第5回テーマ
終末期医療と医師の倫理
(前編)
出席者(発言順)
尾藤 誠司
国立病院機構東京医療センター・総合診療科
国立病院機構本部研究課・臨床研究推進室長
田中まゆみ
聖路加国際病院・内科 |
■延命治療-臨床現場からの問い
尾藤 私は,研修医時代を長崎で過ごしました。普賢岳の噴火があったころで,まさに救命救急の火事場の中いるような感じでした。そこで,生命ということについて考えるところがあり,ジェネラリストを目指そうと思い,後期研修で東京の病院へ来ました。
当時の私は,卒後4年目だったと思いますが,そこで,もともと慢性的に低肺機能状態だった80歳のおばあさんと出会いました。その方が肺炎を起こされて,呼吸不全が非常に強い状態で,一時的には人工呼吸器を使いました。なんとか2週間ぐらいで肺炎は治って,人工呼吸器を外していこうとして,すごく頑張ったのですが,どうしてもうまく外せないわけです。
「もう十分なので殺してください」
尾藤 「これが治ればまた元気に生活できるのだから,頑張ってくださいね」とおばあさんを励ましながら,気管切開もして,人工呼吸器を外そうと頑張っていたわけです。おばあさんも,落ち込みながらも「あなたがそうまで言うんだったら頑張るわ」みたいな感じで治療に付き合ってくれていたんですが,ある日,とてもにこやかなお顔で私を呼ぶんです。
「何ですか?」
と聞いたら,紙に,
「もう十分なので殺してください」
と書いてあるんです。
そのときは,非常にショックでした。何にショックを受けたのかよくわからないのですけれども,とにかくショックを受けたのです。何をおばあさんに言えばいいのか,さっぱりわからなくなって,混乱してしまいました。ただ,直感的に,「そんなことを言っちゃダメですよ」というようなことは言ってはいけないと思いました。
結局,私は,そのおばあさんに対して,自分の心の中でも折り合いのつくような説明ができずに,「なんとか頑張れませんかねぇ」「きっと,人工呼吸器なしで過ごせると思うんですけど……」というふうにお茶を濁しながら治療を続けて,いまから考えると現状維持が精一杯でした。
医者として何を根拠に判断したらよいのか?
尾藤 結局,その方は亡くなられてしまいました。そのころのおばあさんに,やはり苦痛はあったのだと思います。しかし,それは癌の痛みのような激しい苦痛ではなく,また,うつに対する治療もさせていただいていました。そのときに,私はどういうふうに彼女と接すればいいのかについて,まったく混乱していたわけです。そしてそれ以上に,自分の心の中で,医者としてどういう判断を下していけばいいのかということと,その判断は何を根拠にしたらいいのかということについて,完全に混乱していました。
その混乱の経験のあと,私は佐渡島へ赴任しました。そこには,都会の医療とはぜんぜん違う医療がありました。鼻からチューブで人工的に栄養剤が注入されている寝たきりの人たちがたくさんいて,ご家族にもいろいろな方たちがいる。そんな中で,医療者の役割とはどういうものなんだろうということをすごく考えました。考えながら10年ぐらいが経ってしまったという感じです(笑)。
では,いま,自分の中で折り合いがついたのかというと,ぜんぜんついていない。しかし,成長していないのかというと,そうでもなくて,最近わかったのは,折り合いがついていないということは間違った状態ではないということです。そして,成長した部分があるとすれば,自分は何について混乱していたのかがわかってきたということで,いま,自分の中で結論が出ないことを,逆に結論が出ないからこそ,いろいろな混乱は皆で共有することが必要なのではないかということを考えている次第です。
■誰も答えを知らない
われわれの立っている位置
田中 いわゆる末期医療や延命医療といわれるものはグレーゾーンであって,誰も答えを知らない。答えを知らないまま,事件だけが先行して,裁判官も困っているわけです。裁判官は,医者にボールを投げ返しているのに,医者のほうがそのボールを投げ返さなかった。医学界,医療界が社会的責任を果たしてこなかったわけです。これは,大きな意味でわれわれのプロフェッショナリズムとして,恥ずかしいことだと思いますし,これにきちんと向き合って,「どうしましょうか」と,社会に問うていく姿勢を,いま示さなかったら,もう誰も医者を信用しなくなるのではないでしょうか。
それが,いま,われわれが立っている位置のような気がします。といいますのも,いろいろ小さな判決はあったのですが,いちばん画期的な判決は,カリウムを静注したという,いわゆる「東海大安楽死事件(以下,東海大事件)」(編集室注1)だったと思います。ある意味で,司法が医療に対して真摯に,「こうしなさい」というカードまで見せてくれた事件だったと思うんです。
ところが,それから8年以上経つわけですが,ずっと医療界は返事を出さずにいて,昨年ようやく日本医師会が「医師の職業倫理指針」(日本医師会雑誌131巻7号付録,2004)という形で返事を出したと思ったら,今度は非常に残念なかたちで羽幌病院での事件(以下,羽幌病院事件:編集室注2)が起きてしまった。この経緯を,私なりにかいつまんで整理してみたいと思います。
裁判官は何にいちばん驚いたか?
