医学界新聞

寄稿

2019.04.08



【寄稿】

Faculty Developmentに教育哲学を
指導医のための医学教育学プログラム「京大FCME」の実践から

錦織 宏(京都大学大学院医学研究科 医学教育・国際化推進センター/名古屋大学大学院医学系研究科 総合医学教育センター)
及川 沙耶佳(京都大学大学院医学研究科 医学教育・国際化推進センター)
種村 文孝(京都大学大学院医学研究科 医学教育・国際化推進センター)
木村 武司(京都大学大学院医学研究科 医学教育・国際化推進センター)


 「<どう教えるか?>だけでなく,<なぜ教えるのか?>,そして<なぜ教えないのか?>についても考えることのできる場にしよう」

 「医学以外の分野の研究者と積極的にコラボして,医学教育に関する視野が広がるようなプログラムを作ろう」

 

 文部科学省の助成を受け,京都大学で医学教育学を体系的に学べるプログラムを作ることになった2014年,同大学の医学教育・国際化推進センターに所属する教員および大学院生で,このようなことを話し合っていました。全国各地で臨床研修指導医講習会が開催されるきっかけとなった新医師臨床研修制度の創設から10年,ちょうど日本医学教育学会による認定医学教育専門家資格制度が開始されたタイミングです。

指導医の現場の疑問を徹底的に議論する

 21世紀に入ってから約20年,この間(残念ながらではありますが)欧米に先行される形で,国内外で医学教育学に対する関心が広がってきています。医師・医療者を対象として医学教育学を体系的に学ぶことのできる大学院修士課程は,2015年には世界各国の121の大学で開講されるようになりました1)。また,医学教育学分野の英文学術雑誌の数も増え,論文や学術大会の抄録の採択率はどんどん厳しくなってきています。学問分野としての医学教育学やエビデンスに基づいた医学教育が少しずつ認知されるようになってきているのです。

 医療の質には医師・医療者の(態度面も含めた)能力が直接影響します。その向上のためには医学教育の充実化が必要,という正論が医学教育者から主張されるよりずっと前から,臨床現場には一定数の教育熱心な指導医がいて,現場の教育を支えてきました。学生や研修医が診療科をローテートする際には,「〇〇先生は熱心に教えてくれる」という文言がかなりの確率で申し送られています。一方で,この教育熱心な指導医たちはしばしば,「同僚からの信頼を得て教育に関する業務を一任されたものの,自分自身が行っている(もしくは新しく導入した)教育が正しいのかどうかよくわからない」という状況に置かれます。

 このような現場で働く指導医を対象にした京都大学FCME(Foundation Course for Medical Education)は,医学教育についての疑問を徹底的に議論できる場を作ることをめざしました。1年間で合計120時間のプログラムは,4月・9月・3月にそれぞれ行われる4日間の参加体験型授業と,月に2回のWeb討論型授業で構成されています。診療科も年齢も性別も多様な全国各地の指導医たちが,口角泡を飛ばして語り合います。講師から「なぜ?」を問われ続けるその場では,皆,唯一解のない医学教育上の疑問について考え続けることになるのです。

教育哲学なきFDは薄っぺらい

 本プログラムでは,のような思想と哲学を掲げています。

 京都大学FCMEの思想と哲学
1.医療・教育の実践を通して他者貢献「感」を得る
2.多様性を重視する(社会構成主義>実証主義)
3.実証主義文化圏である医学と社会構成主義文化圏である教育学を適切に行き来する(プラグマティズム。適度に「よい~」について問う)
4.自己省察・自己評価を重視する(可能な限り性善説)
5.思考停止しない(なぜ? を問い続ける)
6.現場での行動を重視する(行動する知識人である)
7.対話と討論を重視し,アウトカムと同様にプロセスも重視する(教育のアウトカムを検証するには遠視眼的な視点が求められるので)
8.医療・教育を「社会的共通資本」として捉え,暴走する新自由主義と正当に対峙する
9.難しいことを簡単に伝える(決して,簡単なことを難しくしない)
10.以上の思想・哲学を過度に他人に押し付けない

