医学界新聞

寄稿

2018.12.17



【寄稿】

避難所では,医療の枠を超えたチームの結成を
西日本豪雨の被災地,倉敷市真備町での支援から

石崎 菜実子(NPO法人TMAT・看護師)


 2018年7月初旬,記録的な豪雨により岡山県,広島県,愛媛県などで河川が決壊し,土砂崩れによる甚大な被害が発生した。特に被害の大きかった岡山県倉敷市真備町では,7月7日未明から,町内を流れる小田川で2か所の堤防が決壊した他,支流の高馬川2か所,末政川3か所,真谷川1か所でも決壊が確認され,死者51人,住宅4000棟以上が浸水した。

 災害医療支援チームTMATは9日より隊員を倉敷市に派遣。倉敷市医療調整本部より支援の要請を受けて翌10日には隊員を追加して活動準備に入り,11日から本格的な医療支援活動を開始した。

 9日にTMAT先遣隊の派遣連絡を受け,本隊出動に向け私自身も行動を始めた。TMATの設立に関係の深い徳洲会グループの病院に以前勤務していたため,9日にTMAT先遣隊派遣の連絡が私のもとにも入った。そこで,11日に岡山県倉敷市へと向かい,12日の朝からTMAT本隊と合流して災害支援活動を開始した。

猛暑の避難所ならではの課題を抽出する

 医療チームが被災地に入り避難所で活動する際は,簡易救護所に来る被災者の診察や治療をするだけではなく,自分たちから生活の場へ出向き,医療者の観点から生活環境や健康の問題を抽出することが大切になる。私たちの医療チームもそれを心掛けて真備町でも支援に当たった。

 被災地へ入ったときには雨も上がり晴天が続いていたが,7月中旬の日本は湿度が高く,じっとしていても汗をかくほどの蒸し暑さだった。真備町内の避難所である倉敷市立岡田小学校の教室や体育館には,被災した方々が身を寄せ生活していた。

 夏場の避難所では,特に暑さによる問題がいくつも挙がっていた。初日の巡回では被災者から,「とにかく暑い」「体育館には簡易クーラーがつけられたけれど,教室にはクーラーがない」「夜は暑いから窓を開けて寝たいが,網戸がないから虫がたくさん入ってくる。虫が寄ってこないように電気を早く消すことになる」などの生活環境に対する問題が多く聞かれた。特に暑さ対策は,普段住む場所ではない学校ならではの課題として浮き彫りになっていた。

 プライバシーを守るために,段ボールでパーテーションを設置すると,途端に風が通らなくなり寝苦しい夜となる。16日頃から段ボールベッドが導入された。クーラーの比較的効く体育館では段ボールの間仕切りを使うことができたが,教室では使わない方もいた。クーラーが元々備え付けられていた教室はやはり誰もがうらやむ場所となっていた。

 この他にも,暑さによる食欲不振,猛暑の中で行われる家屋の片付けによる脱水症,食料を冷蔵できないため発生が懸念される食中毒などの身体的問題をはじめ,暑くて眠れない,クーラーの有無への不公平感などからくる精神的問題,階段を使わないとトイレへ行けない,トイレが遠いから水分を控えて脱水症となる環境的な問題などが生じていた。

 暑さ対策として私たちは,経口補水液やカロリーの取れるゼリー飲料などを,校内の各教室を回って配り歩いた。また,全教室に簡易クーラーを早急に設置することを医療の立場からも行政に提案。介護が必要な高齢者が階段を使わなくても移動できるように居住配置を1階に変更するなどの環境改善にも取り組んだ。

長期支援を見通し多職種合同チームを結成

 避難所に到着した12日には既に多くの医療チームが岡田小学校の被災者に介入していた。当日は人員交代の医療チームも多く,引き継ぎが行われていた。その際,どのチームが指揮を執るかは明確だったが,具体的な指示や十分な情報共有がなされていないことが気になった。チームごとに個々に活動している印象を受けたからだ。

 しかもその時点ではまだ,岡田小学校に被災者が何人避難しているのか,男女比,年齢,ペット同伴の有無などの基礎情報が不明瞭だった。

 そこで, 簡易救護所以外で活動する保健・福祉のチームも集め,それまで個々に活動していたチームを束ねた合同チームを結成し,情報共有と合同活動を実施することを私から提案した。合同チームは早速,校内の巡回を開始し,保健医療のニーズを集めながら被災者の基礎情報の収集に努めた。

