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●今日の処方と明日の医学 | |||
第10回 【有意義な臨床研究】とは 佐藤裕史(慶應義塾大学医学部クリニカルリサーチセンター)
診療・研究の進歩と専門の細分化に伴って,学術雑誌や学会の数は増加の一方です.論文の参照はインターネットで容易になったものの,検索エンジンと苦闘してもなかなかこれぞと思う論文には辿り着きません.診療に直結する切実な疑問にぴたりと焦点を合わせた臨床研究がすでに行われているのか,苦労して探し当てた先行研究が信頼に足るものか――指数関数的に増える研究成果を適切に取捨選択し,有意義なものを見定めることは,自分自身がresearch questionを立てて研究を進めるうえでも必須です.本稿では,こうした状況下で求められる臨床研究の今日的意義を論じます. 臨床研究の意義とは何か日常診療からはさまざまな疑問が次々生じます.上級医に問えば即答の得られるものもありますが,成書や文献に答えの見当たらない疑問は,初学者の想像を遥かに超えて山積しているものです.あるいは,診療から生まれた創意工夫が,思いがけない大きな意義をもちそうな場合もあります.疑問にせよアイディアにせよ,ひとりよがりでない真摯な検討をするには,これを吟味可能なresearch questionにまとめて,適切な臨床研究を組まねばなりません.何と言っても臨床研究は,それがどの程度重要な臨床の疑問に端を発して,その成果がどれだけ臨床に資するかが究極の意義です.研究の方法論などの技術的側面の正確さは,この意義を支える限りにおいて意味を有するので,どれほど精密なデザインで大規模な臨床試験を遂行しても,その結果が臨床を何ほどか高めるものでなければ「木を見て森を見ず」に過ぎません. 臨床研究の意義のゆらぎ方法論的精密さの追求,大規模な無作為化比較試験(RCT)のevidenceとしての強調から,癌領域の臨床試験が巨大化し,時間と費用の点から立ちいかなくなりつつあるといいます1).癌領域に限らず,臨床医・患者に重要な疑問が臨床研究であまり取り上げられず,取り上げられても研究方法が不適切で,結果も十分公表されず,「臨床からかけ離れ,不適切で,結果もよくわからない無駄な臨床試験」が増えている,という厳しい指摘もあります2).例えば,重要な新薬同志の有効性の比較には臨床医は大きな関心がありますが,製薬会社間の競合から,こうした試験は企業主導では行われにくく,大学や教育病院がこれを担うほかありません3).そもそも金科玉条視されるRCT自体に重大な方法論上の制約があり(表1)4),臨床研究の意義と,その意義を担保する適切な研究手法が国際的に改めて問われています.
臨床研究の課題と意義翻って日本の現状をみますと,両極端の問題があるでしょう.一方では,国際水準の(国際誌に掲載されるに足る)臨床試験の計画・運用は,臨床医の極端な多忙と支援体制の不備とが相俟って,技術的・資金的にまだ十分可能とはいえません.RCTの原理的問題以前に,そもそもRCTができるか―データマネジャー,研究コーディネーター,生物統計家,事務,倫理審査,安全性情報管理といった機能・職種が揃っているのかが危ぶまれることさえあります.無論RCTが臨床研究のすべてでは毛頭なく,症例報告やcase seriesは,RCTで検証すべき仮説の源となる貴重な研究ですが,それとて世界に発信するためにはそれ相応の倫理的配慮やデータベースの整備などが求められます. 他方,RCT=EBMとみなすような曲解もあります.この数年,RCTが臨床の現実から遊離しつつあるという問題提起が一流誌で相次いでおり,先行研究をろくに参照しないで高価な大規模RCTを徒らに行うべきでないという注意も再三みられます5). こうした両極の難問を抱えながらも,過酷な診療の合間を縫って,第一級の臨床試験が日本から発信され,国際的な標準療法のあり方に影響を与えた例もあります.産官学の関係者の地道な忍耐と努力が結実しつつあるのは何よりですが,臨床研究自体が国際的に直面する難問に留意しながら,意義のある臨床研究を進めていきたいものです. 文献
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