医学界新聞

連載

2016.11.07



短期集中連載[全3回]
オバマケアは米国の医療に何をもたらしたのか?

■第3回(最終回) オバマケアへの「評価」

津川 友介(米国ハーバード公衆衛生大学院(医療政策管理学)リサーチアソシエイト)


前回からつづく

 オバマ大統領も認めているように,立案段階で完璧な政策というのは存在しないため,あらゆる政策は科学的な評価を受け,その結果をもとに微調整を加えていく必要がある1)。つまり,ビジネスだけでなく,政策に関してもPDCAサイクルを回すことが重要である。PDCAサイクルとはPlan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)の4段階を繰り返すことで業務を改善していく手法である。政策であればPは政策立案(デザイン),Cは政策評価となる(図1)。しかし,政策をデザインした人と評価する人が同じであったら公平な評価をすることは困難である。経済的なものに限らずさまざまな利益相反があることも多く,そうでなくても誰でも自分の関連する政策を客観的に批判的吟味するのは難しい。そのため,米国ではアカデミア(註1)が政策評価の役割を担うことが多い。つまり政策立案者(政治家,官僚)とアカデミア(研究者)の間でチェック・アンド・バランスの関係が成り立っているのである。

図1 政策におけるPDCAサイクル(筆者作成)

 ではオバマケアの評価はどうであろうか? オバマケアが無保険者の数,医療の質,医療費に対してどのようなインパクトがあったのかを検証してみよう。

オバマケアによって米国はどう変わったのか?

1)無保険者の数
 オバマケアが無保険者の数を減らしたことは明らかである。2010年に4900万人(全人口の16.0%)いた無保険者数は,2015年には2900万人(9.1%)にまで下がった。この減り方は,1965年にメディケア・メディケイドが導入され65歳以上の高齢者,貧困層の全員に公的医療保険が提供されたとき以来,最大の下がり幅である。それに伴い,医療費が高くて医療サービスを受けられない人の数は5.5%減少し,医療費負担によって個人がかかえる負債額も減った(メディケイドに加入している人の債権取引会社に送られる金額が1人当たり600~1000ドル減った)。しかし,メディケイドの拡大によってカバーされるようになった貧困層の加入者数は順調に伸びているものの,Health Insurance Marketplace(HIM)を通して医療保険を購入した人の数は予想を大きく下回っており,今後の課題の一つである。

2)医療の質
 オバマケアによって数多くのペイ・フォー・パフォーマンス(P4P;業績に伴う支払方式)が導入された。代表的なものとして,入院患者の30日死亡率やプロセス指標の改善率に応じて病院への医療費の支払額を増減させるHVBP(Hospital Value-Based Purchasing)Program,同じく病院に対して30日再入院率を減らすことで経済的インセンティブを与えるHRRP(Hospital Readmission Reduction Program)がある。そして2018年からは医師個人に対するP4Pも導入される予定である。アカデミアによる政策評価の結果によると,HVBPは死亡率などの患者のアウトカムを改善させる効果はなく,今はP4Pをどのようにデザイン(ボーナスやペナルティの大きさ,測定する項目など)すれば,実際に患者のアウトカム改善につなぐことができるかが課題になっている2)。HRRPは30日再入院率を減らしたというエビデンスがあり,期待通りの効果が認められた数少ないP4Pとなっている(図23)

図2 P4P導入によって30日再入院率を減少させた(文献3より作成)
当初,P4P(HRRP)の対象となったのは心筋梗塞,心不全,肺炎の3疾患であった。オバマケアが導入された翌月の2010年4月から再入院率は減少し始めたが,12年10月ごろから下降のスピードは鈍化している。P4Pの対象でない疾患でも再入院率は減少したが(波及効果),2つのグループを比較すると対象疾患のほうが統計学的に有意に再入院率が下がっている。

