巻頭言
特集病院は2035年の夢を見るか

 保健医療制度は,ともすると近視眼的かつパッチワーク的な見直しを繰り返し,かえって制度疲労を悪化させている.議論の焦点は,2年に1回の診療報酬改定における「パイの奪い合い」や短期的な医療費抑制政策,そして,既存の制度を維持するための負担増・給付削減という議論に終始しがちである.もちろん,こうした地道な積み重ねは必須のプロセスだが,ビジョンなき改革では将来展望が開けないばかりか,改革に不可欠な国民的議論を深めることもできないのではないだろうか.

 1961年,ジョン・F・ケネディ大統領は,「アポロ計画」を立ち上げた.1962年のライス大学での有名な演説では,「われわれは月に行くことを選んだ」「10年以内に月へ人を送る.それは簡単だからやるのではない.難しいことだからあえてやるのだ」と述べ,人々を奮い立たせた.そして,その8年後には,人類の月面着陸を実現させてしまった.このことから,目標を定め,今何をすべきかを逆算(バックキャスト)して考え,それを行うことで結果として目標を達成することを指して,「ムーンショット」と言う.

 本特集の入山論文によると,世界の多くの有力企業では,経営陣が,自分たちは何者で,現在何が起きていて,自分たちはどこに向かっているか,組織のメンバーやステークホルダーを「センスメイキング(腹落ち)」させることで,組織を進化させイノベーションを起こすことが当たり前のように行われているという.例えば,デュポン社は,100年先の未来について考える委員会を経営層がつくり, 経営者はそこから出てきたビジョンを部下や従業員に当たり前のように語るという.そのビジョンを共有することで,目指す未来を作り出すのだ.これは,まさにムーンショット的発想に他ならない.

 組織が危機的な状況やアイデンティティの喪失に直面すると,絵に描いた餅をいくら出したところで現実の世界はそう簡単には変わらないのではないか,しがらみと既得権益の中で改革は遅々として進まないのではないか,という思考に陥りがちだ.しかし,そういう時にこそ,ムーンショット的発想は必要とされる.

 これは,まさに今の医療の置かれた状況ではないだろうか.ダブル改定,医師法改正など大きな制度改正が行われる2018年.その年頭を飾る本特集の根底に流れる発想は,ムーンショットだ.20年,30年先の地域医療,医療政策,病院経営,テクノロジー,そして,グローバル化など,激変する人口・社会経済の構造的な変化に,医療がどのように対応していけばよいのか.本特集が読者にとってのムーンショットを考えるための一助になれば幸いである.

東京大学医学系研究科国際保健政策学教授渋谷 健司