医学界新聞

対談・座談会

2015.11.09



座談会
大学総合診療部門の新たな挑戦
大学と地域を循環する総合診療医育成をめざして

生坂 政臣氏(千葉大学医学部附属病院副病院長 総合診療部教授)
吉村 学氏(宮崎大学医学部 地域医療・総合診療医学講座教授)
伴 信太郎氏(名古屋大学大学院医学系研究科 総合医学専攻総合診療医学分野教授)=司会
瓜田 純久氏(東邦大学医療センター大森病院副院長 総合診療・救急医学講座教授)


 2017年から始まる新専門医制度では,総合診療専門医が基本領域専門医の一つに位置付けられる。将来の総合診療の発展には,教育・研究・診療・社会的貢献の4つの柱を基盤とした“総合する専門医”の育成を担う大学の役割が,大いに期待される。一方で,総合診療の対象は大学の一部門にとどまらず,地域に広がる多様な領域でもある。では,地域の視点を取り入れた総合診療医の育成に,大学の総合診療部門は今後どう応えていくべきか。本座談会では伴信太郎氏を司会に,地域医療の経験を経てから大学の総合診療部門の教授に着任している三氏と共に,大学と地域を循環する総合診療医育成の在り方について議論した。


 総合診療医のキャリアというと,大学で教育を受けた後は大学から関連病院や地域の病院へ,さらにその先開業するなどのパターンが多いように思います。ところが,ご出席の先生方のこれまでの歩みはその逆をたどり,地域での診療を経験した後に大学へと戻り,現在は総合診療部門で後進の育成に尽力されています。

 ジェネラリストの素養を地域で培った先生方が,大学でどのように教育に取り組まれているか,私は大きな関心を寄せています。初めにお聞きしたいのは,先生方が考える総合診療医像と,その教育の在り方についてです。

生坂 総合診療医は幅広く患者を診られてこそ真骨頂を発揮するものです。内科に限らず,整形外科,精神科,眼科,皮膚科,耳鼻咽喉科など,一通りの領域を適切に診断できる医師を私は育てたいと考えています。他の専門領域を後付けで学ぶことも強い意思があれば可能ですが,やはり若いころからジェネラルなトレーニングを受けるほうがバランス良く吸収できるでしょう。現在千葉大では,外来診療を中心に幅広く患者を診ることを意識した教育を行っています。

瓜田 私が学生や研修医によく言うのは,「医師は病名で患者を振り分けるのが仕事ではない」ということです。病名は,あくまでも医師という人間が決めた1つの集合にしかすぎません。本来医師は,症候からアプローチしていくことが基本になりますので,真っ白なキャンバスに絵を描くように,一から患者さんの診断をつけていくというコンセプトで教育しています。

 吉村先生はいかがですか?

吉村 先生方のおっしゃったように,総合診療医は目の前の患者をしっかり診る力を備えていることが大前提です。その上で,自分たちの責任が及ぶ地域住民の健康にも目配りできる医師であってほしいと思います。また,医師だけでは医療は成り立ちませんから,多職種の仲間を思いやりながら,組織や地域医療全体をファシリテートできる人材を育てていきたいと思っています。

魅力ある総合診療部門をつくる工夫とは

 2017年に総合診療専門医資格が創設されることで,大学はますます総合診療医の育成に重要な役割を果たすことが求められます。とはいえ,総合診療の対象は大学の中にとどまらず,地域にまで広がる多様な領域です。私はかねてより,総合診療部門が大学の中だけで完結していては,魅力ある診療部門としての存在意義を内外に示すのは難しいとの考えを持っています。

 時代をさかのぼると,1990年代初頭から各地の大学で総合診療部門が創設されました。しかし中には,若い人が集まらずに消滅してしまった所もありました。その原因の一つに,地域の第一線での活躍が期待されるジェネラリストのロールモデルとなるようなスタッフを,大学総合診療部門に配置できなかったことが挙げられます。

 では,魅力ある総合診療部門をどのようにつくればよいか。先ほどキーワードに,「外来診療」を挙げた生坂先生,いかがですか。

生坂 私が地域の開業医から大学へ赴任する際に考えたのは,大学病院の中で総合診療医がリスペクトされる診療部門をつくること,学生・研修医を引きつける研修の場を提供することの2点です。

