イギリスの医療は問いかける
「良きバランス」へ向けた戦略

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ブレア政権時に保健医療改革が行われた英国。その渦中で周産期・小児医療の臨床医として、また政策担当者として英国医療に携わった経験をもつ著者が、感じたこと、考えたことを率直に綴った。特に英国の診療ガイドラインの作成過程にみられる方法論や医療者と国民の関係は、今後の医療のあり方を考える上で参考になる。最終章では、日本の医療を改善するための具体策を提言する。
森 臨太郎
発行 2008年12月判型:A5頁:184
ISBN 978-4-260-00710-8
定価 3,080円 (本体2,800円+税)
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王立ブリストル小児病院事件に現れた英国の「性格」―序に代えて

 内部告発をしたのは小児麻酔科医だった。

 ロンドンから西に向かうとオックスフォードのその向こうには,コッツウォルズと呼ばれる美しい村々の風景がある。そのコッツウォルズの先,ウェールズとの国境手前にブリストルという地方の中核都市がある。ブリストルには王立小児病院があり,その地域の三次医療施設として高度医療も担っている。その病院を舞台に事件は起きた。
 この病院に新しく赴任した麻酔科医が目にしたのは,何人かの心臓外科医の手術の腕の悪さであった。この麻酔科医は告発文をしたため,院長に直訴するも無視されたが,のちにこれがマスコミの知るところとなり,大きな事件として報道された。ちなみにくだんの麻酔科医は現在,豪州で診療している。
 その後,その病院で心臓手術後死亡した子どもたちの家族が,医師と病院を相手に医療訴訟を起こした。医師の登録監査機関である General Medical Council は院長と1人の心臓外科医を医師免許停止,もう1人の心臓外科医を一定期間心臓手術に携われないという処分を行った。しかしながら遺族は,さらに詳しい調査を求めた。
 英国政府は特別調査委員会を設置し,詳細な疫学研究と詳細な面接,カルテを含む90万ページに及ぶ記録の調査,そして7回に及ぶ公聴会が開かれ,原因の究明と将来への対策が練られた。疫学研究と面接,記録の調査からは,個人ではなくシステムに問題があるという点が強調され,公聴会を通して,(1)制度や病院運営に患者・一般市民の参画,(2)危険な診療と問題から学ぶ姿勢の制度化,(3)国レベルでの標準診療の提示,(4)診療成績の透明化・外部からの評価,など198に及ぶ推奨が示された。
 当時,すでに英国で診療ガバナンスという言葉がつくられ,大きく取り上げられるようになっていた。診療ガバナンスというのは,(1)科学的根拠に基づいた最適な診療を提示し,(2)その最適な診療を適切なかたちで現場に導入し,(3)診療成績を継続して監査することで,医療の質と安全の向上をシステムとして促していく考え方である。
 保守党政権が長らく続いたのち,ブリストルの事件や診療ガバナンスなどを背景に,医療制度改革を旗印にしたブレア労働党政権が生まれた。社会主義(第一の道)でもなく,自由主義(第二の道)でもない,「第三の道」を標語とする新しい政治路線を敷いた。医療政策に関しては,科学的根拠に基づく最適な診療を示すNICEという組織と,診療成績を監査する Healthcare Commission という組織を設立し,診療ガバナンスの実現に国全体で取り組むとともに,各病院や学会レベルでも同様に実現することを目指した。ここに,個人ではなく「システム」により物事を変えていこうとする英国の考え方がみえる。
 問題が起きたときに,その対処法によって,その国の「性格」が現れる。私は豪州と英国で7年間,新生児科医,母子保健政策担当者として過ごしてきた。短い経験ではあるが,国と国の医療の相違は優劣ではなく「違い」であり,その違いはその国の歴史と国民性により形つくられてきた,と信じるに至った。
 外から見た日本の医療は必ずしも悪いものではない。しかしながら「問題」が存在するのは事実である。その問題解決にあたって,特定の政策だけ海外の例をそのまま倣っては必ず失敗する。なぜならその国の政策・制度というのは,その他の制度,歴史,国民性,地理など広く影響し合って生まれてきているからである。
 しかしながら,海外の医療政策・制度をその背景も含めて,本質と美点・欠点を理解し,あらためて日本の医療全体を俯瞰したとき,案外日本の行くべき方向というのはみえるものである。他人の意見を聴くときには,なぜこの人はこう言うのだろう,ということまで考えて理解しなければならない。真似をしたり,服従するのではなく,またいたずらに反抗したり,耳を閉ざすのではなく,耳を貸し,じっくりと聴いてみて,自分のものとして理解してはじめて自分を育てることができる。自分だけでも自分は育たないし,人真似だけでも自分は育たない。
 医療者として,政策担当者として,日本,英国,豪州という国々で経験して感じてきたことを述べながら,日本の行く末を考えてみることにする。しかし,私の専門はあくまで周産期小児医療・母子保健であるため,話の内容に偏りが生じることをお許し願いたい。実地で経験したことと,そのときの「空気」から感じ取られた「歴史と国民性」という背景を考えていただくため,話が度々脱線することも同様にお許し願いたい。