 実践的な観点からは,教育や評価の方法を工夫することは非常に重要で,指導医養成とも邦訳されるFaculty Development(FD)では一般的に,さまざまな新しい教育手法や評価手法が参加者に伝えられています。一方で,状況(もしくは文脈)に高度に依存する医学教育の現場では,「この新しい教育方法を使えば必ずうまくいきます」ということはあり得ません(そのように話しているFDの講師がいたら疑ってかかって構いません)2)。施設間で教育法や評価法を輸入・輸出する際に考慮すべきことを文化人類学者から学ぶ授業を設けていることは,本プログラムの特徴の一つです。

 もう一つの特徴は,冒頭でも述べた,HowだけでなくWhyを問うFDであるという点です。かつてナチス・ドイツの青少年組織「ヒットラー・ユーゲント」は,おそらく極めて優れた教育方法で若者たちを洗脳することに成功しました。また,全体主義による指導者養成を通じた洗脳に対し警鐘を鳴らした小説『23分間の奇跡』(集英社文庫)は,本プログラムの課題図書の一つになっています。表の思想・哲学に掲げたように,暴走する新自由主義と対峙し,社会的共通資本としての医療・教育を支えるという強い価値観が,本プログラムの骨格になっています。

 これまで4年間,京都大学FCMEに参加していただいた合計48人の指導医の先生方と時間を共有する中で明らかになったことの一つは,「教育哲学なきFDは薄っぺらい」ということでした。強すぎるイデオロギーの不毛さは学生運動が盛んだった昭和の時代にすでに実証されていることですが,自身に内在するビジネスマインドに無自覚のまま研修医のリクルートを主目的に医学教育の方法だけを習得しても,決して良い教育環境を構築することにはつながらない,という強い信念が本プログラムにはあります。そして,(同じである必要は全くありませんが)このような教育哲学こそが,現在,本邦の医学分野で行われている多くのFDに欠けているものではないかと考えます。

自己開示を通じ,自身の教育スタイルを再構築する

 「FDに参加した際のこの隔靴掻痒の感の正体はいったい何なのだろう?」という疑問に,私たちはこれまで長い間,誠実に向き合ってきました。そして,いっそのこと自分たちで作ってみればわかるかもしれない,と思い,上述の教育哲学を掲げ,講師と参加者が横の関係で自由闊達に議論ができる場を京都大学FCMEで作ってきました。

 受講する指導医の先生方は,自身の教育についてケースプレゼンテーションし,他者と比較はしても優劣はつけないとの哲学に基づいた場で,仲間からのフィードバックを受けながら自己開示を通して自身の教育スタイルに気付き,またそれを再構築していかれ(るようにわれわれには見え)ます。教育熱心な先生方が,医学教育学という一つの学問を通してより自由になってもらいたいし,われわれ講師の側もまたそうありたいと考えています。

 忙しい医学部教員や臨床研修病院の指導医の先生方にとって,FDで哲学したり議論したりする時間を取ることは,現実的にはなかなか困難だろうと予想します。一方で,特に大学ではFDの実施が必須のものとなってきており,せっかくやるのであれば意味のあるものにしたいというのは,おそらく多くの方のうなずくところでしょう。FDを企画する機会のある先生方,ぜひ一度,確固とした教育哲学を明示し,「君子和而不同」の議論ができるようなFDを実施してみてはどうでしょうか? 少なくとも京都大学FCMEの経験からは,面白いFDになるのではないかと思うのですけれどね。

参考文献
1)Tekian AS, et al. Master's degrees:Meeting the standards for medical and health professions education. Med Teach. 2017;39(9):906-13. [PMID:28532209]
2)Cook DA. Randomized controlled trials and meta-analysis in medical education:what role do they play?. Med Teach. 2012;34 (6):468-73. [PMID:22489980]

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