 総合診療部門の場合,院内の他の専門医から役割を認知してもらうことが必要ですね。

生坂 はい。開業医になる前,私は聖マリアンナ医大の総合診療内科に所属し,当時は病棟と救急も担当していました。そこでは,総合診療医と近接する領域である内科医や救急医との差異を示すのが難しかった。かといって,「何でもできる」をアピールすると過労への道を一直線に進んでしまい,診療の質も低下します。そこで,周りの専門医の手があまり届いていない外来診療に着目することで,総合診療医が存在感を示す手応えを得ました。やはり,他科,特に内科や救急科からの紹介がほしいわけです。紹介があれば独自の専門性を認知されたことになりますからね。

 その後,埼玉県本庄市での開業医を経て,2003年に赴任した千葉大総合診療部では,私が地域で経験したプライマリ・ケアに必要な思考プロセスを組み込んだ研修体系を,大学病院の外来に作りました。今では紹介率が95%を超え,他科からの紹介も受けながら総合診療の長所を発揮できる場を確立しつつあります。

 学生や研修医の教育の場としては何を心掛けていますか?

生坂 大学で総合診療医を育てるには,まずは臓器別の枠にとらわれないプライマリ・ケア診療の魅力を,外来で体験させることです。大病院でも地域の診療所でも等しく必要なのは,バイオサイコソーシャルモデルに基づいた幅広い診療です。その重要性は,開業医時代,家庭医研修として研修医を受け入れた経験から実感しています。

 大学では実際どのような工夫を?

生坂 総合診療医をめざす学生や研修医は,「大学病院で扱うのは特殊な疾患ばかりで,地域に出たら大学での経験は実際役に立たないのでは」という不安を持っていると思うのです。そこで,大学の外来だからといってまれな疾患をいきなり鑑別するのではなく,まずcommonな病態から推論をスタートさせます。そこから,診療所などではcommonで終わってしまう推論を,uncommonまで発展させるように意識して指導します。

 結局大学の外来もuncommonよりは,非典型例ながらcommon diseaseのほうが多いものです。このような学習体系により,common diseaseが診られるのはもちろん,大学病院ならではのuncommonもプラスαで経験できます。さらに研究や教育にも容易に手を伸ばせる。要するに大学ならではの“いいとこ取り”ができる部門作りに挑戦してきました。

 地域で教育に当たった経験がまさに今生きているわけですね。

生坂 そうですね。次は,自前の診療所研修施設を持つことを目標にしています。

症候からアプローチする力を外来実習で養う

 瓜田先生は,大学に戻られて何年経ちますか。

瓜田 ちょうど10年です。私は卒後,消化器内科医として病院に勤めました。6年目が終わる直前,青森で開業していた父が急死したため診療所を引き継ぎ,大学に戻るまでの14年間にわたって,地域での診療に携わりました。

 消化器内科医としてキャリアをスタートさせた後,地域を経て大学の総合診療部門に着任された。地域を経験したことで,先生自身が総合診療医に“転身”なさったわけですね。

瓜田 はい。病院の消化器内科にどっぷりの6年間から地域の医療現場に移り,ジェネラルに患者を診たことで初めて「自分は医師になったんだな」と実感したものです。

 その中で,今の医療の現場には,患者を診る上で基本となる,症候からアプローチする方法を学ぶ機会がほとんどないことに気付きました。しかし,症候から診断までを比較的わかりやすく組み立てていけるのが総合診療医であり,それを教えられるのが総合診療部門のように思うのです。

 非常に重要なご意見ですね。では,学生がジェネラルな診療を経験する機会はどのように用意していますか。

瓜田 5年次に外来実習を行っています。学生のうちからできるだけ多くの患者を診てもらうため,5年ほど前からは1日完結型の実習を始めました。

 どのような内容でしょう。

瓜田 やはり,症候からアプローチすることを大切にしていますので,患者の医療面接を行って一緒に診察し,フィードバックするということを繰り返し行っています。実は,外来に特化するというのは生坂先生の取り組みを参考にさせてもらいました。外来実習を始めてから学生の評判も良くなったように思いますね。

生坂 それはよかったです。

 外来診療で,診断のついていない患者さんを診る。これを大学の中で担うのが総合診療部門であることは間違いなさそうです。

地域の面白さを知るからこそ,後進に学びの場を与えたい

 吉村先生は今年の5月に大学に赴任されました。これまでの地域医療の取り組みをお話しいただけますか。

吉村 私は学生のころから総合診療医・家庭医をめざしておりましたので,初期研修は自治医大に進みました。五十嵐正紘先生が主任教授(当時)を務める地域医療学講座で,へき地医療などを経験しました。卒後8年目の1998年からは岐阜県揖斐川町にある地域医療振興協会の無床診療所兼老健50床の揖斐郡北西部地域医療センターに勤務し,今年5月に母校の宮崎大に赴任するまでの約17年間,学生と研修医の地域医療実習なども受け入れながら地域医療に携わりました。

