医学界新聞

寄稿

2014.04.21

【寄稿】

MOOCsのインパクトと看護教育の未来

鈴木 克明(熊本大学大学院教授・教授システム学)


 大学教育におけるICT(Information and Communication Technology)利用をめぐって最近,世界的に注目を集めている事象に「反転授業」と「MOOCs(ムークス)」がある。

動画配信の一般化が生んだ「反転授業」の潮流

 「反転授業(Flipped classroom)」とは,これまで教室で行われていた情報提供(インプット)を家庭で見るためのビデオとして準備し,その代わりに教室では,以前は宿題として出されることが多かった演習問題を行う(つまり,今までと逆の授業方法にするから「反転」)というムーブメントである()。

 反転授業のイメージ
「伝統的な教室」(左)から「反転教室」(右)へ。教員の役割は“壇上の賢人”から“学習者に寄り添う導き手”に変わる(オンライン学習システムの米Knewtonが開設するウェブサイト「The Flipped Classroom Infographic」より)。

 せっかく教室に集まった機会に単に一方的な講義を行うよりは集まってしかできないことをやろう,という発想はとても良い。「どうすれば寝ないで(あるいはケイタイをやらずに)話を聞いてくれるか」と悩む教員にとっては,学習者を能動的にするという手法は魅力的であろう。学習者にとってもビデオで話してくれるのであれば本を読むよりはとっつきやすいし,わからないところは繰り返し視聴できる(わかっているところは飛ばせる)マイペース学習であるのも朗報だ。これまでにも,故・沼野一男氏が提唱した「オーダーメイドの講義」をはじめとしたこの種の試みは多く存在し,それぞれに効果を上げてきたが,「反転授業」というラベルが貼られることによってこれまで主流の講義形式とは異なる授業のやり方が市民権を得て,眠くなりがちの一方通行の講義が教室から姿を消すとしたら,それは歓迎されるべきことである。

 「カーンアカデミー」は,遠隔地で暮らす甥っ子の家庭教師役を担うために自分で撮影した数学の解法などの短い説明ビデオを動画投稿サイト経由で届けることを思いついたことが発端になって始まった。現在では,グーグルやビル&メリンダ・ゲイツ財団からの支援を受けて数千種類の無料学習コンテンツを提供する世界有数のサイトになっている。

 カーンアカデミーの成り立ちからもわかるように,「反転授業」を可能にしたのは,インターネットの高速化とその上で展開されるYouTubeなどの自作動画投稿サイトの一般化である。例えば,細胞分裂に関して講義する代わりに,「明日の授業の前にカーンアカデミーにある細胞分裂のビデオを見てくるように」と指定すれば,細胞分裂を学ぶ「反転授業」が可能になる。この可能性に刺激を受けた高校の教師たちが自分の授業用ビデオを自作して動画投稿サイトに公開し,自分流の「反転授業」を展開するようになった。この方式はいくらでも応用が可能だ。細胞分裂のビデオを探してきてそれを授業前に視聴させても良いし,あるいはビデオを自作して提供しても良い。さらには,インターネット検索で細胞分裂についての情報を自分で調べて結果を持ち寄る予習を課しても良いし,インターネット上の細胞分裂についてのサイトを指定してそこをあらかじめ見てくるように指示することもできる。いずれも濃密な授業時間を過ごす準備となり,手ぶらで授業に臨むよりは有効だろう。

世界の著名大学の講義をネット上で学べる動きが加速

 もう一つの流行語MOOCsはMassive Open Online Coursesの略で,「大規模公開オンライン講座」と訳されている。著名な大学が提供する講義をインターネット上で受けて,課題をこなして合格点に達すれば「修了証」がもらえる仕組みである。一度公開すると世界中から数千数万の受講者が集まってくることから,「大規模」という名称が使われるようになった。何しろ無料で一流の教育が受けられるし,「修了証」が職探しや進学にも有利に働くようになったため,ますます注目され,数百万人規模の会員を集めて「大規模化」が進んでいる。世界で最初にMOOCsが誕生したのは2012年のことであり,その進展の速さは目にも留まらないほどである。

