HOME雑 誌medicina 内科臨床誌メディチーナ > 医療事故を防ぐ! 対策を絵に描いた餅としないために
●医療事故を防ぐ! 対策を絵に描いた餅としないために

第6回テーマ

倫理について考える
問題共有の方法論

本村和久(王子生協病院・内科


 医療の技術的な問題を解決するうえで,コミュニケーションが重要であるといままで書いてきたが,ここでは,倫理的問題に関するリスクマネジメントについて考えてみたい。

倫理的な問題とは?

 患者さんを診るうえで,倫理的な問題は常に考える必要性を感じている。食事がしっかりとれるウイルス性上気道炎の患者さんが点滴を希望されたときにどうするのか,といったような外来レベルの問題も,患者さんの背景を含め,医学的判断だけでないさまざまな問題を含む倫理的な問題といえると思う。しかし,端的に倫理的な問題に直面するのは,「人の生き死に」に関することだろう。もともと元気な方が路上で倒れて,心肺停止になるケースもあるだろうし,予後が1カ月とわかっている,意思表示のはっきりできる担癌患者さんが自宅で死を選ぶケースや,認知症で寝たきりの患者さんをどう看取るか悩むケースまで,その判断は多種多様である。

 北海道,富山と人工呼吸器の取り外しに関して,マスコミが大きく取り上げる事例があった。詳細を分析する情報も誌面の余裕もないが,問われている論点の一つが,「医師の独断ではなかったか」ということである1)。本稿では,医師が複数従事している病院での状況を考えてみたい。

医師の独断?

 人の死をどう考えていくのか,医師の独断は許されるべきではないが,実際の臨床現場は医療従事者にとって過酷である。十数人あるいは数十人の入院患者を抱えるなかで,生死にかかわる重症患者を治療しつつ,患者家族と話す時間をつくり,方針を決めなければならない。当直もあれば,外来,会議もある。患者家族も仕事を抱えていれば,患者家族との面談の時間が夜になることもめずらしくはないのではなかろうか。アメリカの数分の一といわれる少ないマンパワー2) で,医療従事者が身を刻んで対応している現状がある。

法が答えを与えてくれるわけではない

 このような状況のなか,なんとか時間をつくり,医師と患者家族が話し合い,方針を決めても,遠くの親戚が納得せず訴えを起こすかもしれない。治療の差し控えがあれば,警察が聞きつけて介入,逮捕するかもしれない。これは,医師にとってばかりでなく,患者さん本人,家族にとっても悲劇であると考える。当事者同士が話し合い決めたことと,法的,社会的状況とのギャップは大きい。心肺停止の患者さんにすべて挿管,心マッサージを行えば,医師は刑事訴訟,殺人罪では訴えられないかもしれないが,本人,家族の意向を無視していたのであれば,民事訴訟,説明義務違反で訴えられるかもしれない3)。法的整備はこれからである。最近起きた人工呼吸器取り外しの報道は,報道としては最近のことであるが,現実には多くの施設でいままで行われてきたのではないかと思う。いかに死を迎えるかという人生のイベントのなかでも最も意味深い出来事に関して,法的,社会的コンセンサスづくりはきちんと行われてこなかったといえるだろう。しかし,当たり前のことだが,この人の死をどう迎えるかという難題はいまもこれからもあちこちで発生している。法律制定4) を問題発生は待ってくれない。現時点での解決方法はないのだろうか。

(つづきは本誌をご覧ください)


本村和久
1997年,山口大学医学部卒,同年,沖縄県立中部病院プライマリ・ケア医コース研修医。離島診療所である伊平屋診療所勤務,沖縄県立中部病院勤務(総合内科,救急,離島医療支援)を経て,現職。研修医のときに自ら起こした医療事故をきっかけに医療安全対策に関わる。