HOME雑 誌JIM > 2008年6月号Editorial

JIM 2008年6月号(18巻6号)

科学的手相学は可能か

伴 信太郎((名古屋大学医学部附属病院総合診療部)


手相学というのは,広辞苑によると「手と性格および体質との関係を研究する学問」とのことである.手相で過去を言い当てたり,未来を占ったりする「手相学」がどれほど信頼性のあるものかはよく知らない.しかし,爪の所見から過去の大病を言い当てることは可能であるし(Beau line),手のsimian lineは,出生後の発達を予測するひとつの手がかりになる.このようなことから,筆者は数年前から「科学的手相学」なるものが可能ではないかと考えてきた.手はいつでもどこでも診察できる部位であるので,そのような診察法の確立の意義は大きいと思う.その可能性を模索しようということも今回の特集のひとつの目的である.

人類が他の動物と最も大きく違うのは,直立二足歩行し,両手で道具を作ることができ,頭脳の発達を促し,言語を用いて文化をつくりだした点であるとされる(ここにいう文化とは,生物学上の遺伝によらず,社会生活を通じて身につけ伝達される行為や生活様式を指す).手は人間を人間たらしめている重要な器官で,きわめて巧妙な動きや繊細な機能をもっている.小児期の手の巧緻運動の発達は,いまさらながらその精密さに驚かされる1).このような精密なものであるゆえに,また絶えず外に出ていて他人の目に晒されているがゆえに,患者からさまざまな訴えが持ち込まれる.整形外科,神経内科,皮膚科的な問題はそのようなものの典型であろう.

一方で患者は自覚していないが,医師が診察時に初めて拾い上げる病変もある.全身疾患でみられる各種の手の所見は,このようなものが少なくない.手は足と違い,いつでもどこでも診察できる部位であるので,このような所見を拾い上げ得る能力は重要な臨床能力である.

筆者の総論に「手は口ほどにものを言い」という副題をつけたが,リウマチ・膠原病領域では「手は口以上に物を言う」と言われるとのことである2).手の診察の重要性を物語る示唆に富んだ言葉である.

手の診察所見という場合,筆者の記憶には不明熱で受診した若い男性で,手掌にOsler結節を有していた感染性心内膜炎の患者,第5指徴候陽性で脳血管障害に注意が向けられた高齢の患者などが浮かんでくる.また一連の手の診察の過程でリスト・カットの所見を観察することも珍しいことではない.このような場合は,その後の医療面接の中でつらい過去に触れる必要性も考慮しながら診療をすすめる.

本特集の各論では,「口ほどにものを言う」否,「口以上にものを言う」手の所見が数多く紹介されている.読者の皆さんもこれらの所見を学んで「科学的な手相観」に挑戦していただきたい.

1)森田潤:子どもでみられる手の所見─手から感染症候・運動発達・不随意運動をみる.JIM18 : 496-499, 2008.
2)岸本暢将:膠原病・リウマチ疾患でみられる手の所見.JIM18 : 474-477, 2008.