田中 東海大事件の判決の中で,裁判官がいちばん驚いているのは,医療界・医学界・大学病院のどこをみても,このようなケースについての真摯な話し合いがもたれた様子もないし,ルールもないようだ,という点です。その中で,経験の浅い,まだ若い医師が,患者の家族から詰め寄られるかたちで毎日を過ごし,ひとり追い詰められてあのような行為に及んでしまったわけです。横浜地裁で判決が出て,検察は殺人罪で起訴していますから,最低の量刑は懲役3年です。ところが,裁判官は,いままでの医療界・医学界・大学病院が,そういうことをまったく放置しており,かつ,家族の要求が非常に強かったという2つの事情を斟酌して,その医師に対して執行猶予付きの懲役2年という,非常に軽い量刑を下したわけです。
そして,検察もそれで満足したわけです。「これでは甘すぎる。殺人罪は懲役3年のはずなのだから,これはおかしい」とは言わなかった。もちろん医師側も 控訴をしなかったので,地裁で結論が出てしまいました。
本当でしたら,こういう生命倫理にかかわる重大な判決というのは,上級審の判例までいかなければ,法律と同じような拘束力はもたないのが慣例です。それなのに,地裁での判決がいまだに唯一の判例になっているんですね。これは非常に異例のことで,法曹界の方と話しますと,真っ先に「これは地裁の判決なんだ」と言われます。つまり,これが上級審のように,法律に近い形の拘束力をもつのかどうかということは,純粋に法律論でいうならば疑問があるということです。
■判決が医療界に投げかけたもの
医療界のカルチャーへの驚き
田中 この判決が出てから,8年ものあいだ,医療界は何もしていない。怠慢とまでは言いませんが,なぜ大学病院も,医療の現場も,こうした末期の医療についてのルールのようなものをつくってこなかったのか,裁判官が問うていることへの答えを出してこなかったということは,非常に大きな問題だと思います。
この事件で,いわゆる「安楽死」問題が云々されるようになりましたが,実はそれ以前に裁判官は,われわれ医療界,あるいは大学病院のカルチャーというものに非常に驚き,しかし諭すように,噛み砕いていってくれているわけです。判決内容をよく読んでみますと,裁判官がこういうときに医者に求めているのは,患者本人の意思を尊重すること,それがわからないときには,家族が患者にとって最善のことを考えて推定した場合の患者の意思を知ること,かつ,どの家族が最善の代理推定ができる立場にあるのかということまで踏み込んだ情報の収集をすることです。患者本人の場合も,患者がどういう性格の人か,どういうものの考え方をするのかをふまえるべきであるということを噛んで含めるように書いています。
ところが,判決のそういう部分はほとんど,いま,人口に膾炙することはなく,「積極的安楽死」の4要件や「消極的安楽死」(編集室注1)という言葉ばかりが独り歩きしてしまっている。けれども,あの判決で,地裁の判事が「患者本人の意思」「家族による患者本人の意思の最善の推量」という原則を提示してくれているのです。それをきちんと受け止め,それに答えようとしてこなかった医療者の責任というのは,非常に重いものだと思います。
■司法が医療に求めたもの
田中 ようやく2004年,遅まきながらそれに答える形で,「医師の職業倫理指針」が作成されました。そのなかには終末期医療に関する内容があり,それは東海大事件の判決に沿ったものになっています。ただし,「本人の意思」ということに関連して,話の軸が「告知」のほうに少しずれています。
本人の意思といったときには,東海大事件でも,本人があらかじめ文書で示したものがないときには家族が推定してよいとしているわけですが,インフォームドコンセントとか,癌の告知のときに,本人の意思はどうだったのか,告知してほしかったのか,してほしくなかったのか,しない場合の告知の相手は家族がいいのかというようなもう1つの判決が出ていますので,ここで触れざるを得ないと思います。
「意思決定」と「判断能力」
田中 これは秋田成人病医療センター事件というものですが,この最高裁判決が2002年に出ております。そこでは,癌の告知と関連して,本人の判断能力というものを非常に問題にしています。本人の判断能力を評価するための情報を収集する責任,これも医師にあり,医師は,本人に判断能力があると考えたならば,すべての医療情報の告知は本人にすべきであるということが,判決のなかではっきり述べられています。そして,本人に判断能力がないときには家族に告知をするわけですが,「誰に告知するか」についての情報を集めるのもまた,医師の責務であると言っています。
