HOME雑 誌medicina誌面サンプル 45巻11号(2008年11月号) > 連載●見て聴いて考える 道具いらずの神経診療
●見て聴いて考える 道具いらずの神経診療

第11回テーマ

主訴別の患者の診かた(6)
物忘れを訴える患者の診かた(前編)

岩崎 靖小山田記念温泉病院 神経内科


 「物忘れ」を主訴に神経内科を受診する患者は急速に増加している.認知症患者数は65歳以降では人口の5~10%,85歳以降では20~30%,国内全体で約180万人の患者がいると考えられているが,高齢社会の到来により今後も増加すると推定されている.マスコミでの認知症特集記事や,「認知症は早期に治療すれば進行を抑制することができる」という宣伝,啓発が増え,認知症に関する社会的関心も増加している.医療側でも「物忘れ外来」の開設,診断技術の向上などにより認知症の診断・評価が正しくされるようになったことも認知症患者の増加に拍車をかけている.「認知症でないか心配」と訴えて受診する正常者,認知症と誤られて紹介受診する老人性うつ病患者なども増加している一方で,認知症の評価が正しく行われていない場合がまだ多いことも事実である.

 今回から「物忘れ」を主訴に受診する患者,認知症が疑われる患者の鑑別のコツについて,2回に分けて概説したい.代表的な各種疾患の鑑別法は次回に譲り,今回は初診時に注意すべき観察ポイント,検査法,認知症でみられる各種症候について概説したい.


■物忘れとは

 「物忘れ」という訴えにはさまざまな状態が含まれるが,神経学的には主に「記憶障害」を指す.一般では「物忘れ」=「認知症」=「Alzheimer病」と考えられる傾向があるが,これは大きな間違いである.「物忘れ」には誰にでも経験のある生理的範囲内のレベルから,日常生活や職業に影響が出るレベル,重度認知症までさまざまの連続した段階がある.

 記憶には記銘(新しい経験や知識を覚え込む),保持(記銘した内容を取り入れてインプットしておく),想起(保持した内容を必要に応じて取り出して利用する)の3段階がある.この過程のどこかに障害が起こった状態を「記憶障害(memory disturbance)」と称し,今やったことを忘れる,新しいことを覚えられない,以前のことが思い出せないなどの症状を呈する.「記銘」が障害された状態が「記銘障害」であり,認知症に限らず,精神遅滞,意識障害においてもみられる.「保持障害」は過去に記銘した記憶材料が消失する状態である.「俳優の名前が出てこない」,「以前行った地名が思い出せない」などは「想起障害(追想障害)」であるが,しばらくして思い出せたり,ヒントにより思い出すことができれば正常レベルであることが多い.記銘障害のみの段階では加齢に伴う「良性健忘」や後述する「軽度認知機能障害」との鑑別が難しく,認知症を初期の段階に診断することは難しい.正常人でも興味のない内容に対してや,ぼんやりした状態であれば記銘力は低下するが,これは「注意障害」と呼ばれ「記銘障害」とは区別される.

 また記憶は1分以内程度のことまでを覚えている「即時記憶(短期記憶)」,数分前までのことを記憶する「近時記憶」,昔のことを覚えている「遠隔記憶」に分類することもできる.月日がわからない,場所がわからない,人物がわからないという症状もしばしば「物忘れ」と混同されるが,これは「見当識障害」である.

■認知症とは

 認知症を定義することは難しいが,「何らかの脳の障害によって,それまでに獲得していた認知機能が低下し,持続的な日常生活の障害をきたした状態」といえる.認知症の中核症状は記憶障害であるが,認知機能とは記憶力だけでなく,思考,見当識,理解,計算,学習能力,言語,判断力などの高次脳機能全般を指す.

認知症の中核症状とは

 認知症の中核症状は高次脳機能障害であり,中でも記憶障害が最も重要で初期からみられる.ほかの中核症状には見当識障害(時間,場所,周囲の状況を正しく認識する能力の障害),失認(近所で道に迷う,物が何かわからない),失行(いつも使っていた電化製品の使い方がわからない,服の着方がわからない,道具がうまく使えない),失語(言葉がうまくでてこない,物の名前がでてこない),実行機能障害(買い物に行っても目的に合ったものを買ってこられない,段取りが立てられない,計画できない),判断力の障害,思考力の障害などがある.

 これらの中核症状は程度の差はあれ,全ての認知症患者にみられ,疾患の進行とともに悪化する.代表的な認知症であるAlzheimer型認知症においては,まず記銘力(特に近時記憶)が障害され,次いで見当識が障害される.

認知症の周辺症状とは

 認知症に伴ってみられる周辺症状をBPSD(behavioral and psychiatric symptoms of dementia)と呼び,介護面からも重要視されている.BPSDは認知症の中期頃から目立つことが多く,妄想(実際にはないことを患者が確信する状態),幻覚〔いない人の声が聞こえる(幻聴),実際にないものが見える(幻視)〕,徘徊(目的もなく歩き回る,夜間に外に出ようとする),昼夜逆転(睡眠覚醒リズムの障害),不潔行為(不潔なものを食べる,便器以外の場所で排泄する,自分の便をもてあそぶ),易怒性・暴言・暴力・攻撃性(ささいなことですぐ怒る,大きな声をあげる,手をあげようとする),不安・焦燥(落ち着かない,イライラしやすい),抑うつ・自発性低下(じっとしてやる気がない,趣味や関心があったことに興味を示さなくなった),異食行為(何でも食べようとする),介護への抵抗(入浴や着替えを嫌がる),嗜好の変化(以前は食べなかった甘い物を食べるようになった)などを指す.

 幻覚のなかで頻度が高い幻視では,何もないところを指さして「そこに知らない人が立っている」とか「庭で子どもが遊んでいる」というように訴える.妄想にはさまざまな種類があるが,頻度が高いのは「被害妄想」と「物盗られ妄想」である.「被害妄想」では「みんなはご飯を食べたのに,私だけ食べさせてくれない」と考えたり,「物盗られ妄想」では,財布などを置き忘れたときに「誰かが盗ったに違いない」と大騒ぎして非常に疑い深くなったりする.警戒して大事な物を隠し,見つけることができなくなりさらに被害的になったり,家族が見つけても「やっぱりあんたが盗んでいた」と考えたりする.作話はKorsakov(コルサコフ)健忘症候群などでみられ,作り話であるという意識はまったくなく,本人は真実と思って話をする.

 認知症患者の介護において問題となるのは中核症状よりもBPSDであることが多く,認知症患者が初めて病院を受診してくるきっかけとなることも多い.BPSDは,患者によってさまざまで,みられない場合もあり,疾患の重症度や進行とあまり相関しない.患者自身は自覚がないので,介護者や周囲にBPSDの有無を聞くことは診断・治療の面で重要である.中核症状よりもBPSDが目立つ場合には,Lewy小体型認知症や前頭側頭型認知症が疑われる.

■認知症と誤診しやすい病態

加齢による物忘れとの鑑別

 加齢による物忘れ(age associated cognitive decline)は「生理的健忘」,「良性健忘」とも呼ばれ,基本的には経過とともに悪化しない.誰でも経験のある,いわゆる「ど忘れ」といわれるレベルの健忘も含まれる.体験の一部を忘れている場合や想起の障害であれば何らかのきっかけやヒントがあれば思い出すことができる.

(つづきは本誌をご覧ください)