医学界新聞

寄稿 川野 雅資

2020.06.22



【寄稿】

トラウマインフォームドケアが変える患者―医療者の関係性

川野 雅資(奈良学園大学保健医療学部看護学科 教授)


 トラウマインフォームドケア(以下,TIC)は,トラウマを理解するための3つのE(表1),そしてTICを実践するために必要な4つの仮定,6つの原理,10のガイダンス(表2)への組織的な取り組みを指す。安全性,信頼性,透明性のある組織を醸成しつつ,患者の宗教的信念,性的指向,社会経済状態,言葉遣い,地域性などの文化に敏感となるよう,スタッフと患者が協働して互いにエンパワメントすることが目的である。

表1 トラウマの理解

表2 トラウマインフォームドケアの実践に必要な要素

米国の精神科医療の歴史からTIC研究をひもとく

 TICに関連する研究をさかのぼると,1980年代より文献が散見され,次の3つの特徴が確認できる。①虐待を受けた母親と,その母親から誕生した乳幼児の成育に否定的な影響があること1),②4つの心理的影響(外傷的な性化,裏切り,スティグマ化,無力感)が虐待を受けた子どもに与えられること2),③成人の精神科入院患者100人のうち,大多数(81%)が身体的・性的虐待を受けており,その3分の2は小児期に虐待を受けていること3)。その後,2000年代中盤にかけて,一般米国人4, 5)および,精神障害者のトラウマ的体験の実態調査6, 7),入院中に精神科医療の場で受けた虐待・再トラウマ体験の実態調査8, 9)など多くの実態調査研究が発表された。これらの調査研究から,一般米国人の多くが,そしてほとんどの精神科病院の入院患者がトラウマ的な体験をしていること,さらには,入院中に再トラウマ体験を受けていることが明らかになった。

 また,1998年に米国の代表的な医療保険会社であるカイザーパーマネントと米国疾病予防管理センター(CDC)が共同で行った大規模研究(n=9508)の結果が与えた影響も大きい。この研究は,虐待,家庭問題,ネグレクトなどをはじめとした小児期逆境的体験(Adverse Childhood Experiences:ACEs)と,成長後の健康上のリスク(疾患・障害・社会問題など)との関連性に焦点を当てたもので,ACEsが身体的・精神的健康や物質依存,自殺念慮・企図,パートナー間暴力などに長期にわたって影響を及ぼすことを明らかにした。

 他方,米国では1990年代から2010年代にかけて精神科医療における強制入院および隔離・身体拘束に対する代替方法の研究と実践も行われてきた。隔離・身体拘束の安易な適用,エビデンスに基づかない診療,訓練を受けていない医療者による実施,非人道的な対応,患者,医療者双方が事故や生命の危険にさらされていることなどが報告されていたからである。また,人権,倫理の視点からも,強制的ではない治療や看護をめざすCohesion freeをうたい,法的にも厳しいガイドラインを示して隔離・身体拘束の削減に努めた。

 さらに,米国精神保健協会(MHA)によるPosition Statement 24では「隔離と身体拘束は何も治療的な価値がなく,人々を情緒的・身体的に傷つけ,死につながることさえある」と厳しい指摘がなされた。そのため現在は,米国の多くの精神科病院が隔離・身体拘束をなくしている。これらの背景があり,2014年に米国薬物乱用精神保健管理局(SAMHSA)はTICの手引きを発表し,2018年に日本語に訳出された10)

日本におけるTICの現状

 筆者は2006年頃に,米ハワイ大在学時代の同窓生である精神科看護師のチャールズ・セントルイス氏からCohesion freeの概念を,また2010年頃にはTICを紹介していただいた。これが筆者とTICとの初めての出合いで,以後,日本での普及活動に取り組んでいる。

 わが国では,2002年に結成された日本トラウマティック・ストレス学会がTICの普及活動に努めている。また,日本精神科救急学会が『精神科救急ガイドライン2015』の第3章「興奮・攻撃性への対応」にTICの考え方を導入したことも特筆すべき点である。