 これまで,地域から大学をどのようにご覧になっていましたか。

吉村 地域で診療に当たっていた初期のころは,「大学は地域の対極にあるもの」としてとらえていましたね。

生坂 大学に戻ることに躊躇はなかったのでしょうか。私は教授選考会からの推薦候補にすぎませんでしたし,大学病院でプライマリ・ケアを展開することの難しさを経験していたので,再度挑戦することには迷いがありました。

吉村 私自身は現場でプレイヤーとして診療に当たるほうが合っていると思いますし,何より患者さんが喜ぶ姿を間近で見られることにやりがいを感じていました。ところが現場で経験を重ね,徐々に教育にも携わるようになるにつれ,「地域医療の面白さを知ったからこそ,自分と似たようなタイプの後継者を育てなければいけない」という思いが強くなりましたね。

 吉村先生が勤務されていた揖斐川町の診療所には,名大の学生も10年以上にわたり地域医療実習で受け入れてもらい,皆喜んで帰ってきました。これまで通り地域医療の現場でお手本になるという選択肢もあったと思いますが,それを上回る思いがあったわけですね。

吉村 日本で医師になる学生は,大学医学部という一本の道を通ってきます。しかし,医学部卒業時の目標と地域医療の現場のニーズにはギャップが生じている部分もある。そこを解決するには,卒後に現場の研修で補うのではなく,誰かが大学で,学生がジェネラルな学びに触れ合う場を用意しないといけません。その役割を果たすために大学に戻ることを引き受けました。

 現在,大学ではどのような立場で教育に当たっていますか。

吉村 宮崎大が指定管理者となっている約40床のコミュニティホスピタル,宮崎市立田野病院に主に在籍しています。当院は総合診療医が中心となって,外来,入院,老健,訪問診療を担っており,ここに熱心な学生たちが自主的に来て,初診外来の患者さんのcommon diseaseを一緒に診察しています。

 地域に近い場で教育なさっているのですね。

吉村 はい。当院は救急車の受け入れや在宅も行っていますので,最近では救急搬送された患者のファーストタッチや,訪問診療も学生に経験させています(写真)。

写真 左:田野病院で月に1回開催される外来実習(通称「むちゃぶり道場」)の様子。奥は学生にフィードバックをする吉村氏。右:訪問診療実習に同行する医学生・研修医,看護師。地域で暮らす患者の生活の場を,直接感じながら学ぶことのできる教育カリキュラムの構築を模索している。(写真提供:吉村氏)

 「自主的に」ということは,大学のカリキュラムには含まれていない。

吉村 現時点では県南地域(串間市民病院やクリニック等)での1週間の地域医療実習がありますが,田野病院での実習は正式には位置付けられていません。来年度から,5年生の必修科目として1週間の地域医療実習を開始する予定です。

 今後の課題ではありますが,地域で実際の患者を診る経験を,全ての学生に1回は味わってもらえるカリキュラムを学内で作っていきたいですね。

 卒前教育において,地域という観点が浸透していない大学が多いと思いますが,宮崎大でもそうなのですね。その要因はどこにありますか。

吉村 学生が,患者のケアの場を俯瞰して見られるような場が少ないことでしょう。例えば認知症患者の場合,初期の診断に始まり,入院,グループホーム,あるいは在宅などへと移っていくように,さまざまなケアの場を経験することになります。

 一方,学生や研修医はというと,教育を受ける場は大学病院などごく一部に限られ,どうしても患者の断片的な姿しか見られません。しかし,患者がケアの場を移る過程では,患者について離れないかかりつけ医の存在が重要で,臨機応変に対処できるジェネラリストこそが必要とされます。あらゆるケアの場を見せ,地域で働く医師の姿を学生自身が志向できるようにプロデュースするのが,地域を経験した私の役割だと思っています。

瓜田 患者のニーズという観点で申し上げますと,患者の中には,自分たちの地域で医療を完結したいと思っている方が意外に多い。そのことを,総合診療医をめざす学生・研修医には知っておいてほしいと思います。