 この合同チームは,私たちTMATの看護師をはじめ,高知,愛知両県の保健師,災害派遣福祉チーム(DWAT),大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会(JRAT),各都道府県看護協会から派遣される災害支援ナース,日本災害看護学会など,さまざまなチームの多職種から構成された。

 合同チームの指揮を最初に執ったのは発起人である私であったが,同じ目的を持って活動することがすぐに認識されたため,1日の流れやどのような情報を必要とするかなどのやるべきことが周知されてからは,リーダーの役割を保健師に移した。

 この対応を取ったのは,人員交代が頻繁にある被災地において長く活動するするのは保健師であり,その後の環境整備や復興期における地域との連携を図っていく上でも適任と考えたからである。「急性期支援」の性格が強い医療チームは,被災地での医療ニーズが少なくなれば撤収してしまう。私たちが被災地で長く支援できないことを見通しての判断だった。

 合同チームは1日1回,主に3人1組(保健師もしくは看護師,DWAT,JRAT)で避難所を巡回し,朝と巡回後のミーティングで情報を共有した(写真❶)。それ以外は各職種の特性を生かした活動をそれぞれ展開した。

写真❶ 避難所となった小学校の体育館を多職種合同チームで巡回する様子。被災者からは生活の様子も聞く。

 多職種が連携することの有用性は,今回いくつもの場面で発揮された。これまでの災害支援の経験からも,今回のような多職種による合同チームが被災地の避難所で試みられた前例は多くはないと考えられる。

行政・住民も交え,フェーズとニーズの変化に対応する

 さらに合同チームは,避難所の学校関係者や医療チームが参加して毎朝行われる合同ミーティングにも加わった。ただ,この合同ミーティングは,被災した地域住民との連携を図るまでは至っていなかった。そこで,避難所の運営には避難している住民の自助の力も必要となることをTMATから提案し,行政,医療,保健・福祉,住民代表者も交えた会議が開始された(写真❷)。

写真❷ 行政と住民代表を交えた初めてのミーティング。奥中央が倉敷市職員,左手前が筆者。複数回開催され,職種にかかわらず情報共有がなされた。

 避難所では,行政,医療チーム,学校(避難所),住民,ボランティアなどさまざまな人が集まり支援を行う。時間の経過とともに変化するフェーズに合わせ,多職種の連携が取れた対応が求められる。被災者のニーズを的確にくみ取り迅速に対応するには,各自が役割を認識し,情報を共有し,協力し合うことが不可欠となる。

 今回は基盤となる合同チームの立ち上げを私たちTMATが担ったが,その役割は誰が引き受けてもよい。災害の規模や種類,被災の状況や避難場所,支援に入ったチームの構成によって臨機応変に対応していけるとよいだろう。

 今回,多職種連携の合同チーム結成を試みたことは,私自身意義ある経験となった。避難所で問題解決に至らない,あるいは解決まで時間を要していた課題を,おのおのの専門性とネットワークを生かし,現場レベルで解決する経験ができたからだ。

 今後起こり得る災害の備えとして,私たち医療者は避難所の状況をできるだけ早く把握すること,被災後のフェーズによってニーズが変わることを知っておく必要がある。

 災害時には多職種連携合同チームを速やかに組織できるよう,さまざまな職種の特性を理解しておくことも大切になる。さらに,避難所内に置かれる対策本部の運営方法について,設置する行政の方へ助言することや,住民代表者を交えた支援も欠かせない。医療の枠を超えた避難所運営の重要性を再認識した。


いしざき・なみこ氏
国立療養所東名古屋病院附属看護学校(当時)卒。国立療養所東名古屋病院勤務後に渡豪し,1年間の海外生活で国際貢献に興味を持つ。帰国後,名古屋徳洲会総合病院,八尾徳洲会総合病院などを経て,在宅看護や慢性期看護,クリティカルケア看護を経験。東日本大震災やネパール大地震,熊本地震の災害支援にも携わった。国内外で活動できるグローバルな看護師をめざしている。

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