医学界新聞

寄稿 牧野 みゆき,竹林 由武

2020.09.21



【寄稿】

COVID-19下における日本人医療従事者のメンタルヘルス危機

牧野 みゆき(国立精神・神経医療研究センター 認知行動療法センター)
竹林 由武(福島県立医科大学医学部健康リスクコミュニケーション学講座 助教)


 2020年1月にCOVID-19発生が国内で初めて確認されて以降,これまでに7万2833人の感染者,1398人の死亡が確認された(2020年9月8日現在)。日本政府は現状では医療体制はひっ迫していないとコメントしている。しかし,5月25日の緊急事態宣言解除後も感染者数は全国で再び増加し,一部の地域では重症者も増加して大都市圏を中心に予断を許さない状況が続いている。

 感染症流行下に医療従事者に掛かる業務上および心理的負担は甚大である。感染による死を覚悟し遺書を書いた医師,感染者の急増などによる急な勤務変更やそれに伴う育児・介護を他者に頼む負担を強いられる医療スタッフなど,感染症流行下に医療現場にいるスタッフ一人ひとりの心理社会的負担を挙げれば枚挙にいとまがない。医療従事者に掛かる心理社会的な負担が重篤な精神疾患の発症や自殺などの深刻なメンタルヘルスの危機へと発展し得ることが報告されており,コロナ禍でも同様の懸念が生じている1, 2)

感染がもたらす医療従事者のストレス源は

 COVID-19のアウトブレイクが生じた中国の看護師・医師1257人(うち760人が武漢市内の病院勤務)を対象にした調査3)では,半数にうつ症状が認められ,34~45%程度の人が不安症や不眠症の症状を呈したことが報告されている。感染症流行時は,感染者の増加に伴って感染対応に当たる医療従事者の業務量および勤務時間が増加することに加え,感染への恐怖が医療従事者にとって大きなストレス源となる。SARSやMERSなど過去の感染症に関する疫学調査から,症状が軽症であっても感染による検疫で隔離を経験した場合,数か月~数年のフォローアップ期間におけるうつ病や不安症の発生率が高くなると報告されている4)

 感染の恐怖は,スティグマによる世間からの偏見や差別によって強くなる。実際,COVID-19の感染者との接触リスクのある医療従事者のストレスとスティグマとの関連を検討したイタリアの調査では,スティグマへの心理的な負担が業務負担以上に医療従事者のストレスの強さと関連することが報告されている5)。例えば日本では,医療従事者を親に持つ子どもがいじめを受ける,感染のリスクが高いと思われて保育園への登園を拒否される,タクシーの乗車を拒否される,嫌がらせやクレームの電話を受ける,などの事例が既に発生している6)

女性を取り巻く社会構造の問題

 日本の看護師は9割が女性で占められており7),多くの場合で女性が家事育児の主な担い手となっている。こうした職業・社会的なジェンダーの不均衡は,感染症流行下における医療従事者のメンタルヘルス問題を一層深刻にしていると考えられる。例えば子を持つ女性の医療従事者はフロントラインに立ちながら,育児や家事などの対応にも追われる板挟みの中で,周囲から偏見や差別の目を向けられるなど窮地に追いやられやすい状況にある。こうした社会構造は日本国外でも同様であり,感染者対応に当たった中国の病院に勤務する女性医療従事者を対象とした調査8)では,2人以上の子を持つ女性ほど抑うつなどのストレス症状が高かった。背景には業務負荷と家事負担との相乗効果が指摘されている。

 共働き世帯であっても妻は夫のおよそ5倍の時間を家事・育児に費やしている9)など日本の男性育児参加率が世界的に極めて低いことを考慮すると,業務負荷だけでなく家事育児の負荷という観点からも女性医療従事者を支える社会的な取り組みを推進する必要があると思われる。

 2020年2月,日本看護協会は子どもの休校・休園に伴う看護職の休業の影響による医療体制の整備を含む要望書を国に提出し,それ以降もCOVID-19に関する看護職のメンタルヘルスの相談窓口の設置を行うなど,早急な対応に取り組んでいる。

