医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部 俊子

2020.01.27



看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第181回〉
息子の手術と父親の経験

井部 俊子
長野保健医療大学教授
聖路加国際大学名誉教授


前回よりつづく

 ある会合で,息子(5歳)の手術に付き添ったという男性と知り合った。その男性は病院側の対応に違和感を抱いたと,顔を紅潮させてひとしきり不満をぶちまけていた。「医療者の関心が患者に向いていない」というのである。そのハナシを再録しよう。主人公の名は仮に「中尾」としておく。学生時代はラグビーをやっていたという,さわやかなスポーツマンである。

廊下に並んだパイプ椅子で教授回診を待つ

 中尾の息子は,滲出性中耳炎とアデノイド一部切除術を受けるため近くの大学病院に入院した。2泊3日の予定で付き添いを求められ,中尾は簡易ベッドで寝泊まりした。そのため彼は,入院中の一部始終を見ていたのである。

 中尾の違和感の1つ目は「教授回診」である。午前7時25分,執刀医が部屋にやって来た。出掛けるので準備するように,とのことだった。病室を出ると,耳に包帯を巻いた見知らぬ老人2人がわれわれを待っていた。みんなと一緒にエレベーターに乗り込み6階で降りる。廊下には約20脚のパイプ椅子が並べられていた(後に医師と判明した若い男性2人とわれわれの執刀医の総勢3人が,椅子を壁に沿って並べていた)。ラッキーなことに中尾の息子は,一番先頭に位置する椅子に案内された。先頭だとわかったのは,その先に診察椅子が置かれた小部屋があったからである。しばらくすると,パイプ椅子は具合の悪そうな人たちで埋め尽くされた。

 そこへ,満面の笑みを浮かべた男性が現れた。男性はいそいそとパイプ椅子の前を横切り小部屋へと入っていった。彼が「教授」である。執刀医と若い男性2人が後に続いた。執刀医から息子の名前が呼ばれ,小部屋へ入った。「教授」は笑顔を浮かべたまま診察椅子に腰掛けた息子の口をのぞき,「おっきいねー」「今日は手術がんばってねー」と,父親である中尾に向かって言葉を発した。わずか5秒の出来事だった。

 まるでモノを並べるように,廊下に置かれたパイプ椅子に患者を座らせる病院の感覚に中尾は疑問を持ち,さらに患者や付き添って来ている父親に何の説明もなく終わる「教授回診」に憤然とした。

業務優先の手術前準備

 中尾の違和感の2つ目は,「手術前準備」である。

 手術当日の午前6時25分,看護師が病室へ入ってきた。夜勤担当であると,初対面の中尾に告げた。6時30分以降は水も飲めなくなるので今のうちに100 mLを飲むように,ということだった。寝起きだった息子はつがれた水を一口含み,「もういらない」とコップを置いた。

 「えー,こんなに残ってるじゃーん」

 「後でもう飲めなくなるよー」

 「もうちょっと飲んでおこうか―」

 以降飲食禁止を告げられている親としては不安に駆られ,もう少し飲むように促した。結局,ほとんどの水を残したまま「飲食禁止」となった。

 夜勤担当の看護師は手術着を持ってきた。8時30分には手術室へ出発するので着替えておくように,とのことだった。彼女は,繰り返し念を押すように「着替えておくように」と言った。中尾は,直前に着替えればよいだろうと考えて,手術着はベッドの上に置いたままにしていた。なにしろ,12月の寒い日に,パンツ1枚に手術着という姿にさせるのはしのびないという親心であった。しかも,大した着替えでもないので直前で十分間に合うし,そのほうが息子も緊張しないですむと判断したからである。

 日勤担当の看護師が血圧と体温を測定しにやって来た。そして「8時45分の予定で手術室へ出発するので,また迎えに来ます」と言った。この時,中尾は妻から聞かされていた予定時刻が8時45分であることを思い出した。

 8時,夜勤看護師が病室へやって来た。まだ手術着に着替えていないことを注意された。

 8時9分,仕方なく手術着に着替える。緊張が高まってきた息子は現実逃避のためYouTubeに没頭する。その後,また夜勤看護師がやって来た。8時30分に出発するから準備をするように,とのことだった。

 当初の予定と言っていることが違う。中尾はカチンときた。

 不安になった中尾は何が正しいのか問いただしたが,返ってくるのは全くチンプンカンプンな説明だった。エレベーターが混むから,いろいろ準備があるからとか言うけれど,エレベーターは大して待たずに乗れたし,準備といっても子ども用のストレッチャーに乗る以外に準備はなかった。息子は緊張のあまりストレッチャーに正座したまま微動だにしなかった。

 結局,手術室へ出発する時には主任というネームプレートを付けた看護師と日勤看護師の2人が病室まで迎えに来てくれた。時刻は8時50分だった。

 2階の手術室前に到着すると,自動ドアのガラス越しに大きく手を振る人がいた。手術室前に待機する看護師だった。その姿は少々滑稽であったが,場の空気を和らげ緊張を解きほぐしてくれた。

 中尾にとって2泊3日の病院生活は,看護師それぞれのささいな対応に感情を動かされた経験であった。夜勤の看護師はあくまでも業務優先であり,患者や家族の気持ちは二の次であった。手術室前に待機して手を振ってくれた看護師に出会えて,ようやく,看護師というよろいを脱いだ人間看護師に出会うことができた。安心感を覚えてうれしかったと,中尾は語っている。

小さな願いを聞き出し実現する

 中尾は次のように総括する。

 「病院で過ごす時間の全てが,患者であるわれわれにとっては非日常です。しかし,その非日常が医師や看護師にとっては働く職場であり,日常のごく一部にすぎません。この両者にはギャップが生じています。院内で生じている医療者中心のルーティンに気付き,医療者が当然としている出来事は患者(家族)からはどのようにみえるのかを考えてほしいと思います」。

 私はこの原稿を書きながら,『在宅無限大』(村上靖彦著,医学書院,2018年)の一説を想起していた。本書は,タイトルが示すように,無限に多様な在宅医療の価値を示すものであるが,中でも著者が,「共通して重要視」している3つの側面のうちの1つ,「小さな願いを聞き出し実現すること」に着目したい。中尾にとって,そして彼の最愛の息子にとって何が願いだったのか。おそらくそんなに無理難題ではないであろう「小さな願い」を聞き出し,それに応えようとしていれば,中尾は顔を紅潮させて怒ることもなかったのであろう。

つづく

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