第6回テーマ
終末期医療と医師の倫理
(後編)
出席者(発言順)
尾藤 誠司
国立病院機構東京医療センター・総合診療科
国立病院機構本部研究課・臨床研究推進室長
田中まゆみ
聖路加国際病院・内科 |
(前号よりつづく)
尾藤 ここからは,延命のための医療行為を開始しないということ,つまり「医療の差し控え」ということと,延命のための医療行為を中止すること,つまり「医療の中止」といこうことについて話をしたいと思います。
■アメリカ流とイギリス流
「事前指示」か「医師の徳」か
尾藤 田中先生は,患者さんの意思をどれだけ医療に反映できるかは,非常に難しいということをおっしゃいました。先生は,アメリカで医療をされていますが,アメリカはその問いに対しては事前指示をとにかく普及させようという姿勢です。かたや,われわれがよくモデルとして引き合いに出すイギリスでは,むしろプロフェッショナルが患者本人の“best interest”を「徳」というものをもって査定して,「やりなさい」という,そういう形がとられています。
両方ともわかりやすく,「アメリカ的な考え方だな」,「とてもイギリス的な考え方だな」と思うんですが,アメリカとイギリスの考え方がはっきりと分かれていることはなかなか珍しいと思うんです。
翻ってわれわれの国で,事前指示を普及させよう,あるいは,医師が徳を高めて患者さんの利益をしっかり査定しようとか,というのはどんなものでしょうか。
米英における皮肉な結果
田中 私のおりましたアメリカの病院では,研修医のかなりの人数が,イギリス経由でアメリカに来たインド人医師でした。彼らのイギリス医療に対する見かたには非常にバイアスがかかっていました。イギリスの医療に反対だからアメリカに来たという方がほとんどでした。私が非常に興味深く思ったのは,例えばイギリスでは,人工透析を始めるにあたって,非常に厳しい年齢制限が設けられています。
尾藤 たしか,60歳でしたね。
田中 驚くような若い年齢で,「人工透析を始めない指針」というのが成文化しているんです。ところが,彼らに言わせると,医師が一筆書くことによって,それはほとんど空文化しているというのです。だから,何歳の人にもどんどん人工透析はしているというわけです。
一方,アメリカで何が起こっているかといいますと,これはほんとうに皮肉な話なんですけれども,アメリカでは腎臓の移植が容易にできるんです。いま,いちばんアメリカで華やかなのが生体腎移植なんです。生体腎移植が奨励される限り,患者さん本人は透析をしなくて済むし,保険会社については,cost effectiveness(費用効果性)で証明されているとおり,移植してもらうのは安上がりな医療になるわけです。ですから,人工透析に代えて,移植医療をどんどんやろうという雰囲気さえ,アメリカにはあるのです。
そこで何が起こってくるかというと,ドナーが不足する。もともと死体の腎が不足しているから,生体腎移植になるわけですが,知り合いや親類,あるいはまったくの義侠心や善意から,自分の腎臓を半分あげるということを申し出る人というのは,統計的な事実として,ほとんどが白人です。
それを見ている,いわゆるカラード(有色人種)の人がどう思うかというと,移植はいちばん安上がりの医療で,すべての人が受けるべき医療ですが,黒人の人たちからみると,自分たちはその医療から阻害されていて,しかもこれにまた“conspiracy theory”(謀略説)が加わり,「自分たちがそういう医療から阻害されているのは,差別されているからだ」と,人工透析すら嫌がる人がいるわけです。つまり,「それは貧乏人の医療だ。なぜ自分に腎をくれないのか」と,その医療の不平等に対して抗議するわけです。また,黒人の人工透析成績は非常に悪いのです。これはコンプライアンスが非常に低いためです。
彼らは,人工透析に回されること自体に,差別された医療だというような見かたをもっていて,医療に協力してくれないんですね。それによって,医療費はまたどんどん高騰していくという皮肉なことが起きているわけですけれども,この事実1つをとっても,患者さんの医療に対する不公平性がいろいろな場に反映するということがわかるのですが,それがまた終末医療においても出てくるんです。
リビング・ウイルという幻想
田中 アメリカでは,かなり満足した人生を送ったような方にリビング・ウイル(生前発効の遺言書)とか,アドバンス・ディレクティブ(事前指示書)を頼むのは非常に容易ですが,自分たちが差別されていると思っていたり,十分な医療を受けてこなかったという人々にそれを頼むのは至難の業です。彼らはそういうことを受け入れません。ですから,アメリカでリビング・ウイルとか,アドバンス・ディレクティブをしましょうという運動は,貧困層からは大変な反感と皮肉をもって受け止められています。
彼らは,それが医療費抑制のためであることをとっくに見抜いておりますし,code statusを“DNR(do not resuscitate)”(心肺蘇生を行わない)にしたとたんに,自分たちは医療から阻害されるという疑いがありますので,誰もそれに同意しない。しかし,善意のリビング・ウイルやアドバンス・ディレクティブが機能しない,不公平な医療が行われているという点で,私は彼らの気持ちがよくわかります。
(つづきは本誌をご覧ください)
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尾藤 誠司氏
1990年卒。現在の長崎医療センターで研修中普賢岳の噴火を契機に医療に目覚める。その後東京,佐渡で臨床を行った後,1995~1997年に渡米。医療サービス学と医療倫理を学ぶ。1997年より現職。本年4月から独立行政法人国立病院機構本部研究課・臨床研究推進室長を兼任。夢は,「話し合う医療」と「ひどくない医療」をどこに行っても受けることができる世の中の実現。 |
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田中まゆみ氏
京大卒。天理よろづ相談所病院,京大大学院を経て渡米。マサチューセッツ総合病院,他でリサーチフェロー。ボストン大公衆衛生大学院修了。2000年よりコネティカット州のブリッジポート病院で内科臨床研修。2004年より聖路加国際病院勤務。著書に,『ハーバードの医師づくり』(医学書院)がある。本誌に「危険がいっぱい-ケーススタディ・医療過誤と研修医教育」を連載中。 |
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