 2013年には日本語による無料コース提供をめざした日本版ムーク(一般社団法人日本オープンオンライン教育推進協議会;JMOOC)が組織され,2014年4月からコース提供を開始した(http://www.jmooc.jp/)。JMOOCでは,「日本はもとより広くASEANをはじめとするアジア諸国においても提供し,日本への留学希望者や日本企業への就職希望者に対して必要かつ有効な学習機会を提供」していくとともに,「反転授業」の効果が認識され「大学教育の形態が大きく変化する可能性があることからその日本での確立を図って」いくことを狙っている(いずれもJMOOCウェブサイトより)。

 MOOCsは2012年に始まったばかりであるが,その前段には米国マサチューセッツ工科大学(MIT)が2001年に始めた大学講義資料の公開という動きがあった。オープンコースウェア(OCW)と呼ばれるこの教育資源のインターネット上での公開は約50か国で総計2万5千科目にも及び,日本でも2005年に設立された日本オープンコースウェア・コンソーシアム加盟大学から合計3千科目がすでに公開されている(http://www.jocw.jp/index_j.htm)。

 OCWが資料の公開のみに留まっていたのに対して,MOOCsでは受講者の実力診断と「修了証」の発行までが含まれるようになった。「見るだけは無料だからよかったら出願してね」という宣伝のために始められたOCWが,インターネット上だけで完結する学習機会へと発展したのである。この進化が周囲に与える影響は未知数ではあるが,「英語から日本語へ」,そして「見るだけから修了証の発行へ」と加速する動きは,「対岸の火事」では済まされなくなるだろう。

「画一的な情報提供者」から「良い学習支援者」へ

 こうした潮流から看護教育はこの先,どういう影響を受けるだろうか。国家試験に受かるための勉強であれば,インターネット上の無料公開講座で事足りるようになるかもしれない。実際,模擬試験などの練習は,人間が指導するよりは教材提供会社が作成したオンライン教材のほうが効果が高い(少なくとも効率は良い)とも言われている。それが無料になるのであるから,多かれ少なかれ影響はあるだろう。

 無論,看護教育は国家試験合格のみをめざして行われるものではない。手技を伴うスキルの育成,患者さんとのコミュニケーション力,あるいは看護に対するプロ意識の醸成や立ち振る舞いなど,人間を相手にする仕事だからこそインターネット上だけでは習得が困難な学びもある。それらを全てMOOCsで賄えるかどうかを考えることにはあまり意味がない。むしろ,人間が対面で教えなければならないことは何で,MOOCsなどの他の手段に任せたほうがより効果的で効率的なものは何かを区別することこそが重要だろう。そうすることによって,年々「教えなければならない事項」が増え続けてカリキュラムを圧迫している授業時間不足を解消し,注力すべきことを洗い出してメリハリをつけることが期待できるのではないだろうか。情報をインプットする時間が長くなりがちな講義中心型の授業の現状を見直すきっかけになれば良いと思うのである。

 落ち着いて考えてみれば,自作のテキストを使って授業をしている一部の教員を除いては,他者が書いたテキストを使って授業を行ってきた。テキストの解説を止めて,学習者が自分でテキストの中身を把握しようと仕向けたところで,教員の役割はなくならないだろう。つまり教員の役割は,学習者の学びに寄り添い,「私とあなた」の二人称の関係性を保って,学習者自らが学びを進められるように育てていく役割である。この役割は,学習者との間で三人称の関係性しか持ちえないテキスト執筆者やMOOCs提供機関には果たせるものではない。このことだけは,どんな時代が来ようとも変わることはないだろう。

 教壇に立つ教員が,学習者全員に画一的な情報提供をする役割を超えて,個々の学習者にとってより良い学習支援者になるように精進することが求められている。この役割変化への要請が,「反転授業」や「MOOCs」の到来で,より鮮明になっているのである。


鈴木克明氏
1987年米国フロリダ州立大大学院博士課程修了,Ph.D.(教授システム学専攻)。2006年より熊本大大学院教授・教授システム学専攻長(http://www.gsis.kumamoto-u.ac.jp/)。日本教育メディア学会会長,日本医療教授システム学会理事,日本教育工学会理事,教育システム情報学会理事のほか,指導技術に関する国際標準化機関ibstpiの理事も務める。主著に『教材設計マニュアル』(北大路書房)。

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