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「週刊医学界新聞」Presents

「あの人」とひらく「この本」

2020.11.02  週刊医学界新聞(通常号):第3394号より



「週刊医学界新聞」Presents

シリーズ ケアをひらく20周年記念オンラインセミナー
「あの人」とひらく「この本」

白石正明
(医学書院)
藤沼康樹氏 伊藤亜紗氏 東畑開人氏


 「科学性」「専門性」「主体性」といったことばだけでは語りきれない地点から《ケア》の世界を探ります――。野心的な宣言とともに創刊された《シリーズ ケアをひらく》は,今年9月に創刊20周年を迎えました。本シリーズ愛読者の皆さまへの感謝の意を込めて,読書会を軸としたオンラインイベントを9月13日に開催しました(プログラムおよび演者は下記のとおり)。

演者
藤沼康樹氏(日本医療福祉生活協同組合連合会家庭医療学開発センター所長)=モデレーター
熊谷晋一郎氏(東京大学先端科学技術研究センター准教授)=『リハビリの夜』著者
東畑開人氏(十文字学園女子大学准教授=『居るのはつらいよ』著者
伊藤亜紗氏(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)=『どもる体』著者

プログラム
第1部:オンライン読書会
 熊谷晋一郎さんと読む『どもる体』,伊藤亜紗さんと読む『居るのはつらいよ』,東畑開人さんと読む『リハビリの夜
第2部:オンラインセミナー

 プログラム第1部の読書会は,《シリーズ ケアをひらく》の著者3名がそれぞれ自著以外の読書会を担当するという,ちょっと変わった企画を試みました。本紙では,読書会参加者の感想(参照)とともに,読書会の振り返りセッションとして位置付けられた第2部オンラインセミナーの模様を報告します。

動画アーカイブはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=3m9IupwTojY&feature=emb_logo


 第2部は藤沼氏がモデレーターとなり,第1部読書会でファシリテーターを務めた東畑氏と伊藤氏に加え,《シリーズ ケアをひらく》編集担当の白石正明(医学書院)が体調不良の熊谷氏の代理として登壇しました。

文学作品として読む『リハビリの夜

 セミナーの前半では,参加した各読書会の様子と印象的な出来事がファシリテーターから報告されました。『リハビリの夜』の読書会を担当した東畑氏が事前に参加者に提示した課題は「なぜリハビリの夜は面白いのか」。『リハビリの夜』がケア論にとどまらず,文学的な魅力も有することがこのテーマを選んだ理由だったそうです。

東畑 読書会は,印象的なシーンを語り合うのが盛り上がりました。例えば,幼いころの熊谷さんがリハビリキャンプに向かう途中に唐揚げを食べるシーンや,謎の女の子と取っ組み合いをするシーンですね。読書会って楽しいと思いました。

藤沼 名シーンを挙げたくなる本なんですよね。それに風景描写が美しい。「子ども時代の失われた記憶が蘇った」という参加者の感想も印象的でした。

 さらには「子どもが自立して青年となる語が神話的で,映画『スター・ウォーズ』のよう」(東畑氏),「最初はひとりだったけど,次第に仲間が増えていく。桃太郎のようにも読める」(白石)と例示。「痛いのは困る(表紙オビ)」「あなたを道連れに転倒したいのである(22頁)」など,紡ぎ出される言葉の数々にも賛辞の声が挙がるなど,シリーズ屈指の文学作品(?)に対する批評が白熱しました。

ケアとセラピーの間で「いる,だけ」を考える

 『居るのはつらいよ』読書会を担当した伊藤氏が提示したテーマは「別れ」。同書の後半部分では2つの対照的な別れの場面があり,一方はケア的,他方はセラピー的なものとして描かれます。読書会では,参加者が十人十色の別れのエピソードを披露。ケアとセラピーについて思索を深めました。その一例として共有されたのは,派遣社員の契約期間終了時における別れ。正社員とは異なり最後に別れの場面が用意されることもありません。「それまで可視化されなかった人間関係の真実が浮き彫りになった」そうです。

 『居るのはつらいよ』では「ただ,いる,だけ」の価値を脅かすものとして効率性や生産性を求める「会計の声」(316頁)が登場します。これを踏まえて議論は次のように展開します。

藤沼 「居るだけでいい」というのは効率性や生産性とは違う次元にある。そういう在り方を認めることが難しい社会になっていますよね。

伊藤 ケアの場の確保がいかに難しくなっているかという話は,他の参加者からも出ました。『居るのはつらいよ』はケアの現場の話だけでなく,労働や評価など,社会全体の価値のヒエラルキーについても考えさせられます。

 また同書では,ケアとセラピーは「成分」のようなものであり,人が人にかかわる時は常に両者は入り混じっているとされます(276頁)。ケア嫌い(?)だった伊藤氏は,この一節を読んで以来,自分の身に置き換えて「ケア」を考えるようになったそうです。ケアでひらくこと,つまりコロナ禍で浮き彫りになった労働や経済の問題をケアという視点でとらえ直したいと,今後の展望を語りました。

モーフィング過剰社会をどう生きるか

 『どもる体』読書会のテーマは「パターンとそれを滑らかにつなぐモーフィング」。モーフィングとは,ある音(パターン)から別の音(パターン)への移行部における声道の微調整を指します。熊谷氏は読書会において,「人生もパターンとモーフィングの組み合わせである」と喝破(!)。この名言は,続くセミナーで次のように読み解かれました。

白石 パターン間の移行が上手にできる人は,“滑らかである”と評価されます。でも「その滑らかさが過剰に評価されている」というのが熊谷さんの問題意識ではないでしょうか。

伊藤 そこに注目するのが面白いですね。確かにパターンは社会的な規範に近くて,パターンとパターンをつなぐ過程の自由が,現代社会においては抑圧されているように感じます。

 読書会を傍聴した藤沼氏が着目したのは,心身二元論が肯定的に用いられている点です。これに対して白石は「『リハビリの夜』も『どもる体』も“しようと思ってもできない”を描いている」と共通点を挙げ,心身二元論の有効性から「ケアとセラピー」をめぐる議論へと発展しました。

 セミナー後半では「心理療法の訓練を受けた専門家は,モノをもらったときに身体が固まってしまう」「偶然を引き起こす“ゆるさ”を仕掛けるのがケアにかかわる人の大事な仕事」「日常がAmazing,病人はCreative」など,台本なしの名言(迷言)が連発(乱発)。緩やかな脱線を繰り返しながらも,本を読むこと,そして語り合うことの楽しさを実感するトークイベントとなりました。

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