 現在は,筆者以外にも研修を行う専門家がおり,学習機会の場が増えた。組織的に取り組む精神科病院については情報を持ち合わせていないが,研修修了者がそれぞれ実施していることは聞いている。特に,精神科訪問看護の場ではTICを取り入れている方は多いのではないだろうか。

「トラウマ的な体験からの行動」という視点を持ってかかわる

 TICは,表1,2のポイントに沿いながら,患者の行動や反応を病気の症状としてとらえるのではなく,幼児期のトラウマ的な体験に対処する反応や行動として理解し受け止める考え方である。例えば,患者が大声を出しているとしたら,それを「良くない」症状として判断するのではなく,「小児期のつらい体験がもとで,大きな声を出してしまっているのだろう」というように理解することが重要になる。すると看護師は,「患者の大声を止めさせよう」「隔離をしよう」などの発想にならず,「どうされたのですか」と問い掛けるアプローチになりやすい。こうしたかかわりによって患者は,自身が体験している大声を出さなくてはいられない何かを表現でき,看護師と共に解決策を見つけ出せる。

患者と医療者が支え合ってTICの文化を醸成する

 日本における隔離・身体拘束の現状を,令和元年度630調査からみると,精神科入院患者27万2096人に対して,1万2815人に隔離,1万875人に拘束,そして1569人に隔離と拘束の指示があった11)。この事態を改善するには,MHAの指摘を取り入れ,診療報酬制度の精神科特例をなくす,もしくは精神科医,臨床心理士,作業療法士や精神保健福祉士といった他職種専門家の配置を増やし,ピアサポーターを採用する人的体制の整備をすることが一案である。同時に,TICを組織の理念と行動指針に取り入れることも求められるだろう。エビデンスに基づき,隔離と身体拘束を避けるための手段に関する情報を取得しておくべきである。

 また,TICの視点で業務を見直してみることがスムーズにTICを現場に導入させるための近道である。例えば,以下に示した事例のように,患者や家族の意見を取り入れる柔軟性を持って改善することである。

・外来を受診する患者にあちこち移動をさせていないか
・患者に書類を持たせていないか
・退院時に不要な手続きをさせていないか
・救急外来の患者を何時間も待たせていないか
・不必要な決まり事はないか
・掲示物の表現やデザインは思いやりがあるか
・坂や段差など危険な場所はないか
・不快な臭いはしていないか
・夜間のワゴン車の音が大きくないか
・医療者の話し声が大きくないか
など

 TICの文化を組織的に醸成することは,医療従事者の再トラウマ体験,代理のトラウマ,二次的トラウマ,そして燃え尽き症候群に対しても有効である。例えば,従事する看護師にとって患者の言動が自身のトラウマ的な体験と結びつくこともあり得るからである。

 患者・家族・回復者の視点や体験を取り入れ,患者・家族・回復者と共に作り上げるTICが日本でさらに発展することを期待したい。

参考文献・URL
1)Child Abuse Negl. 1983 [PMID:6686797]
2)Am J Orthopsychiatry. 1985 [PMID:4073225]
3)Am J Psychiatry. 1987 [PMID:3605402]
4)Arch Gen Psychiatry. 1995 [PMID:7492257]
5)Psychol Med. 2004 [PMID:15500309]
6)J Consult Clin Psychol. 1998 [PMID:9642887]
7)Psychiatr Serv. 2004 [PMID:14762240]
8)Psychiatr Serv. 2005 [PMID:16148328]
9)Am J Prev Med. 1998 [PMID:9635069]
10)SAMHSAのトラウマ概念とトラウマインフォームドアプローチのための手引き.2018.
11)ReMHRAD.精神保健医療福祉に関する資料.2019.


かわの・まさし氏
1973年千葉大教育学部特別教科看護教員養成課程卒。東京都民生局(当時)などで臨床を経験後,杏林大,三重県立看護大,共立女子短大,慈恵医大,山陽学園大などの教授を歴任し,2017年より現職。84年米ハワイ大看護学部修士課程精神看護学CNSコース修了。『トラウマ・インフォームドケア』(精神看護出版)など著書多数。

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