:32285513]


なかにし・みはる氏
2000年東大医学部健康科学・看護学科卒。05年東大大学院医学系研究科博士課程修了。博士(保健学)取得。国立精神・神経センター(現・国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所リサーチ・レジデント,一般財団法人医療経済研究・社会保険福祉協会医療経済研究機構主任研究員などを経て,14年より現職。認知症,精神保健,自殺対策などの政策研究に従事する。

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