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●危険がいっぱい  ケーススタディ  医療事故と研修医教育

第6回

胸痛をきたした黒人男性

田中まゆみ(聖路加国際病院内科)


登場人物
※本事例は,米国の臨床現場における筆者の経験をもとに,教育的な効果を考慮しつつ,全体を再構成したものです。本文中の登場人物・施設等はすべてフィクションであり,実在のものとは関係がありません。
研修医  
アリス 3年目のチーフレジデント。冷静沈着なタイプ。
ダン 1年目の内科研修医。ユーモアたっぷり。
エディ 1年目の内科研修医。クールで斜に構える。
ベティ 2年目の内科研修医。実直でやさしい性格で,患者やコメディカルからの信頼も厚い。
クリス 2年目の内科研修医。まじめだが,やや思い込みが激しい。
指導医  
Dr.マーティン 救急部。百戦錬磨の救急専門医で,瞬時の判断の的確さには定評がある。一方,イライラしやすいという欠点もある。
Dr.ポール 総合診療科の指導医。いつもひょうひょう。
Dr.ケント 血液内科。
Dr.オーエン 循環器内科。

 今回の症例は,高速道路を運転中,突然胸痛で失神しそうになり,救急車で来院した48歳の黒人男性である。

アリス(司会役) 本日の症例は,胸痛発作の48歳男性,アフリカ系アメリカ人(注1)です。

ベティ(症例提示役)  生来健康な48歳の黒人男性が,突然の胸痛で救急車で来院しました。フィラデルフィアからボストンの親戚を訪問するために高速道路を運転中,突然胸痛で失神しそうになり,車を退避帯に停めてしばらく休んでいると痛みは和らいだのですが,運転を続けるのが怖くなりSOSサインを出して,止まってくれた善意の通行車から救急車に連絡を取ってもらい来院しました。救急車でのバイタルは,意識清明GCS15,脈拍114/分,呼吸数24/分,血圧122/68,酸素飽和度94%でした。


どのような胸痛か?

Dr.マーティン(救急)  胸痛についてもう少し詳しく述べてください。

ベティ はい。起こったのは運転中,特に感情的に動揺したわけでもなく,少なくとも労作時ではありませんでした。部位は胸骨下左寄り,性状は鋭く,呼吸もできないほどで,程度は十段階の8か9。動悸を激しく感じ,息苦しくて冷汗は出ましたが嘔気嘔吐はなく,放散痛や手のしびれもありませんでした。持続時間は,はじめ意識がなくなったような気もしてよくわからないけれど,15分は続いたそうです。車を停めて,冷たい飲み物を飲んで静かにしていたらかなり落ち着いてきて,以後はぶり返していないので,増悪因子は不明です。

アリス 質問はありませんか? 痛みに関する情報がよく整理されました。次に,既往歴,服薬歴などを。

既往歴,服薬歴,ROS,身体所見

ベティ はい。今まで特に病気らしい病気をしたことはないそうです。最近医者にかかったことはありません。服薬歴も,薬アレルギーもありません。家族歴は,両親ともに糖尿病。脳卒中や心筋梗塞の家族歴はありません。社会歴は,タバコを日に15本ぐらい,12歳のときから吸っていてこれでも随分減らしたとのことです。酒は付き合い程度。ヘロインやコカインの使用は否定しましたが,マリファナは友達付き合いで時々やるとのことでした。仕事は造園業。妻と4人の子どもがいます。 

アリス ROS(review of systems)はどうでしたか? 陽性のものだけ手短に。

ベティ 最近体重に変化なく,110kg前後で安定しているとのことです。身長は189cmありますが,BMI(body mass index)は31で「肥満」。睡眠時にいびきがひどく,昼間の眠気あり。以前,やはり運転中に,しばらく記憶が途切れて,はっとして「今,何をしていたんだろう」と思ったことがあったそうです。そのときも,動悸がしてちょっと息苦しかったが,胸痛はなかったとのことでした。それ以外のROSは陰性でした。

アリス そのエピソードは現病歴に含めたほうがいいかもしれませんね。質問がなければ,身体所見を,胸痛時に留意する所見,陽性所見だけお願いします。

ベティ 体温36.6°C,脈拍104/分,呼吸数24/分,血圧126/82,酸素飽和度95%(歩行後も95%で変化なし)。内頸静脈怒張なし,呼吸音清,ラ音聴取せず,心音整,1音2音正常,心雑音なし,肝脾腫なし,浮腫なし,でした。

鑑別診断

アリス では鑑別診断にいきましょう。クリス先生,どうですか?

クリス 突然の胸痛ですので急性冠症候群(acute coronary syndrome:ACS),肺塞栓,大動脈解離は除外する必要があります。心筋梗塞にしては痛みが鋭く持続時間も短いですが,喫煙という危険因子がありますし,家族歴は心筋梗塞はないけれども両親に糖尿病がありますし,検診も受けていないので,隠れた糖尿病がある可能性もあります。肺塞栓が一番可能性が高いと思います。大動脈解離は背中への痛みがないけれど除外はしておく必要があります。あと,気胸もありえますし,発熱などの症状がないので可能性は低いですが,心筋炎や心外膜炎,また,本人は否定していますがコカイン中毒もありえます。パニック障害も,ほかの器質的疾患が否定されれば考えます。

注1:African-AmericanのほうがBlackよりもpolitically correct(差別的でない)。

(つづきは本誌をご覧ください)


田中まゆみ
京大卒。天理よろづ相談所病院,京大大学院を経て渡米。マサチューセッツ総合病院(MGH)他でリサーチフェロー。ボストン大公衆衛生大学院修了。2000年よりコネティカット州のブリッジポート病院で内科臨床研修。2004年より聖路加国際病院勤務。著書に,ハーバード大学医学部でのクラークシップ体験をレポートした『ハーバードの医師づくり』(医学書院)がある。

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