2008年10月
著者

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1章 英国医療からいかに学ぶか
  日本医療の美点と欠点
  医師の上下関係と専門間の壁
  医師の勤務体制
  市場主義と統制のバランス―日本の医療は社会主義的?
  日英医療の根源的な違い
2章 英国医療の基本構造
 英国医療の歴史
  英国医療のはじまり
  NHSの創設
 英国の医療体制
  家庭医―プライマリーケアを担う専門医
  病院と家庭医の棲み分け
  NHSトラスト―地域ごとに独立した医療サービスの運営母体
  周産期医療―標準化が徹底された豪州医療
  緩和ケアと終末期医療―慈善団体が推進
  老年期ケアと医療―老人ホームと病院の連携
  救急医療―大病院に資源を集中
  電話医療サービス―ウェブサイトやデジタルテレビと連動
  薬の安全
  試行錯誤の医学教育―多様性と質の確保
  ビクトリアちゃん事件後の制度改革
  英国医師会の役割―上級医と家庭医中心の労働組合
  学会の地位―フェローは臨床医の誇り
  臨床研究と助成金―“システマティック・レビュー”が必須
  外国人の医師登録―その方法はさまざま
  「科学的根拠に基づく医療」との付き合い方
  ハイ・ストリートのリサイクルショップ―慈善団体の医療への貢献
  保健医療政策
  医学雑誌の光と影―『ランセット』と『BMJ』
  メタボリック・ミーティング in オーストラリア
  「学校で果物と野菜を食べよう運動」―公衆衛生政策の一例
3章 ブレア首相による保健医療改革
  背景
  「新しい公共事業運営」の導入と修正
  診療ガバナンス―医療の質を高める系統的な取り組み
  患者・一般市民参画―周到な準備が成功の鍵
  NHSを構成する組織
  National Service Framework(NSF)
  NICE
  Healthcare Commission
  トラストとファウンデーション・トラスト
  政治と政治家の役割
4章 NICEとNICEガイドライン
  診療ガバナンスを基礎としたガイドライン作成
  NICE
  NICE診療ガイドラインの特徴
  ガイドライン作成を担う7つの共同研究所
  ガイドラインの作成過程
  ガイドライン作成メンバーの選考
  エビデンス・レベルと推奨グレード―新たな方法を模索中
  医療経済分析と各専門家,患者・一般市民参画の意義
  情報の公開―NICE関連情報はウェブ上で閲覧可能
  NICE診療ガイドラインから学ぶべきこと
5章 ブレア首相の改革の評価とこれから
  ブレア首相による保健・医療分野の改善―
   「一般の人々の価値観」と「医療ガバナンス」
  保健医療改革の成否―評価には時間が必要
  マスメディアの反応にみる評価
6章 日本医療への処方箋
  医療資源の集約化と役割分担
  病院内開業契約制度と業務内容に応じた報酬
  外国人医療従事者受け入れ態勢の整備
  消費税を財源とする医療費の確保
  受益者負担の原則
  子ども家庭省の設置
  第三者機関による研究費の管理と分配
  第三者機関による医学校の管理と集約化
  家庭医専門制度の創設
  研修医の賃金の統一
  地域が担う研修医制度の構築と指導医の地位向上
  第三者機関による医療の質・安全の監視
  大学病院の機能特化,研究施設の集約化
  患者・一般市民参画の法制化
  国レベルの医療従事者求人・求職照会制度の創設
  かかりつけ医制度の強化と保健指標に対する補助金の付与
  療養施設の複合化と重篤患者に対する医療の見通し
  医療秘書制度の創設
  看護師やコメディカルの体制の充実
  変形労働制の待遇改善
終章 良きバランスへ向けて
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