メンタルヘルスの問題に対する方策

 医療従事者のメンタルヘルスの危機と支援の必要性はCOVID-19の感染流行初期から指摘されてきた。例えば,WHOなどが関与する機関間常設委員会(Inter-Agency Standing Committee:IASC)では,過去の感染症の流行後の疫学調査等の知見を統合し,2020年3月には感染症流行期に見られる心理社会的な反応と支援に関するブリーフィングノート1)を公開している。その中では第1にストレス反応をノーマライズすることの重要性が指摘されている。「ノーマライズする」とは,強いストレスを感じる過酷な状況下では多様なストレス関連の心身の反応が誰にでも起こり得ると共有することである。第2に医療従事者へのスティグマを軽減する取り組みの重要性が指摘されている。世界的に医療従事者へのエールを送ること(例えば企業による衣料品の寄贈や医療者をヒーローに模した絵をSNSで拡散するなど)や,市長など地域や組織のリーダーが感染者を非難しないよう呼び掛けることなどが社会的な取り組みとして行われている。これらは医療従事者に対するスティグマ軽減に一定の効果をもたらしているかもしれない。

 医療従事者が感染した場合には,他の感染者への対応と同様にPsychological First Aids(PFA)の原則に基づいて,感染者が孤立しないよう傾聴と共感をベースにして感染者の当座のニーズに応じた支援を提供することが有効だと考えられる1)。ただし,感染防止の観点からメンタルヘルスサポートの対面実施が困難な状況では,ビデオ通話などの遠隔通信技術を活用してサポートを提供する必要が生じており,その技術習得や環境整備が心理支援提供のハードルの1つとなっている。メンタルヘルスに関する遠隔技術やオンライン上の支援ツールはコロナ禍以前から日本では諸外国に比べ不足しており,早急な体制構築が求められる。筆者(牧野)が所属する認知行動療法センターでは,蟹江絢子医師を中心に精神科医・臨床心理士・助産師・看護師が周産期メンタルヘルスに関するプロジェクト「Knowell Family」 を立ち上げ(),当事者や支援職に対しCOVID-19における日常生活や出産・育児,メンタルヘルスについての情報を発信して啓発に努めている。

 Knowell FamilyのWebサイト(認知行動療法センターのメンバーが中心となって設置)(クリックで拡大)
2020年よりWebサイトを公開し,各専門家が日々の研究・臨床で培ってきた周産期に活用できる認知行動療法の知識を広く発信している。

 感染症対応の最前線にいる医療従事者に最大の敬意を払いエールを送るとともに,心理社会経済的な最大のサポート環境が十分に構築されるよう,専門家と行政が協働することが求められる。

参考文献・URL
1)IASC Reference Group on Mental Health and Psychosocial Support in Emergency Settings.Interim Briefing Note Addressing Mental Health and Psychosocial Aspects of COVID-19 Outbreak Version 1.5. 2020.
2)Lancet Psychiatry. 2020[PMID:32353271]
3)JAMA Netw Open. 2020[PMID:32202646]
4)Lancet. 2020[PMID:32112714]
5)Ramaci T, et al. Social Stigma during COVID-19 and its Impact on HCWs Outcomes. Sustainability. 2020;12(9):3834.
6)日本看護倫理学会.新型コロナウイルスと闘う医療従事者に敬意を―日本看護倫理学会声.2020.
7)厚労省.平成30年度衛生行政報告例の概況―結果の概要.2019.
8)J Neurol Neurosurg Psychiatry. 2020[PMID:32366684]
9)内閣府男女共同参画局.「平成28年社会生活基本調査」の結果から―男性の育児・家事関連時間.2017.


まきの・みゆき氏
2002年静岡県立大短期大学部卒。大学病院勤務を経て09年武蔵野大人間関係学部(当時)卒,11年同大大学院修了。修士(臨床心理学)。国立精神・神経医療研究センター病院勤務を経て13年より現職。武蔵野大非常勤講師。看護師・臨床心理士・公認心理師。

たけばやし・よしたけ氏
2008年立命館大人文学部卒。14年広島大大学院修了。博士(総合科学)。統計数理研究所特任助教などを経て16年より現職。臨床心理士。

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