3)医療費
 ここ数年米国の医療費の伸びは鈍化していることが知られている。例えば,メディケア加入者の1人当たり医療費の伸び率は2000~05年は年4.7%であったが,2010~14年は伸び率がマイナスになっている1)。オバマ大統領はこれはオバマケアに伴う医療費抑制策の影響であると主張している。しかし,それに対してジョナサン・スキナー(ダーツマス大)やアミタブ・チャンドラ(ハーバード大)は,医療費の伸びの鈍化はオバマケアが成立する前の2006年頃から始まっており,オバマケアの影響は少ないと反論している4)。チャンドラらは,①控除免責額(註2)が高い医療保険の増加,②州政府によるメディケイドの医療費を減らす政策,③新しい医療技術があまり開発されずその拡散も比較的ゆっくりであったことが,近年の米国で医療費の伸びが鈍化した主因であるとしている5)

オバマケアの挑戦

 オバマケアに関して,全てが順調にいっているわけではない。オバマケアが現在直面している最大の問題は,HIMで提供される保険の保険料が高騰しており,その結果としてHIMで保険に加入する人の数が伸びていないことである。保険料高騰の理由として,①個人加入義務違反に対する罰金が安いため多くの健康な人が保険に加入していない,②保険プランの数が少なく競争原理が十分に働いていないことなどが挙げられている。現在,後者に対してはパブリック・オプション(第1回/3195号参照)を復活させたり,HIMの市場をより広域なものにして保険プランの数を増やすことで,競争を促進させたりするような対策が検討されている。

 もともと,米国の医療サービスの単価は他国より高いため,保険料を上げずに皆保険制度を達成するのは至難の業である。いずれにしてもオバマケアの成功のカギはHIMの保険料の問題をどのように解決するかにかかっていると言うことができる。

日本がオバマケアから学べること

 オバマケアは無保険者の数を減らすという主目的に関してはその功績が認められているものの,医療の質の改善・医療費抑制といった副次的なゴールに関してはまだ評価が分かれている。政策立案者とアカデミアが一緒になって今後もPDCAサイクルを回し続けられれば,オバマケア(その頃にはクリントンケアと呼ばれているかもしれないが)はいずれ医療の質の改善と医療費抑制も達成すると思われる。

 日本のメディアを見ると,米国の医療制度はひどいから学ぶことは何も無いといった極論を目にすることがある。確かに現時点での医療制度に関しては日本のほうが米国よりも優れている点が多いかもしれないが,医療政策がデザインされる過程を見ていると米国のほうがずっと経済学的理論とエビデンスに基づいたものになっている。医療政策研究の質や,研究費の規模を見てもわかるように,日本とは比べ物にならないほど米国はこの分野に力を入れている。米国は今後も安定した経済成長が見込まれ,人口構成も安定しており,その未来は明るいと考えられている。一方で,経済が成長していないことや高齢化の影響もあり,医療政策や医療費の問題は日本のほうがはるかに切実なのかもしれない。何よりもそれらを解決するために政策研究を行ったり,政策立案者が政策に関する経済学的理論やエビデンスを取り入れて政策をデザインする文化がないことが,近い将来の日本にとって大きな課題になってくると思われる。米国ではエビデンスが,政策のデザインやPDCAサイクルを回すのにどのように用いられているのかを紹介することで,日本にも「科学的根拠に基づく政策」が広まり,それによって医療費や医療の質の問題がより効果的に解消されることが望まれる。

(了)

註1:アカデミアとは大学,研究機関,シンクタンクなど幅広く研究が行われる場所を指す。米国では大学に限らず,さまざまな組織で研究のトレーニングを積んだ学者・研究者が活躍し,政策評価も民間,公的機関にかかわらず多くの組織で行われている。
註2:控除免責額(Deductible)とは,保険の還付が始まる最低金額のこと。その金額を超えるまでは100%自己負担となる。オバマケア導入後,米国では控除免責額が高めに設定された医療保険が増えてきている。

参考文献・URL
1)JAMA. 2016[PMID:27400401]
2)BMJ. 2016[PMID:27160187]
3)N Engl J Med. 2016[PMID:26910198]
4)JAMA. 2016[PMID:27400390]
5)Brookings Pap Econ Act. 2013[PMID:25418992]

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