HOME雑 誌medicina連載一覧48巻8号(2011年8月号) 連載●今日の処方と明日の医学
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●今日の処方と明日の医学

第15回

【薬剤疫学】をめぐる米国の政策誘導

[特別寄稿] 瀬戸口聡子(デューク大学/東京大学薬剤疫学講座)
監修 日本製薬医学会


比較効果研究(CER)と患者中心のアウトカム研究(PCOR)

 米国は医療費が世界で最も高額であるだけでなく,5,000万人弱の無保険者を抱えています.医療費の高騰を抑え,医療の質を向上させる解決策を臨床研究に求めた米国政府が,2009年に計上された景気悪化支援策予算のうち11億ドルを治療・診断・各種医療サービスの比較効果研究(comparative effectiveness research:CER)に割り当てたのは記憶に新しいところです.その後,オバマ大統領のヘルスケア改革でNPO法人,PCORI(Patient-Centered Outcomes Research Institute;患者中心のアウトカム研究所)が設置され稼動し始めました.PCORIは,質の高い,効率的な予防,診断,治療を患者に提供するためのエビデンスを構築し,ユーザー(患者,医療関係者,政治家など)に情報を提供することを目的としたCERを実施することがミッションです.

 PCORIは,2014年から年間5億ドルの資金で運営することが予定されており,その運営費の大部分は,CER支援にあてられ,何らかの研究資金メカニズムを介して,CERを行う研究者に委託するようです.

 観察研究の手法をつかってのCER研究は,薬剤疫学で広く行われてきた安全性研究よりも,バイアスのコントロールがさらに難しくなります.しかし,安全性研究で確立されてきた理論や手法はCER研究にも当然適応されます.コストや倫理的問題を考慮すると,すべての重要な臨床・比較効果の疑問を無作為比較対照試験(randamized controlled trial:RCT)で答えるのは不可能です.そこで,薬剤や医療機器の妥当なCER研究を行うために薬剤疫学手法が必要になることは明らかで,この米国政府主導のCERへの取り組みは,薬剤疫学のパラダイムと薬剤疫学者の役割を拡大し続けているといえます.

薬剤疫学データソースの拡大

 薬剤疫学やアウトカム研究などの臨床研究は,日本は欧米と比較すると多少遅れをとっているといってもいいかも知れません.その最大の原因の一つは,大規模データベースが存在しなかった,あるいは,あってもアクセスが限られていたことでしょう.薬剤疫学では,政府や民間の保険データ(日本でいうレセプトデータ)が広く使用されています.その理由としては,保険データが,(1)大規模であり,稀な臨床イベントも観察できる,(2)ポピュレーションベースであり,RCTのように選択的な患者でなく,副作用の危険の高い高齢者や小児,併発疾患の多い者も含まれる,(3)薬の調剤データを含み,詳細かつ時系列な薬剤使用データが利用できる,(4)長期にわたって,死亡や入院などの臨床的に重要なアウトカムが比較的正確にわかる,などが挙げられます.

 このように利点も多い保険データの最大の欠点は,臨床データ(患者の病歴,身体所見,検査結果など)がなく,診断の正確性と重症度や併発疾患が不明であることです.このため,保険データを使った研究で交絡や選択バイアスが避けられない場合もあります.また,イベントによっては,保険データで正しく同定できないものもあり,情報バイアス源となることもあります.このような欠点を克服するため,近年,レジストリ(疾患,薬剤,医療機器登録のデータ)や大規模コホート(Framingham cohortなど)と保険データをリンクして,安全性研究やCERに使用する試みが盛んになってきました1,2).AHRQ(医療研究・品質調査機構)とCMS(米国保健福祉省)の双機関からの委託で筆者がリードしている研究では,埋め込み型除細動器と頸動脈ステントの効果比較を行っています.この研究では,全米のMedicareの保険データと複数のレジストリをリンクし,双方の利点を併せもつ研究データベースの使用によって,バイアスのよりよいコントロールを試みています.

 このデータソース拡大の動きは政府のヘルスITへの支援とあいまって,さらなる発展を遂げようとしています.前述の2009年のアメリカ再生再投資法ではヘルスケアITに約200億ドル支援の合意を取りました.その支援の一部は,政府の基準(Meaningful Use基準)3)に見合った電子カルテシステム(Electronic Health Record;EHR)を採択した開業医に対して4万4千ドル,病院に対しては10~20万ドルのボーナスを支払うためにあてられます.オバマ大統領は当初,2014年までに100%の使用率を目指しました.その時点で,開業医の20%,病院の10%が何らかのEHRを導入しており,このうちMeaningful Useの基準に見合うシステムは,1/3以下でした.2010年10月(2011年会計年度)から始まっているこのインセンティブがEHRの普及をどの程度促進するか関心がもたれます.EHRには,診療目的で集められた検査結果や画像データを含む詳細な臨床情報が存在します.オバマ政権の主導のもとEHRの普及が進めば,ポピュレーションベースのEHRデータベースを利用し,近い将来クレームデータとEHRベースの複合大規模データベースの活用が可能になり,薬剤疫学研究やCERのさらなる発展が見込まれます.今後の薬剤疫学者に期待される役割は,このような新しいタイプのデータの使用にかかわるさまざまな問題点をいち早く同定し,手法を確立していくところにもあると言えるでしょう.

文献
1)Setoguchi S, et al:Statins and the risk of lung, breast, and colorectal cancer in the elderly. Circulation 115:27-33, 2007
2)Hernandez AF, et al:Clinical effectiveness of implantable cardioverter-defibrillators among Medicare beneficiaries with heart failure/clinical perspective. Circ Heart Fail 3:7-13, 2010
3)Blumenthal D, Tavenner M:The "Meaningful Use" regulation for electronic health records. N Engl J Med 363:501-504, 2010


日本製薬医学会(JAPhMed)とは
製薬企業の勤務医を中心に40年前に発足,現在は一般財団法人として大学・医療機関や行政に勤務する医師も含む約220名余の会員からなり,製薬医学(創薬から臨床開発・市販後のエビデンス構築にわたる医学の専門科)の確立を推進する医学会です.(http://www.japhmed.jp/