ここには,終末期医療の意思の決定者について,司法の判断がはっきり示されていると思います。「判断能力のある」成人には自己決定権があるということ,そして,医師が「(この患者には)判断能力はない」と思った場合に,誰が患者の代わりに決定してくれるかを決める,その情報を収集する義務が医師にはあるということです。
これは,東海大事件よりもずっとあとの判決なのですが,東海大事件のときにいわれた,「どのように本人の意思を斟酌するか」ということと見事に噛み合っていて,司法が医療に対して「こうしなさい」ということはすべて示されているわけです。
また,本年4月から施行された個人情報保護法においても,判断能力のある成人は自分の個人情報を自分で管理する権利があるとされていますから,患者が「判断能力のある成人」ならば,患者本人に知らせずに家族にだけ知らせるというようなことは,倫理的に正しくないだけでなく,個人情報保護法違反になります。
明日われわれが起こすかもしれない
尾藤 東海大事件でも,最近の羽幌病院事件(編集室注2)でも同じですが,いちばん大きな問題点は,医師個人の“粗相”というようなことでまとめられてしまっているところだと思います。どちらのケースをとっても,これはひょっとしたら,私や私の同僚が明日起こしてしまうかもしれないことなのです。なぜかというと,例えば羽幌病院事件の担当医だった人は,話を聞く限りではいわゆる“いい人”だったのではないかと思えるわけです。どう考えても,悪魔のような人ではないのです。
田中 私の聞いたところでは,長年の主治医だったそうですね。
尾藤 ええ。そういう意味では患者さんに対する愛情もあったのだと思います。何が欠けていたかというと,おそらく,普通に倫理的判断をしていくプロセスのなかに,倫理の専門家からみれば,大きな問題があったのだろうと思います。ただ,それはその担当医の勉強不足とか,研鑽が足りないとかの問題ではなくて,明らかに日本の医療者,特に医師全体の問題として受け止めないといけない問題だと思います。
(つづきは本誌をご覧ください)
〔編集室注1〕 東海大医学部付属病院(神奈川県)で91年,同院医師が末期がん患者に塩化カリウム製剤などを注射して心停止させた事件。横浜地裁は95年3月,殺人罪に問われた医師に有罪判決を言い渡し,安楽死の4要件と治療行為中止(尊厳死)の3要件を示した。
安楽死の4要件:(1)耐え難い肉体的苦痛があること,(2)死が避けられずその死期が迫っていること,(3)肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと,(4)生命の短縮を承諾する明示の意思表示があること。
治療行為中止の3要件:(1)治療不可能で,死が不可避な末期状態,(2)中止を求める患者の意思表示があること(家族による推定も含む),(3)死期の切迫の程度などを考慮し,自然の死を迎えさせる目的に沿って中止を決めること。
前者は「積極的安楽死」,後者は「消極的安楽死」と呼ばれたこともあったが,そのような用語が不適切であるとの議論もあり,最近ではあまり使われない。
〔編集室注2〕 北海道の道立羽幌病院で2004年2月,循環器内科の医師が,食事をのどにつまらせ心肺停止状態で搬送された90歳の男性患者の人工呼吸器のスイッチを切り,患者を死亡させていたケース。患者の家族の了承は得ていたが,警察は回復の見込みがないとした判断が不十分として,殺人の疑いで医師から事情を聴いた。患者は,同医師による心肺蘇生措置により,心臓は動きだしたが自発呼吸は戻らなかった。
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尾藤 誠司氏
1990年卒。現在の長崎医療センターで研修中普賢岳の噴火を契機に医療に目覚める。その後東京,佐渡で臨床を行った後,1995~1997年に渡米。医療サービス学と医療倫理を学ぶ。1997年より現職。本年4月から独立行政法人国立病院機構本部研究課・臨床研究推進室長を兼任。夢は,「話し合う医療」と「ひどくない医療」をどこに行っても受けることができる世の中の実現。 |
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田中まゆみ氏
京大卒。天理よろづ相談所病院,京大大学院を経て渡米。マサチューセッツ総合病院,他でリサーチフェロー。ボストン大公衆衛生大学院修了。2000年よりコネティカット州のブリッジポート病院で内科臨床研修。2004年より聖路加国際病院勤務。著書に,『ハーバードの医師づくり』(医学書院)がある。本誌に「危険がいっぱい-ケーススタディ・医療過誤と研修医教育」を連載中。 |
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