●危険がいっぱい ケーススタディ 医療事故と研修医教育 | ||||||||||||||||||||
※本事例は,米国の臨床現場における筆者の経験をもとに,教育的な効果を考慮しつつ,全体を再構成したものです。本文中の登場人物・施設等はすべてフィクションであり,実在のものとは関係がありません。
今回の症例は,頭痛・嘔吐・視覚異常で受診した,現在授乳中の34歳女性である。 クリス(症例提示役) 本日の症例は34歳の白人女性です。人工授精で11週間前に出産,現在授乳中の方が,4時間持続する頭痛・嘔吐と視覚異常にて来院されました。 現病歴ですが,産後特に問題なく過ごされていましたが,受診日の夕食後突然激しい頭痛が始まりました。場所は前頭部,拍動性で,痛みの強さは10段階で8,アセトアミノフェンにても改善しませんでしたが,暗い部屋に行くと痛みは軽減しました。同時に左目の視野に光が波うつようなものが現れてよく見えない状態が3時間持続しました。軽い嘔気もあり2回嘔吐しましたが,内容は食物残渣のみで血液は混じっていませんでした。立ちくらみもあり,5分間ほどでしたが,両手のしびれる感じもありました。発熱・悪寒・意識消失・筋力低下・発語障害はなし。先週尿路感染症に罹り抗生物質3日間服用で完治。ERでのバイタルサインは体温36℃,脈拍73,呼吸数20,血圧137/96,酸素飽和度は100%と全く正常だったのですが,Na121と低ナトリウム血症があったため入院となりました。 既往歴としては幼少時からの心雑音,神経性食思不振症(治癒),子宮内膜症(2002年腹腔鏡にて大腸・膀胱・卵巣の子宮内膜を切除),不妊で人工授精により妊娠,妊娠中に貧血あり鉄剤にて改善,正常経腟分娩にて満期で健康な女児を出産,現在授乳中。頭痛歴は,偏頭痛様の頭痛発作が大学在学中に1回だけあったのみだそうです(急性発症,拍動性,嘔気)。 薬剤アレルギーは,コデイン(痒み),クロミフェン(発疹),服薬歴はミニピル(経口避妊薬),家族歴は父親が胃癌で死亡,姉にSLE(全身性エリテマトーデス)があります。社会歴は,喫煙歴なく,飲酒歴はワイン週3~4回,夫と子どもと3人暮らし。Review Of Systems(臓器別概観)は,ふだんは頭痛・視覚異常・歩行異常・胸痛・呼吸困難などすべて陰性。多飲多尿については,尿路感染症予防と授乳のために水をたくさん飲むようにしているとのことです。最終月経は2002年8月。
問題の整理アリス(チーフレジデント) ここまでで,問題点を整理して鑑別診断を挙げてください,エディ先生。エディ 34歳の女性に突然発症した頭痛・嘔吐・視覚障害で,低ナトリウム血症があるということで,まず脳腫瘍によるSIADH(抗利尿ホルモン分泌異常症)を考えます。 Dr.ノーラン(神経) 腫瘍による頭痛・嘔吐・視覚障害は,「突然」発症するかなあ? アリス 大きくジャンル別に分けながら挙げていきましょう,感染症,とか。鑑別診断は広く始めて,とにかくたくさん挙げてください,多少はずれてても構わないから。 エディ はあ,やり直します……頭痛・嘔吐・視覚障害をきたす疾患として,感染症では髄膜脳炎,血管性病変ではCVA(脳血管障害)・SAH(くも膜下出血),偏頭痛も血管性かな。腫瘍性病変は突然は発症しませんが,一応挙げておきます。血管炎の側頭動脈炎,自己免疫疾患の多発性硬化症も突然発症はあり得ます。 Dr.ノーラン(神経) 大きなジャンルとして代謝性を忘れないでください。低ナトリウム血症自体が頭痛・嘔気の原因になります。急性アルコール中毒,薬剤の副作用,高カルシウム血症,などでも頭痛と嘔吐は起こりますね。 低ナトリウム血症の鑑別診断アリス では,低ナトリウム血症の鑑別診断にいきましょう。ダン先生。ダン たくさんあり過ぎて……細胞外液が減少・増加・正常,に分けて考えます。まず,この方は嘔吐がありましたが,嘔吐や下痢では水分とともにNaが失われて低細胞外液性の低ナトリウム血症になります。治療は生食輸液です。逆に,心不全や肝不全やネフローゼ症候群で体液貯留がある場合は,高細胞外液性の低ナトリウム血症になります。治療は利尿剤です。脱水も浮腫もない,細胞外液正常な低ナトリウム血症では,甲状腺機能低下症や副腎不全,そしてSIADHが考えられます。SIADHの治療は水分制限です。 Dr.ライス(腎臓) 低ナトリウム血症というとまずSIADH,賢く聞こえる(一同笑)。もちろん頻度も結構高いんですけど,SIADHは脱水も浮腫も甲状腺機能低下症も副腎不全もない場合,つまりは除外診断であることを忘れないでください。SIADHは,悪性疾患,中枢神経系疾患,肺疾患が原因として有名ですが,この患者さんのように痛みや嘔吐だけでも起こりますし,薬剤の副作用としても起こります。とにかく,低ナトリウム血症の鑑別診断は,きちんと系統立てて行わなければならない,ということです。まず細胞外液量を臨床的に見きわめる。これは患者さんの話を聞き,診察するしかありません。この患者さんでは嘔吐があり,また,膀胱炎の予防のためにたくさん水分を取るようにしている,という相反する情報があるので,身体所見や問診もそのあたりに留意してください(表1)。
Dr.マーティン(救急) 頭痛・嘔吐も低ナトリウム血症も緊急疾患です。Na121ということですが,120を切ると痙攣を起こすこともあるので一刻も早い補正が必要です。しかも,これはしっかり覚えていてほしいんですが,Naは,高い場合も低い場合も,ゆっくり補正しなければならない。さもないと医原性の重篤な後遺症を残す,ということ。何と言うか,知っていますか,ベティ先生? ベティ 中心性橋髄鞘融解症(central pontine myelinolysis)です。 Dr.マーティン その通り。これは死亡することもある重篤な神経疾患なので,くれぐれも気をつけて,低ナトリウム血症ではゆっくり補正ね。どのくらいの速さで補正しますか? ベティ 1mEq/hを超えると危険,できれば0.5mEq/h,または12mEq/24hで。 Dr.マーティン その通りですね。意識障害や痙攣があった場合は,Naが120mEqまではかなり急速に補正してもよく,120を超えたらあとはゆっくり,ね。 (つづきは本誌をご覧ください)
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