 これは大事なご指摘だと思います。大学病院など大規模病院にいると,患者は皆病院志向と思いがちですが,そうではないのですよね。地域には具体的にどのようなニーズがあるのでしょう。

瓜田 開業した青森で医療過疎の地域を見ていると,患者によっては自宅から遠い病院で最先端の治療を受けるよりも,自宅の近くで“そこそこ”の医療を受けることを望んでいる方がいるということです。誤解を恐れずに言えば,次善の治療で満足したいというニーズがあるということ。このような患者の希望に応えられる選択肢を示すのも,総合診療医の大切な役目のように思うのです。

 患者も,職場や家族環境など人それぞれ異なる社会的な背景をお持ちですからね。

瓜田 ええ,そうした多様なニーズや社会背景をくみ取りながら医療を提供できるようにならなければいけないと,開業医時代にひしひしと感じました。

吉村 地域の実情として,提供できる医療が必ずしも最先端ではない場合もありますよね。以前勤務していた診療所がある地域では,近在の最も大きい総合病院でも200床ほど。医師の数や物理的な制約などから,夜は内科医も全科当直し,交通外傷も全て受けざるを得ませんでした。でも「そういう役割を担わなければいけない環境がある」と,学生のうちから知ることは,実はジェネラリストの力を高めるのに好都合な場合もあるのではないかと考えています。

 地域の実情を見られる教育カリキュラムを卒前にどのように導入するかが,これからの大学総合診療部門に課せられたテーマなのでしょう。それこそ,地域を経験した人,あるいは地域をよく知っている人が学内にいなければできないことです。先生方のようなキャリアをたどっている人が,大学のなかに教員として入っていくことは非常に大きなメリットになるのだとわかりました。

病院総合医と家庭医の相互理解を生む新専門医資格

 さて,いよいよ2017年の新専門医制度から基本領域専門医の一つに総合診療専門医が加わります。資格取得までの3年間は,米国や英国とは異なり,将来,病院で一般内科医・総合内科医として働く人も,地域で家庭医として働く人も一緒に研修を受けるということで構想されています。この点について,今後指導医としてかかわっていく先生方はどのようにお考えですか?

生坂 病棟から外来,さらに地域へと患者の過ごす場が変わり,求められるものがキュアからケアへと移ってきている中で,今まさに足りないと言われているのが,その間を取り持つ地域中小病院の病院総合医です。その点,総合診療専門医の研修が,地域だけでなく病棟をもカバーしたプログラムになっているのは意義があるのではないかと思います。

吉村 宮崎県も中小病院の病院総合医が圧倒的に足りません。そのような施設に病院総合医として勤務していると,在宅の状況をわかって指示を出さないと,うまく回らない場面に直面します。患者の生活背景や医療資源の状況を踏まえて各種指示を出す必要があるわけです。総合診療医が将来,地域も病院もどちらもカバーすることまで想定すると,家庭医の仕事も病院総合医の仕事もオーバーラップして学ぶ時間があることは意義がありますし,後々の相互理解の促進にもつながるはずです。

瓜田 臓器別にローテーションする内科専門医のカリキュラムと比較してしまいがちですが,総合診療専門医では,病棟や地域の医療現場を通じて症候学をしっかり学ぶことのできる研修が担保されれば,その独自性や価値が出てくるのではないでしょうか。

吉村 そのためには,両者を熟知した指導医が,マンツーマンや1対2ぐらいの小規模で教えられるのが理想的です。同じ釜の飯を食べた総合診療医が,ある人は地域の中核病院へ,ある人は地域の診療所へという形で増えていくことが望ましいと思います。

 ジェネラルな基盤を臨床能力として持った人がさらにその先専門性を持って育っていくかどうかは,今後検討される“二階”の構造設計によって決まってくるでしょう。まずは,総合診療専門医をめざす3年間が,将来は病院で働きたい,あるいは地域に出ていきたいといういずれの希望者も受けることのできる,一体化したプログラムになったというのは,総合診療医のすそ野を広げる意味でも非常に良い点だと思います。

■地域を見据えた総合診療医教育の広がりを

 先生方のお話をうかがい,地域を経験した総合診療医が大学の総合診療部門において学生や研修医のロールモデルとなること,また地域の視点を織り交ぜた教育プログラムを構築していくことの意義を確認することができました。今後のジェネラリスト教育や,学生・研修医を総合診療の道へと導くためのお考えなどがありましたらお聞かせください。

