医学界新聞

 

〔連載〕
かれらを
痴呆
呼ぶ前に
「ボディフィールだー」出口泰靖のフィールドノート
    その8
  「私の世界」に招き入れることの巻
出口泰靖(ホームヘルパー2級/山梨県立女子短期大学助教授)


2569号よりつづく

「演出」と「演技」

 「洗濯物をとりこまなくちゃ。(家に)帰らないと」
 「私が代わりに取り込んでおきましたよ」
 「痴呆」とされる人の言動に対して,とりあえず調子をあわせておくことは,その人の不安や心配を解消する場合もあるかもしれません。ですが,こうした対応を続けていると,その場しのぎのおざなりな「ご都合主義」的あるいは「自己満足」的なごまかしやとりつくろいになっていないか,相手を「何を言ってもわからない」ものとして見切ってしまうことからくる嘘やだましになっていないか,と思ってしまう時もあります。
 もちろん,この嘘やだましには,その場しのぎのご都合主義で自己満足的なかかわりからくるおざなりなものとは異なった,「痴呆」とされる人に対する丁重な配慮に満たされたものもあるのでしょう。これは,ある意味で,「痴呆」とされる人たちとの関係を柔軟にかつ円滑にとりもつためのものといえるでしょう。こうした行為は,困惑している彼らの世界へ向けた「演出」ととらえた方がいい,という意見も聞いたことがあります。
 また,「ウソをつく,だます,ごまかす」というコトバの表現には,こちらから相手に向けて能動的にしかける行為,相手をコントロールするというニュアンスが濃くありますが,「相手の話にあわせる」「過去につきあう」といった表現で同じ行為をとらえると,かかわり手のほうが相手から受けとる,受けとめる,積極的に受動的になる,という意味合いが込められます。「痴呆」とされる人の世界に入り込む場合も,かかわり手のほうが演出するというよりも,「演出家」として,演出に自分の身をまかせればいい,ということになるのでしょう。
 しかし,この「演出」や「演技」も難しいものです。以前,寿司屋でバリバリ働いていた頃に「回帰している」ようにみえる人がいました。彼は僕を連れ歩き「倅をよろしく」と周囲に言い回っていました。その時,僕は「倅」を演じ,「どうぞよろしく」と笑顔をふりまきながら彼の世界にあわせていました。ただ,僕の笑顔は時にひきつっていたように思います。彼の「倅」がどういう人だったのかわからなかったため,「倅」を「忠実に」演じるにも限界がありました。

「ケアする人」役割を降りる――「ケアされるケア」

 グループホームで住み込んでボランティアをしていた時,「ケアされるケア」という言葉を知りました。
 「ケアされるケア」とは,「ケアする者(ケアスタッフ)がケアされる者(入居者)にケアされる。そのこと自体がケアされる者(入居者)ケアになっている」という関係性です。いわば,ケアスタッフが「ケアする人-ケアされる人」の役割関係から降りること,と言っていいでしょう。
 こうしたケア行為を行なっているところでは,ケアを担うスタッフが,ケアされる側の「痴呆」とされる人と「いっしょに時間を過ごし,いっしょに食べ,いっしょに動く」ように心がけられています。
 例えば,私が行ったことのあるグループホームでは,「痴呆」とされる入居者とケアスタッフたちがいっしょに浴衣を縫う時間があったりします。通常の施設ケアではこうした作業をする場合,ケアスタッフは作業を見守り,援助し,指導するような保護者的な役割を担うのみでしょう。しかし,この浴衣縫いの場合,「痴呆」とされる人たちのほうが「昔取った杵柄」でケアスタッフよりだんぜんうまいので,利用者である彼らからいろいろと教えを受け,学ぶ形となります。
 こうして「ケアする人-ケアされる人」の役割関係が逆転します。ケアする側がしてあげたり,手を貸すことが多い介護ではなく,逆にケアする側が「痴呆」とされる人にケアされ,しかもそのこと自体がケアになっているという摩訶不思議な現象が生じるのです(この現象,日常の友人関係,親子関係,夫婦関係だったら摩訶不思議でも何でもない些細なことだと思いますが)。
 「ケアする人」が「ケアされる人」からケアを受けることが,「ケアされる人」のケアにもなっているという「逆説」は,ある意味でケアする人が「能動的な主体としてケアを行なわなければならない」という殻を取り払い,「積極的な受動」として立つ姿勢が促されている気もします。
 しかし一方で,例えば以前できていた浴衣縫いの作業のうちの1つぐらい曖昧な場合があったり,次の工程に移ることを忘れていた場合,ケアスタッフからの「次はこうするんでしたっけ?」と次工程を示唆するような「さりげない」所作が必要となるかもしれません。そう考えると,「ケアする人」はやはり「ケアする人-ケアされる人」関係から降りておらず,むしろ「ケアする人」として「ケアされる人」役割を演じているということになってしまいそうです。

