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●しりあす・とーく

第11回テーマ

医療におけるジェンダー・イッシュー
-仕事と家庭の両立を考える(前編)

出席者(発言順)
郷間 厳〈司会〉(神戸逓信病院・内科主任医長)
松下 克子(北野病院・産婦人科副部長)
岸 誠司(兵庫県立尼崎病院・腎臓内科)


郷間 私は1987年卒で,天理よろづ相談所病院で初期研修を始め,シニアレジデント内科ローテートを修了し,呼吸器内科のスタッフとして勤務後,2000~2002年にアメリカへの留学を経て現在の病院で働いております。

■厳しい時代の医師の家庭生活

郷間 さて,みなさんも感じていらっしゃると思いますが,医療をめぐる昨今の環境は非常に厳しいものがあります。在院日数の短縮,医療安全対策の強化などに加え,医療には厳しく質が求められる時代になってきました。特に勤務医の業務量は非常に増えています。

 一方で,医師といえども家庭生活や育児をおろそかにできるわけでもありません。近年,社会環境の変化により医療分野への女性の進出はめざましく,必然的に出産・育児と仕事の両立の問題が生じており,男性医師であっても,かつてのように奥さんは専業主婦がほとんどという時代ではなくなっているため,家事や育児への参加が求められる場面も増えてきています。私も子どもが2人いて,けっこう苦労してきました。

 子育ては奥さんに任せきりという人も多いかと思うのですが,私の場合は妻も医師で,お互いに分担しなければいけないという条件もあり,また積極的に育児にかかわりたいという気持ちもあったため,どれだけできるかともがきながらやってきたところがあります。本日はそのような私的な体験もお話させていただきながら,皆さんのお話をうかがいたいと思います。

松下 1990年に,郷間先生と同じく天理よろづ相談所病院にレジデントとして採用され,2年間はジュニアレジデントというかたちで総合病棟にいました。そこでいまのローテーターに近いかたちで研修を受けました。3年目から,産婦人科のシニアレジデントとして4年間在職したあと,京都大学の産婦人科の医局に入局し,そこで研究生をしました。その時期に子どもを出産しました。

 子どもの病気のために,保育園に普通にあずけることができない状況となり,縁ありまして,滋賀県の彦根の開業医のところへ移りました。そこで2年半勤務した後,2003年1月から北野病院の産婦人科にお世話になっています。

郷間 松下先生には,非常に厳しい環境のなかで仕事も育児もしっかりされているということで,ぜひお話をお聞きしたいと,無理に出席をお願いしました。

■女性医師に生じやすい問題

 兵庫県立尼崎病院の内科の岸といいます。2000年卒です。初期研修は市立舞鶴市民病院で内科一般の研修を2年弱行い,麻生飯塚病院で3か月の麻酔科の研修を経て,2002年10月から腎臓内科の専攻医を経て現在に至っています。いま,新医師臨床研修制度の研修医をいちばん近いところで指導する立場にいます。

 プライベートなことですが,昨年5月に結婚しまして,妻も内科医です。いま,大阪のある病院で内科のレジデントをやっています。

 私の育った環境には,当たり前に同年代に女性医師がいて,どちらかというとかなりバイタリティにあふれた女医さんが多かったように思います。ただ,皆が皆同じ価値観や職業意識をもっているわけではないので,現在の立場上,いろいろ考えていかなければいけないこともあると思っています。

郷間 医療の現状から女性医師にどのような問題が生じやすいと感じていますか。

 いまでも,例えば外科,内科であれば循環器内科など,男性が優位にみえる診療科があると思います。私が学生のときの経験ですが,女性医師の受け入れに対して難色を示すところがありました。女性の場合は,結婚や家庭をもつことによって,医局人事ということに関して勤務地を動かしにくいということを聞いたことがあります。

 最近聞いた話では,別の病院のレジデントが,大学院の進学を考えていて,大学の教授に挨拶に行くと,博士号を取るまで出産は控えてくれと言われたといいます。また,プライベートなことですと,ともすると男性医師が主しゅになって,女性医師が従じゅうになりがちだということもあります。

郷間 家庭でのバランスということですね。

 ええ。夫が留学するので,女医さんは自分の仕事をいったん休んでついていくとか,自分のやりたいことよりもパートナーのやりたいことを優先する。比較的年代の近い医師で,そういう選択をされた方がいます。

■医師の3人に1人は女性という時代

診療科によって差も

郷間 科の選択のときに,女性が行きにくいとか,はっきり「女性はお断り」「女性はいらない」という科も,いまだにあるという話を聞きますね。そうはっきり言わなくても,柔らかく断っているようなところが,まだまだあるということですね。もちろん,私の世代には,そういうことがおおっぴらにありました。しかし,女性医師が1/3を占める時代に,最初から男性だけ集めようというのは,姿勢として問題があるように思います。松下先生はいかがですか。先生ご自身の科の選択のときに,あるいは,ご友人のケースなどでお考えになられたことはありますか。

