医学界新聞

グラフィックレコーディングのはじめかた

連載 岸 智子

2020.01.13

前回,グラフィックレコーディングは新しい形の議事録,ノートの取り方であり,事実や正解だけではなく,参加者,発言者の感情や背景など,その場で起きていること,つまり,プロセスが記録されているものだとお伝えしました。私は,プロセスが記録されていることこそがグラフィックレコーディングの価値だと考えています。

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プロセスを記録することが「価値」につながるのはなぜでしょうか? 本論に入る前に,まずは記録をする目的や意味を少し考えてみたいと思います。

記録は「記憶する」ために行うものだと考えます。極論,見聞きしたこと,体験したこと全てを記憶しておくことができれば,記録する必要はないのかもしれません。けれども,残念ながら私たちは全てを記憶にとどめておくことはできません。どんなに印象に残った体験や話であっても,時間の経過とともに記憶が薄れてしまったり,解釈や意味付けが変わったりすることも少なくないでしょう。だから,「記録」に頼るのです。

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今や情報はそこかしこに溢れています。インターネットで検索すればたくさんの情報にアクセスすることができますし,「事実」や「正解」にたどり着くことはそれほど難しいことではありません。言い換えてしまえば,「事実」や「正解」は書籍やインターネット上の情報に任せてしまっても問題ないのです。

ではなぜ,あえて手描きで,図や絵を用いて記録をするのでしょうか?

記憶するための記録とは,読み返したときに記憶が想起できるような記録だと私は考えています。ですので,必ずしも正確な記録ではないかもしれないけれども,そこで起きたことや話されたこと,自分が感じたことや考えたことなどが,イメージとして湧き上がってくるような記録の形が必要なのです。そのような記録の手段の一つとして,グラフィックレコーディングが力を発揮します。

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例えば,Aという体験をしたとします。その時点では単なる「出来事」でしかありません。しかし,その時に自分が何を感じたのか,どんな気持ちになったのかなど,感情が組み合わせられることで「意味」が生まれます。すると,「そういえばAを体験した時,こう思ったんだよな」と,イメージができる。つまりは,記憶が想起しやすくなるのです。

グラフィックレコーディングでは,簡単なイラストを用いて感情や気持ちを記録することができます。難しい絵を描く必要も,上手な絵を描く必要もありません。絵やイラストは,あくまでも感情を記録するための手助けをするツールなのです。

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体験を記憶するには「言語化」も必要になります。言語化は概念を明確化していくことでもあるので,そぎ落とされてシャープになっていきます。これは「抽象化」とも言います。

一方,絵や図,色などを用いたグラフィックレコーディングの手法は「画像化」と言えます。体験したこと,感じたことが曖昧な状態であったり,もやもやしたままであったりしても,その場の雰囲気や印象を残すことができるのが特徴です。言語化していく段階でそぎ落とされた曖昧さや,その場の雰囲気,温度感,空気といったものを残すには画像化が役に立ちます。

ただし,言語化と画像化を使い分ける必要はありません。言語化/画像化のどちらを選ぶのか,判断基準は自分自身であり,自分の感性です。

私は,自分の手で描くこと,そしてライブ(=リアルタイム)で描くことで,自身の感性を通した記録をすることができると思っています。

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大切なのは,何に一番心を動かされたか,何が印象に残ったのかを意識しながら話を聞いて描くことです。自分の感情が動かされて描いたことが何よりも大事にしたいことであり,自分自身の正解でもあります。調べればわかる事実や正解ではなく,自分自身の「正解」を記録する。それこそがグラフィックレコーディングの強みなのです。

ぜひ,自分の体験や相手の話に意識を向け,自分自身の心が動いたことを素直に書き留めてみてください。きっと記憶に残るものとなり,意味のある記録へと変化していくでしょう。

(つづく)

福岡女子大学社会人学び直しプログラム コーディネーター

小売業,情報サービス企業で会社員として店舗企画,人材開発などの業務に従事する傍ら、産業能率大大学院総合マネジメント研究科を修了。2014年より現職。現在は、グラレコの普及活動や多様な働き方を応援するコミュニティ「キャリアバラエティ」の運営を手掛ける。

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