組織の精神的支柱(井部俊子)
連載
2019.08.26
看護のアジェンダ | |
看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き, 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。 | |
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井部 俊子 長野保健医療大学教授 聖路加国際大学名誉教授 |
(前回よりつづく)
聖路加を離れて3年半がたとうとしている。この間,送られてくる広報誌『明るい窓』にふと心を寄せる。心を寄せるページは決まっている。「チャプレンからのメッセージ」である。
チャペルという「場所」の喪失
2019年7月号(これが通巻第882号になることを表紙右上の数字で知った)には,ケビン・シーバー・チャプレンの『場所』が掲載されている。聖路加では,病院と大学の間にチャペルがある。そのチャペルが現在使用中止になっているという嘆きである。
1年前に「女性の親指ほどの大きさの落下物が見つかった」ために建物が危険と判断されたのである。そのため向かい側の,われわれがロビーと呼んでいた場所をアレンジして,チャペルは仮運用している。現在,“危険な場所”として立ち入ることのできない旧館チャペルに忍び込んだチャプレンの告白が,短いエッセイ『場所』である。
彼は,「追放された者がその母国を恋しく思うように,チャペルに復帰できる日を待ちわびている」のである。そして,パリのノートルダム大聖堂の炎上に思いをはせる。「僕も新婚旅行で,当時クリスチャンではなかったが,妻と一緒にノートルダムを訪れた」ことを思い起こす。そしてこのように続ける。「天地万物をお造りになったまことの神さまは全能であり,どこにでもおられ,場所を問わず人々の祈りをいつどこでも聞き入れてくださる,と頭の中ではわかってはいるけれど,やはり場所が大事だ」と思うのである。
キリスト教では,主なる神にふさわしい聖堂を建てようと代々にわたり大勢の人々が尽力し,最初の聖堂は殉教者の墓を中心に築かれたという。聖路加のチャペルにも,聖路加のために命をささげた創立者トイスラー博士の遺骨が納められている。その場所で,「今だれもお祈りしない」ことへの彼の空虚さと哀しさが伝わってくる。聖路加のチャペルは,彼が指摘するように,「聖路加らしさ」を支えている中心地だったように思う。
組織はその精神的支柱を持たなければならない
聖路加国際病院の理念がチャペルの存在と重なる。日本医療機能評価機構の受審の際には「理念カード」として職員のポケットに納められたものである。
人の悩みを救うために働けば
苦しみは消えて
その人は生まれ変わったようになる
この偉大な愛の力を
だれもがすぐわかるように
計画されてできた生きた有機体が
この病院である
(ルドルフ・B・トイスラー,1933年)
聖路加人として口ずさんでいた「生きた有機体」という組織の在り方が具現化されていたことを実感する。聖路加を離れた今,職員が患者のために仕事をするという聖路加の方向性にブレはなかったことを改めて思い起こす。少なくとも部門間のセクショナリズムはなく,組織人として皆が柔軟であった。
先日,他大学で臨床研究センターの中核を担っている男性に出会った。彼は聖路加で研修医を経験したと私に伝え,聖路加スピリットを持って仕事に向かっていることを話してくれた。すがすがしかった。
聖路加という組織を離れ,別の組織に所属している現在,強く感じることは,組織はその精神的支柱を持たなければならないということである。それは,そこに集う人々を結集させ,志を同じくし,力を合わせてものごとを成し遂げようとするマインドを築く上での規範となる。そのことが組織としての総合力となり,一人ひとりに力を付与していくことになる。
自分が今,なんとなく精神的に浮遊状態にあるのは,所属する組織の精神的支柱が定まっていないからかもしれない。
*
ケビン・シーバーは,旧館チャペルに入れない心境を,「キリスト教の愛の心」の胸腔がぽっかりと空いていて,こちらの胸まで痛むと書いている。チャペルという「場所」を持たない組織は精神的支柱となる「言葉」を持たねばなるまい。
(つづく)
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