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●危険がいっぱい  ケーススタディ  医療事故と研修医教育

第8回

複視とふらつきで救急外来受診した42歳の女性

田中まゆみ(聖路加国際病院内科)


登場人物
※本事例は,米国の臨床現場における筆者の経験をもとに,教育的な効果を考慮しつつ,全体を再構成したものです。本文中の登場人物・施設等はすべてフィクションであり,実在のものとは関係がありません。
研修医 
アリス3年目のチーフレジデント。冷静沈着なタイプ。
ベティ2年目の内科研修医。実直でやさしい性格で,患者やコメディカルからの信頼も厚い。
クリス 2年目の内科研修医。まじめだが,やや思い込みが激しい。
指導医 
Dr.マーティン救急部。百戦錬磨の救急専門医で,瞬時の判断の的確さには定評がある。一方,イライラしやすいという欠点もある。
Dr.ノーラン神経内科が専門。周囲に気を遣う性格。
Dr.ポール総合診療科の指導医。いつもひょうひょう。
Dr.wスミス感染症科。

 今回の症例は,いつも通りの朝食後,物が二重に見えだし,さらにふらつきと寒気を覚えたため救急外来を受診した42歳の女性である。

アリス(司会役) 本日の症例は,「物が二重に見える」と救急外来を受診した特に既往のない42歳の女性です。

ベティ(症例提示役) その日,いつものように朝食を取ったあと,教会で座っていたら物が二重に見えたのだそうです。しばらく様子を見ていたのですが,自宅に帰るときにふらつき,寒気もしたので,心配する夫に付き添われてERにやってきました。ふだん診てもらっている開業医に電話をしたところ,すぐに神経内科医にERに来てもらうように手配するとのことで,それまで待つように言われたそうです。トリアージで血圧が80/54しかなく,脈も112と頻脈が認められたため,安定するまでは蘇生室でモニターをつけながら観察することになりました。体温は35.8°C。頭痛嘔気嘔吐はなく,下痢もなく,咽頭痛もなし。咳は昨日ぐらいから出ているが,特に気にも留めていなかったそうで,痰は飲み込んでしまうとのことでした。家族に病気の者はなく,旅行歴もありません。既往歴アレルギー服薬歴家族歴も特にありません。社会歴は,タバコは20本/日吸うがアルコールはつきあい程度。麻薬歴は大学生のときマリファナをやっただけだそうです。夫と二人の高校生の子どもと住んでいる主婦です。ROS(review of systems)では,昨日からの軽い咳と今朝からの複視以外は特に変わったことはないとのことでした。

 身体所見に行きます。バイタルサインは,診察中も相変わらず血圧は90以上にならず,生食を200ml/分で落としていました。意識清明,夫や看護師らと普通にしゃべり,呼吸数は22/分,酸素飽和度は100%でした。でも脈はずっと120ぐらいあるのです。モニターでは洞性頻脈でした。ちょうど神経内科医が到着して,一緒に身体所見を取りましたが,研修医が診察したときには患者が認めていた複視は消失しており,神経学的所見は眼底を含め全く正常だったのです。神経内科医は,それでも頭部CTだけオーダーすると,患者の開業医に電話して,おそらくなんでもないだろうが,入院することになるだろう,また明日診させてもらうと報告していました。開業医からは研修医に,日曜日だし月曜日には退院させるにしても一晩観察入院になる,CTの結果をチェックしておくようにと指示がありました。

 実は,来院時すぐ撮られた胸部X線(供覧)では右中葉に肺炎浸潤像がみられていました。でも,神経内科医はそのことは開業医には言い忘れたのです。写真を見ながら,これは肺炎に見えるけど,咳はないかとしつこく患者に尋ねなければならないほど,患者は咳のことなど気にしていませんでした。既往歴で,3年前に肺野に異常を指摘されて半年間しつこく医者に通わされたがそれは左の肺だったとか,そんな古い話も思い出してもらいましたが,患者さんは,複視が一過性で,なくなってしまったことのほうを気味悪がって,CTはいつ撮ってもらえるのかと気にしていました。それでも患者にもう一度,痰を出すように頼んだところ,やがて患者はさび色の痰を容器に吐き出しました。そこへ緊急の血液検査が帰ってきて,WBC(白血球数)が2,200でした。


ぴんぴんしていた患者

Dr.マーティン(救急) それで,どうしました。

ベティ ICUの上級研修医(シニア)に電話して,ICUケースの敗血症ショック患者がいるのですぐに来てくれるように頼みました。

Dr.マーティン(救急) そうしたら?

ベティ ICUのシニアは,これはICUケースではない,と。患者は意識障害も低酸素血症もない。CTと血培を採って,抗生物質を投与して,普通病棟で様子を見ろとのことでした。そのとき病棟からほかの患者のことで呼ばれたので,入院指示だけ書いてERを離れました。

Dr.ノーラン(神経内科) 僕はその日診てないけど,その神経の先生からはあとで話を聞きました。身体所見で髄膜刺激症状はなかったし,患者はぴんぴんして普通に話していたそうです。なぜ主訴が複視だったのか,今もって謎のままです。

ショック状態で緊急挿管して

Dr.ポール(総合診療科) (じれて)それで,なにが起こったんや?

ベティ その患者さんは,CT室でショック状態になり,緊急挿管されてICUに移送されました。

(つづきは本誌をご覧ください)


田中まゆみ
京大卒。天理よろづ相談所病院,京大大学院を経て渡米。マサチューセッツ総合病院(MGH)他でリサーチフェロー。ボストン大公衆衛生大学院修了。2000年よりコネティカット州のブリッジポート病院で内科臨床研修。2004年より聖路加国際病院勤務。著書に,ハーバード大学医学部でのクラークシップ体験をレポートした『ハーバードの医師づくり』(医学書院)がある。

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