Editorial
現代的耳学問を考える

藤沼 康樹
医療福祉生協連家庭医療学開発センター

 インターネットやSNS(social networking service)により,圧倒的に増えたのは「文字」によるコミュニケーションと言っていいだろう.実際に,スマートホン(スマホ)による通話時間は減少傾向にあると言われている.

 さて,こうした変化のなかで,「書き言葉」と「話し言葉」の距離は非常に近くなってきている.そして,知識を得たり教養をつけたりする媒体として,「話し言葉」が注目されているのではないだろうか.たとえば,ワークショップやワールド・カフェといった,これまで知識獲得の方法としてあまり注目されていなかった方法で上手に学ぶ,という機会が多くなってきている.そして,音声や動画を使って学び発信することの敷居が低くなっている印象である.

 こうした「話し言葉」で,そして「対話」で学ぶということは,現代における“耳学問”の復活とも言えるし,医療の世界においても,ニュータイプの耳学問を若い医師らが自家薬籠に入れ始めていると言ってよいかもしれない.これは,残念ながら,知的体験として「書き言葉」による読書が選ばれなくなりつつあることの反映でもある.

 もうひとつ強調され始めていることは,耳学問と並行して行う「発信=アウトプット」の重要性である.学んだこと・考えたこと・経験したことは,徹底して流通させたほうがいい時代になった.インプットだけでは,実はあまり自分のなかのナレッジベースにならない.身近な研修医に教えたり,自分のブログにまとめを書き込んでみたり,あるいは生涯学習ポートフォリオを構築したりすることが,“現代的アウトプット”だろう.

 さらに興味深いのは,イタリアの哲学者フェラーリスが,「現代は,書物の時代から音声・映像の時代に移行した」というようなマクルーハン的通説に,異議を唱えていることである.スマホの圧倒的普及とその使われ方をみると,現代はむしろ「書くことのブーム」に向かっていると言う.人々はスマホに向かって話すことをやめ,スマホで1日中書き読み,そうでない時は写真を撮ったりして記録している.こうしたスマホの特徴を,彼は「ドキュメント性」と呼んでいるのだが,このドキュメント性は,おそらく,学びの新しいあり方を考えるうえで重要である.臨床経験を記録し,読み,書き,発信するということが,これからの“医師の耳学問”なのかもしれない.

文献
 1)  宇野常寛,吉田尚記:新しい地図の見つけ方,メディアファクトリー,2016.
 2)  岡本裕一朗:いま世界の哲学者が考えていること,ダイヤモンド社,2016.