瓜田 私は,学生や研修医にはよくこんなことを言います。「心筋梗塞だけを診たいと思って医師になったのか。その人が熱を出したらどうするんだ」と。そもそも皆「病気を治したい,患者を助けたい」という気持ちで医師を志したはずです。それがいつしか,「これは自分が担当する領域ではない」と専門を狭めていってしまう。でも初心に立ち返ってみると,総合診療医ほど医師の志に叶った領域はないはずです。私自身,消化器内科医として一番得意な内視鏡を置き,素手で患者に向き合うことで医師のやりがいを実感しました。ですから,この気持ちをこれからも学生に伝え,総合診療の道へ導いていきたいです。

 とても心に響く言葉ですね。

生坂 私も同感です。全ての外来患者に対し,“丸腰”でも研鑽してきたスキルを存分に発揮できる。そして診療にかかわっている限り,時と場所を選ばずに医師人生最後の1日まで,解決の喜びと達成感を得られる。総合診療の醍醐味はそこにあるのだと思いますので,学生たちには,私たちが現場で生き生きと診療する姿を見せることによって興味を喚起したいですね。

 吉村先生は何か今後の展望はありますか。

吉村 自分が地域で経験したやりがいを,学生のうちから味わってほしいと思っています。もちろん自分一人では限界がありますから,県内で学生を受け入れてくださっている地域の診療所や病院の先生方,多職種の皆さんをもっと教育に巻き込むなどして,ジェネラリスト教育の機能を強化していかなければなりません。一つひとつの積み重ねから,卒後後期研修にまでつながるようなジェネラリスト育成の教育パイプライン(educational pipeline)も構築していきたいと思います。

 ありがとうございました。総合診療医をめざす学生や研修医にとって,ジェネラルなトレーニングを受ける初期研修の2年間,専門医研修の3年間はチャレンジの連続で,総合診療医としてのスキルアップをあまり実感できないかもしれません。それでも,卒後10年目以降にもなれば,専門科の人にとっての専門外の領域については,「自分たちのほうが圧倒的に高い臨床能力を持っている」と自信がつくでしょう。そこで初めて,「ジェネラリストの専門性」を実感できると思うのです。学生や研修医が学ぶ大学の総合診療部門が地域と共に循環していきながら,ジェネラリストの第一歩を踏み出す場となってくれるものと私は期待しています。

(了)


ばん・のぶたろう氏
1979年京府医大医学部卒。同大小児科研修を経て,80年米国クレイトン大家庭医学科レジデント。83年国立長崎中央病院にて卒後研修指導医。89年川崎医大総合臨床医学教室に移り,93年より同教室助教授,98年より現職。日本医学教育学会理事長,日本プライマリ・ケア連合学会理事,日米医学医療交流財団理事長など役職多数。教育,診療,研究,社会的貢献という4つの柱を基盤とした“総合する専門医(ジェネラリスト)”の育成に尽力している。

いくさか・まさとみ氏
1985年鳥取大医学部卒。89年東女医大大学院博士課程修了。90年米国アイオワ大家庭医療科レジデント(93年米国家庭医療学専門医),93年東女医大神経内科。97年聖マリアンナ医大総合診療内科講師を経て,2002年に生坂医院副院長,03年より現職。日本プライマリ・ケア連合学会理事。千葉大病院副病院長,総合医療教育研修センター長を兼務する。戦略的診断推論を実践中。

うりた・よしひさ氏
1985年東邦大医学部卒。関東労災病院消化器科,東邦大大森病院を経て,91年故郷の青森県に瓜田医院を開業。人口約1万4000人の町で地域医療を担う。その後,2005年東邦大助手,10年同大教授,15年7月からは同大医療センター大森病院副院長を務める。現在も週に1日,地元青森で地域住民の診療に当たっている。

よしむら・まなぶ氏
1991年宮崎医大医学部卒。自治医大地域医療学講座で学び,群馬・栃木の診療所勤務を経て,98年に岐阜県揖斐川町(旧久瀬村)に家庭医として着任。2003年揖斐郡北西部地域医療センター長,15年5月から現職。日本プライマリ・ケア連合学会理事(IPE担当)。揖斐川町では,医学生・研修医教育にも力を入れ,国内外から1000人超を受け入れた。また理学療法学生,看護学生と医学生・研修医を「ごちゃまぜ」にしたIPE(専門職連携教育)を実践している。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook