医学界新聞

寄稿

2018.06.04



【寄稿特集】

私たちのアドバンス・ケア・プランニング
実践・普及に向けて


 患者・家族の価値観を尊重し,医療者からの適切な情報のもと将来のケア方針を繰り返し話し合うプロセス,アドバンス・ケア・プランニング(ACP)が提唱されて以来,その重要性が認識されてきました。2018年3月に改訂された「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(厚労省)においても,ACPの実践・普及が明文化されています。患者一人ひとりの生き方の選択を支援する立場から,医療者はどのようにACPを進めればよいでしょうか。病院・在宅の最前線で終末期医療に携わる医師・看護師に,ACPへの考えを深めた事例や今後の展望を尋ねてみました。

こんなことを尋ねてみました
①現在の仕事とACPへのかかわり
②ACPの重要性を認識した事例
③ACPの普及に向けて

紅谷 浩之 川島 篤志 松下 明
廣橋 猛 高田 弥寿子 藤田 愛


結論を急がず,迷いながら進むプロセスを大切に

紅谷 浩之(オレンジホームケアクリニック理事長)


①私は福井県福井市を中心に訪問診療を行う在宅医である。2011年に福井県初となる在宅医療専門クリニックを開業し,年齢や疾患を問わず,幅広い方々の自分らしい生き方と向き合い,その実現に向けたお手伝いをしてきた。16年には外来のクリニックも始め,命を脅かすような病気になる以前から,かかりつけ医として切れ目のない人生へのかかわりも続けている。

 今年3月の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」の改訂に際し,私も検討会の構成員として参加し,現場での実践例を通して意見を述べてきた。

②80代女性。外来で慢性疾患の定期受診を続けていた。夫婦仲は良く,水泳が趣味で週に何日もプールに通っていた。そんな彼女に突然,末期のがんが見つかった。説明を受けた後,「まだまだ生きたい。しっかり治したい」と言ったことが記録に残っている。抗がん薬の治療を続けるうちに体力が奪われ,歩行に支障が出始めた。「気長に治したい。死ぬまで楽にいたい」と言う彼女に,転移もあり完治は難しいことを私は伝え,抗がん薬中止を提案した。彼女は「よくわかりました」と落ち込むようなそぶりを見せながら,「まだまだ生きているかもしれないよ」と家族に語っていた。話し合いの途中,家族は他の治療法を探ろうとしたが,最終的には「本人が望む,負担のない治療」を選択した。その後,彼女は体力の続く限り外出や食事を楽しみ,最期は自宅のベッドで家族や知人に囲まれながら静かに息を引き取った。

 この事例において,私は彼女から何度か「先生にお任せします」と言われたことがあった。しかし一度たりとも私が結論を決めたことはなかった。ただひたすら医師として客観的な事実を伝え,しかし同時にその場を客観視することなく,本人や家族とともに答えの出ない現状と向き合い続けた。結局のところ,彼女が自らの人生の最期に満足していたかどうかはわからない。しかし,少なくとも私を含めかかわった人たち全員が,その時々で微妙に変化する彼女の意思を感じ取ろうとし,繰り返し話し合いを続け,選択を重ねていったことは事実である。彼女の死の直後に家族の一人が発した言葉が心に残っている。「人ってこんなに楽に死ねるのですね。私もこうありたい」。

③大事なのは誰かが決めるのではなく,結論のようなものを急がずに家族と共に皆で一緒に悩みながら,思いを共有していくことである。あらかじめ意思表示をしておく「事前指示書」などもあるが,文書に書いたことが絶対になってはいけない。人は迷いの中で選択を繰り返して生きている。曖昧で揺れながらも前に進んでいく,そのプロセス自体を大切にしたい。

 今後さらにACPが普及していくためには,話し合いをもっと明るく前向きなものにしていく必要がある。死や最期のときを意識することは決してタブーではない。進学や就職,結婚などについて家族と相談するように,早い段階から生活の中でもっと自然に話し合える文化をつくっていきたい。


病院から地域のACP文化をつくりたい

川島 篤志(市立福知山市民病院 総合内科医長/研究研修センター長)


①現在,地方都市の基幹病院で病院総合医として奮闘している。入院から退院へのプロセス,再入院を視野に入れた高齢者医療においてACPの普及は必須と感じている。

②地域基幹病院の総合内科・救急で診療に従事していると,高齢者における「人生の最終段階の医療の方法」におけるモヤモヤに遭遇する。10年前に当院に赴任したときも,よくある誤嚥性肺炎や認知症だけでなく,当地域に専門家が不在の領域を主として,「主治医・かかりつけ医」の役割が果たされていないような症例を数多く対応した。

 それは,さまざまな複雑な医学的問題や社会的問題が指摘されないままになっていることにより,既存・既知であるべき問題が未指摘・未介入の状態で病院において顕在化してしまうということだ。その患者に今までかかわったことのない医療者が初めて,本人・家族と重篤な問題に直面せざるを得ないことが多々あった。明らかに間質性肺炎が進行している方が救急搬送されて,「こんなに悪いとは聞いてなかった」とか,COPDの併存に気付かれずに「肺が悪いと言われたことがない」とか,抗認知症薬は処方されているのに意思決定支援については検討されていないとか……。

 がんにおいては,医療者・患者側共に主治医の概念や緩和ケアの意識が高まりつつある。一方で非がん疾患に対しては「主治医・かかりつけ医」意識が双方に持たれないままに,急性期病院でも入院に関連した疾患のみにアプローチして,将来的な問題を先送りにしていることは少なくない。

③家庭医療の研修を積み,マインドを理解した総合内科という医師集団が,当院での入院診療にかかわりを持って,10年弱が過ぎた。「病院完結型医療」から「地域完結型医療」への転換,複数疾患罹患・生活背景の脆弱性を持った高齢者に対する「患者中心の医療の方法」を意識した病院内での家庭医療・総合診療の実践が根付いてきた。緩和ケア領域のsurprise questions(「もし目の前の患者さんが1年以内に死亡したとしたら驚くであろうか」と医療者が自問自答する質問)になぞらえて,「1年以内に入院しても主治医として驚かない」病状にある患者は優先的に時間を割いて情報を要約する努力,そしてACPについての検討が必要であることを,診療所医師・病院勤務医に対して提唱し続けている。不安定な病状の患者には外来診療時から積極的にかかわりを持ち,再入院が予想される退院患者でも,入院時には総合的な医療情報収集・整理に加え,退院先への情報提供・共有を行っている。

 日々の実践に加えて,院内の研修管理委員会が主催・招聘する院外講師からもACPに関連する話題提供をいただき,院内の文化が少しずつ変わってきた。ただ数年前までは残念ながら,地域全体として「人生の最終段階の医療の方法」に関しての周知・定着は十分ではなく,一施設からの提案を地域全体に推し進めることも難しかった。近隣医療機関に対しても紹介状のやりとりの中で意識的に啓発を行っていたが,「(ACP的なアプローチは)しません」と明確に断ってきた医療機関も残念ながら複数あった。

 そういった中,2015年春には厚労省から「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の普及啓発リーフレットが全国の8000以上の医療機関に配布された。また同年夏には京都府医師会でも「ACPについて――ACPの概念・必要性・普及への取り組み」という生活機能向上研修会があり,地域内での意識に変化が見られた。そして17年夏に,「地域医療の円滑な推進を図るために,ACPについての理解を医療従事者のなかで深めよう」という病院としての方向性が示された。外部講師招聘によるACP啓発の講演があり,ACP・PFM(Patient Flow Management)推進チームが立ち上がった。構成員は44人で,副院長・看護部長をリーダーとし,医師・看護師・薬剤師・理学療法士・栄養士・医療ソーシャルワーカー・事務職員から成る。病棟はもちろんのこと,救急外来や集中治療室のスタッフも関与している。まだまだ障壁はあるが,地道に診療にかかわることによって,少しずつ院内・地域内の文化が変わり,地域医療の質向上に少しでも貢献できればと思っている。


地域ぐるみでエンディングノートの活用を進める

松下 明(岡山家庭医療センター 奈義・津山・湯郷ファミリークリニック所長)


①岡山県と鳥取県の県境に位置する人口6000人弱の中山間部の町・岡山県奈義町で2001年から診療所での外来と訪問診療を家庭医として実践し,家庭医療・総合診療専門医の後期研修プログラムを提供している。

②町の人たちは健康寿命が長く,90歳独居で外来に一人で通院される患者も多い。しかし診療している患者のうち,年1,2人程度は予想されないタイミングでの急変で地域の第三次医療機関に搬送され,望まない形での最期を迎えるケースもある。

 例えば,偽痛風・変形性膝関節症などで外来通院をしていた93歳女性。内科疾患はこれまでなく,膝が痛いとき以外は畑仕事を生きがいにしていた。ある日突然の脳出血で,第三次医療機関に緊急搬送となり,ICU管理となった。緊急搬送時にすでに状態は悪かったそうだが,事前にACPの話し合いはなく,家族としても助けたい一心で心肺蘇生と人工呼吸器管理をお願いしたとのことであった。退院後に訪問診療で再会することになったが,気管切開後,在宅酸素,胃ろう栄養の状態で,自らの意思表示は困難な状況であった。要介護5の患者を70代の息子が介護する状況で,どうすることが良かったかを悩みながら訪問診療を継続した。

③地域ぐるみでエンディングノートを作成して,自身の事前意思を確認し,家族と共有する重要性は理解していたが,実際に取り組みを始めようと思うと,高齢の方やその家族から「早く死ねというのか!」「超高齢者には医療はいらないというのか!」という言葉が聞かれそうな不安から,地域の会議などで提案することをためらってきた。