「赤井金吉さん(仮名)」のこと

 痴呆ケアでは,「痴呆」とされる人が過去に回帰しているのであれば,その回帰した世界に介護者は入り込んだほうがよいと言われています。では,介護者は「私の世界」に彼らを招き入れることはあるのでしょうか。
 とあるデイケアにおじゃましていた時,赤井金吉さん(仮名)という方と出会いました。僕が話しかけるとよく,「よろしくお願いいたします。日本の国土のために私は3千人の部下を率いて,あぶのうございました」と熱っぽく語っておられました。時には「赤井金吉,行ってまいります」とビシィッと手を頭にやって敬礼ポーズを決めて今から戦場におもむくような,いわば「回帰的」な振る舞いをされていた方でした。
 戦争中は職業軍人として朝鮮や満州で過ごし,32歳の時に終戦をむかえ,引き揚げの時,満州で金吉さんの部隊はソ連兵に捕まり,ソ連の捕虜として連れて行かれ,シベリアで抑留されていたそうです。この時,部隊長は,金吉さんらとは別にどこかへ連れて行かれ,代りに金吉さんが3千人の長としての責任を持たされました。その半年後,金吉さんの部隊は無事日本に帰還したそうです。
 金吉さんは「(軍人時代は)殴ったことも,殴られたこともございません」とデイケアにいる時,私に言っていました。ですが,呆けゆく様態を見せるようになってから,妻が外出すると「浮気をしている」と思い込み,その思いが高じて手が出てしまっていたこともあったとスタッフから聞かされました。

「痴呆」とされる人から「働きかけられる」ことの意味

 そのデイケアに滞在中のある日,僕が武術の心得があることから,入居者の前で演武のようなものを行なった時,金吉さんが私の肩をガッシとつかんで「あなたがケガをせんかと,ハラハラする思いで見ておりました。あなたの目はとてもキラキラしていた」と涙を潤ませて言ってくれました。骨太のガッチリした手でした。その後,私も軍事訓練で銃剣をやっていた,などとしばらく武道談義に華が咲いたのです。
 その時,僕は嬉しさの反面,今まで自分は何をしてきたのか,と恥ずかしさとショックが身体の中を駆け巡りました。それは,「痴呆」とされる人たちの言動を僕が受けとめることはあっても,僕の世界を彼らに見せたことがなかったのでは,と痛く感じたからです。つまり,「呆け」ているからといって本人は何もわからないわけではないと頭では理解しようとしていながらも,フィールドワークでの僕のふるまいは,依然,「呆けているから,自分の世界を見せても覚えてくれないし,何も感じ取ってくれないだろう」という思い込みを,その身体に浸み込ませてきたのではないかと思ったのです。
 満州での戦争やシベリア抑留といった極限体験を経てきた人が,浅はかなフィールド体験しかしていない僕のような人間をほめてくれたことに,どうしようもなくいたたまれない恥ずかしさが,僕の胸を突き刺しました。
 痴呆ケアでは「痴呆」とされる人たちに「どう言葉がけをすればよいか? 働きかければよいか?」ということはしばしば考えられています。しかし,かかわる側としての僕が彼らから働きかけられたりすることにどういう意味があるのか,そもそもそういうことが日常的にどれくらいあるのか。金吉さんから言われたあの一言とガッチリした手を思い出すたび,フト考えることがあるのです。

【著者紹介】  ホームヘルパー2級の資格を駆使して,痴呆ケアの現場にかかわりながらフィールドワークを行なう若手社会学者。自称「ボディフィールだー」として,ケア現場で感じた感覚(ボディフィール)を丹念に言葉にしながら,痴呆ケアの実像を探る。