書評 ALS患者さんが待望の新薬を手にする日まで
国際医療福祉大名誉教授 糸山 泰人

書影 この特集号が発行された2019年からちょうど150年前の1869年に,Charcotらによって筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis:ALS)の報告がなされたわけであるが,その当時からALSは神経難病のシンボル的存在であり,「病因につながる手掛かりをまったく残さない難攻不落の難病」の印象を長い間持たれてきた。しかし,このたび『BRAIN and NERVE』の増大特集「ALS 2019」を読んだところ,本特集には新たな病因・病態論が多く紹介されているとともに,いくつかの有望な治療薬開発研究が示されていて,これまで抱いていた「難攻不落の神経難病ALS」の見方を変えざるを得なくなった。

 有望な病因論の多くはALSの分子病態の解明研究の進歩によるものである。1993年に家族性のALSの原因遺伝子SOD1が発見されたのに端を発して,TARDBPFUSOPTNそれにC9orf72など,いまでは20を超える家族性ALSの原因遺伝子が明らかにされてきている。SOD1を例に挙げるまでもなく,新たな病因遺伝子の発見はその動物モデルなどの作製を通して,病態に関与するであろうミトコンドリア障害,小胞体ストレス,酸化ストレス,軸索内輸送障害,グルタミン酸毒性,それに神経栄養因子の欠如などさまざまな神経細胞死の経路が病態機序として明らかにされてきた。中でも家族性ALSのTARDBPはTDP-43をコードするものであって,そのTDP-43はALSの大部分を占める孤発性ALSの運動ニューロンの細胞質内封入体の主要成分であり,ALSの神経病理学的指標となっている。今後,その細胞質内封入体形成,分解機構,RNA代謝機構および自己調節機構がALSの病態機序解明研究の中心となるものと考えられる。

 本誌を読む中で,こうしたALSの病因・病態論の進歩とともに感心させられたのはALSの治療薬開発研究である。現在,ALSの治療薬として国内で認可されているのは,リルゾールおよびエダラボンのみである。いずれもALSの進行を止めることはできず,またその効果は限定的なものであり,とても患者さんが満足できるものではない。かと言って,ALSのような難病や稀少疾患に対する新規治療薬の開発研究は多くの困難が付きまとい,時に「研究者にとって死の谷」と表現されることもある。しかし,本邦ではその困難を乗り越えんとして5つもの治験,しかもそのほとんどが医師主導の治験が進行中であり,本特集ではそのうち4試験が詳しく紹介されている。それらの候補薬を列挙すると,(1)臨床経験的な有用性を参考に開発されている高用量メコバラミン,(2)新たな神経栄養因子としての効果を持つ肝細胞増殖因子(hepatocyte growth factor:HGF),(3)AMPA受容体を介したCa流入を抑制し神経細胞死を抑えるペランパネル,(4)ドラッグ・リポジショニングとiPS細胞の技術から開発されたロピニロール塩酸塩などである。これらの治験が順調に進むとともに,でき得れば画期的なデータが出ることを祈るが,ことはそう簡単ではないと考える。しかし,このような科学的な治験を一歩一歩重ねていくことが,必ずや「ALS患者さんが待望の新薬を手にするその日」に近づいていく道であることを信じるものである。


書評 ALSに携わる研究者,医療者にぜひ読んでもらいたい一冊
鈴鹿医療科学大大学院医療科学研究科長/同看護学部教授・神経内科学・老年医学 葛原 茂樹

書影 2019年11月に出席したある学会の会場に出店していた書店で,『BRAIN and NERVE』11月号表紙の「増大特集 ALS 2019」という表題に引き寄せられて手に取り,その内容の豊かさに引きつけられ,その場で購買して読み始めた。「特集の意図」として,シャルコーの最初の記載から150年のALS研究の進歩と今後の展望を論じる,と書かれているが,内容は正にその意図どおりに充実したもので,これまでの研究の紹介から,最新の知見と将来展望までが明快な文章と美しい図表で記載されており,興味深い内容にも引き込まれて一気に読み終えた。

 内容のタイトルを順に紹介すると,「ALSの疫学と発症リスク(成田有吾)」,「診断基準と電気診断の変遷(野寺裕之)」,「Split Hand――ALSに特徴的な神経徴候(澁谷和幹)」,「ALSの病理(吉田眞理)」,「家族性ALS(鈴木直輝,他)」,「TDP-43封入体から解くALSの分子病態(坪口晋太朗,他)」,「C9orf72――日本のALS/FTDにおけるインパクト(富山弘幸)」,「プリオノイド仮説の現状(野中隆)」,「ALSにおける患者レジストリの役割――JaCALSなど(熱田直樹,他)」,「ALSとFTD(渡辺保裕)」,「紀伊ALS/PDCの現状(小久保康昌)」,「エダラボンを用いた新規ALS治療(山下徹,阿部康二)」,「HGFによる治療法開発(青木正志,他)」,「メコバラミン(和泉唯信,他)」,「孤発性ALSに対するペランパネル(相澤仁志,郭伸)」,「ロピニロール塩酸塩――iPS細胞創薬(髙橋愼一,他)」,「ALSにおける免疫療法開発の現状と展望(漆谷真,他)」である。

 本特集には,わが国の最新の知見を踏まえたALSの疫学,オール日本で進められている患者レジストリから見えてきたALSの実像,最新の分子生物学と分子遺伝学の研究成果,診断基準,古典的症候学の近代的研究法による解明,神経病理学,治験から市販にこぎ着けた新治療薬と,現在治験が進行中の新しい治療薬の研究開発など,ALSに向き合っている臨床家と研究者にとって今すぐに知りたい最新の知見が全て網羅されている。

 さらに特筆すべきことは,全てのテーマの中に,日本人研究者によって成し遂げられた世界的な研究成果が散りばめられていることである。今やALSの病因・病態研究の主流となっているTDP-43は,2006年にArai, HasegawaらがNeumannらの米国勢と同時に発見したものであるし,診断基準として紹介されているAwaji基準もわが国の研究者が推進したものである。ALS疫学と関係したJaCALS研究,紀伊ALS研究,治療に関しては,エダラボン,HGF,メコバラミン,ペランパネルは日本の研究者の発想から出たものである。ロピニロールは,孤発性ALS患者から作製されたiPS細胞から誘導分化させた運動ニューロンに対する効果から特定された薬物であるが,既にパーキンソン病の治療薬として認可市販されている既存薬のリポジショニング(repositioning)であることも幸いし,動物実験をスキップして「試験管から一足飛びにヒトへ適用」という,iPS細胞を活用した新しい方式の治験が可能になった第1号である。紙数の関係で割愛するが,これ以外のテーマにも,わが国の研究者が貢献した最新の研究成果が,諸外国でなされた成果と並んで満載されている。

 評者は日本医療研究開発機構(AMED)の難病の治療薬研究開発事業と,疾患特異的iPS細胞を活用した難病研究事業のプログラムスーパーバイザーとして,本特集に挙がっているほとんどのテーマについて,研究計画書や成果報告書を目にする機会があったが,実際に論文になったものを読んで,その研究の重要な意義と大きな成果にあらためて驚嘆している。本特集は,世界とわが国の研究の現状と将来の展望を俯瞰し,これからのALS研究を考える上で極めて優れた紹介書・解説書であり,読み物としても面白い。基礎研究か臨床かを問わず,わが国のALS研究とALS医療に携わる者に,ぜひ一読を薦めたい一冊である。