松下 入局などのときにはなかったように思います。ただ,現実の人事異動の話を聞いていると,例えば「うちの病院には,女性は送らないでくれ」という科もあると聞きます。ただ,産婦人科は女性が非常に増えているので,そういうことを言っていると現実に医療が成り立たなくなってきています。そのあたりが,そのほかの外科系とは状況が違うと思います。

 ただし,外科系の中でも脳外科は女性医師に対しての再教育を学会レベルで一生懸命やっておられるようです。

郷間 インターネットで見つけたのですが,日本脳神経外科女医会というのがありますね。科ごとの取り組みには,違いがあるんでしょうね。

松下 かなり温度差があると聞いています。北野病院の腎臓内科部長の武曾恵理(むそうえり)先生や数名の女性医師が中心になって,女性医師が出産・育児で離職してしまうことをなんとかできないかということでEJネットというNPOを立ち上げておられ,女性医師や女性医師の採用を望む病院のために活動しておられます。

郷間 厳しい状況のなかにも,身近なところでそういう動きがあるんですね。

松下 そうですね。武曾先生も,科によって取り組みが違うとおっしゃっていました。産婦人科は女性が多いので,かなり前から声はあがっていたのですが,実際には何も進んでいない状態です。一方,脳神経外科は比較的女性が少ないように思われますが,現実的な動きがなされているようですね。

郷間 心強いかぎりですね。

 最初から「女性は要らない」というところは,さすがに今後少なくなってくるでしょうが,医療機関の経営環境も厳しいなか,「妊娠・出産は待ってくれ」とか,そういう話は暗黙のうちに残ってしまうかもしれない。岸先生は,そのようなことで困ったという話を聞かれたことはありますか。

■女性医師を敬遠していては病院の運営が成り立たない

 直接には聞いたことはありません。私は,卒後6年目になるのですが,私と同年代,つまり卒後4~8年ぐらいの,初期研修医と10年以上のベテランスタッフの間を埋める年代の人に,以前から研修制度が整備されている有名な病院を除くと,市中病院ではあまり会わないのです。大学院に通ってるのかなと思うんですね。ですから,あまり病院側が「女性はいらない」などと言っていると,30歳前後ではすでに女性医師がかなりの比率を占めているので,必要な人材が確保できなくなり,病院の運営が成り立たなくなるおそれがあるのではないかと思うのです。

出産・育児と臨床研修

 やや話がずれますが,私の知るある内科のレジデントの先生は,研修2年目の途中で出産されて,産休を取った後,職場復帰されました。実質上,卒後年数は1年長いのですが,医師としてのキャリアは1年短いので,その女性医師を研修医としてみるのか,専攻医,レジデントレベルでみるのか,その扱いについての議論があったそうです。復帰後の処遇やフォローについては,検討の余地があると思います。

 また,率直なところ,私が当直をしていて,彼女の患者さんが急変したときに,夜中で申し訳ないと思いながらも電話をすると,電話ごしにお子さんの声がしていて,呼び出すのがしのびないなあと思うことがあります。

郷間 ご指摘のとおり研修と出産・育児という問題もありますね。20代後半は,いわゆる“適齢期”ですから,結婚・出産・育児が研修と重なったときにどうするか。女性医師の人数が増えてきた今,「研修の間の出産は待ってくれ」と決めてしまうのは,現実的に難しいでしょうね。私の認識では,初期研修の2年は,集中して研修するためになんとか我慢して出産しないほうがいいのではないかとかつては思っていました。現在の態勢では岸先生のおっしゃったような問題が正に生じてしまうのですが,今後は研修中の妊娠出産への対応も含めて考えるべき問題になるだろうと思うようになってきました。

(つづきは本誌をご覧ください)


郷間 厳氏
1987年大阪市立大学卒。天理よろづ相談所病院で,シニアレジデント内科ローテートコースまで5年研修後,呼吸器内科で勤務。2000年に米国アラバマ大学バーミングハム校にて粘膜免疫の研究室に留学し,基礎的な知識や研究の視点の大切さを知る。2002年より現在の病院に勤務。呼吸器を中心に内科全般と栄養サポートや感染対策などにも努力している。

松下克子氏
1990年奈良県立医科大学卒業。卒業後すぐに天理よろづ相談所病院にジュニアレジデントとして採用となる。3年目より産婦人科シニアレジデントとして4年間研修後,京都大学産婦人科教室に研究生として入局。98年より4年間滋賀県の開業医に勤務。現在は産婦人科副部長として大阪市の北野病院に在職中。

岸 誠司氏
2000年徳島大学卒業。市立舞鶴市民病院内科研修医(うち3ヶ月間を麻生飯塚病院麻酔科で研修)を経た後,兵庫県立尼崎病院内科専攻医を経て現職。舞鶴市民病院内科研修後もそのスタイルを崩すことなく,研修医教育にもかかわり,内科ジェネラルと専門性の両立のできる診療を行える腎臓内科専門医を志す。