 そういった中,奈義町では2012年から5年間にわたり地域医療ミーティングが開催された。クリニック医師,訪問看護師,ケアマネジャー,保健師に加え,特養施設長,民生委員,愛育委員,区長,老人会会長,PTA会長,消防署長など多様な方が集まり,現在の奈義町の地域医療の問題を議論した。救急医療の在り方,プライマリ・ケアと第三次医療機関の役割分担,訪問診療や訪問看護の在り方,在宅看取り,認知症などをテーマに話し合い,地域でのシンポジウムや健康祭開催,先進地域への視察などを通して家庭医療の役割について理解してもらう機会を持った。

 長年の懸案事項であったACPに役立つ地域でのエンディングノート作成についても提案でき,老人会会長から普及を住民側で頑張ると心強いご意見をいただけた。完成した奈義町版エンディングノート()は年齢にかかわらず全2400世帯に配布し,説明会を行うだけでなく,介護と演劇のワークショップを通しての普及活動を開始した。説明の際には「治る見込みがないときにだけ適用されるもので,治る場合は使いません」「代理意思決定をお願いする人は必ず記載しましょう」「家族とお正月やお盆にこの冊子を元に話し合いをしましょう」とお伝えしている。

 地域でのエンディングノートの活用はまだまだこれからであるが,超高齢社会で「最期まで自分らしく生きる町,奈義町」にとって,終末期の自己選択と家族支援はとても大きな取り組みで,一歩を踏み出したといえる。

:終末期医療の内容や提供場所,要介護時の要望などから構成される。エンディングノートは奈義町ウェブサイトにて公開中。


治療医と共に,早期からのACPを

廣橋 猛(永寿総合病院 がん診療支援・緩和ケアセンター長)


①私は東京都で活動する緩和ケア医です。がん治療医との二人主治医制を敷き,治療を進めながら将来の過ごし方を考えるかかわりを大切にしています。

②60代の卵巣がんの女性。術後の再発に対して“怪しい”治療を選択しそうになっていたときに出会い,化学療法を受けることの意味を話し合いました。その後は信頼できる腫瘍内科医を紹介し,化学療法を開始。二人主治医でかかわり続けました。治療がうまくいっているときは共に喜び,副作用や痛みで困るときは解決法を提示しながらかかわりを継続しました。再発した卵巣がんに対する化学療法の目的は延命であり,一時的に治療が奏効したとしてもいつかは治療に限界が訪れることを,患者さんは受け止められるようになりました。

 やがて患者さんは,自分が亡くなるときの準備はしっかりしておきたい,そしてやりたいことは先に精いっぱいやっておきたいという意思をお持ちになりました。身辺整理として,自宅の片付けや形見分け,自身の遺影の準備などを少しずつ進めました。また最期のときは自宅ではなく緩和ケア病棟で過ごしたい,苦痛が強ければ鎮静を受けてでも穏やかに眠るように最期を迎えたいという意思を表明され,ご家族とも共有しました。そして,以前からの趣味であったフラダンスを楽しみ,化学療法を継続しながら発表会にも臨まれました。患者さんは,「自分の身体のこと,先のことも相談できていて,それをわかってくれる医療者や家族がいて,だから何も不安はないの。安心できています。大船に乗った気持ちです」とよく話していました。

 数年間の治療を経て,何度か治療の奏効と再燃を繰り返しながら,やがて腫瘍の増大によりADLが低下し,化学療法の継続が困難になりました。痛みの増大もあり,患者さんの以前からの希望通り,当院の緩和ケア病棟に入院されました。ご本人も家族も,予定通りの入院に安堵した様子でした。以前から準備されていたフラダンスの衣装を着た写真を遺影に使う予定ですと,病室にもその写真を飾りました。

 状態は日に日に悪化し,次第に起きていることもつらい状況になりました。ご本人は以前からの希望のように,起きているのもつらいから,寝ている時間を増やしたいとはっきり主張されました。ご家族も,会話ができなくなるのは悲しいが,前から相談したことであり,彼女の意思を尊重したいと,鎮静を掛けていくことで了解されました。浅い鎮静から開始し,経過を見ながら最終的には持続的な深い鎮静を施し,患者さんは希望通り,眠るように旅立たれました。ご家族も最期まで患者さんの意思や希望を尊重し,しっかりと看病されました。

 お別れになったあと,ご家族は「本人が決めた通り,安心して最期まで過ごすことができて感謝しています。本人も悔いはないでしょう」とお話しになりました。

③治癒困難ながん患者の場合,ACPを意識したかかわり,すなわち「共に最善を期待しつつ,最悪に備える支援」を心掛けるべきです。終末期の過ごし方を考え,そこに至るまでの人生設計を共にすることで,患者は安心して最期まで過ごすことができます。また,ACPの過程で家族も一緒に話し合いに参加し,患者の希望を理解し共有することで,いざそのときが来ても患者の希望を尊重して代理意思決定する役割を担い,迷いなく治療選択ができ,やりきった感を抱くことにも役立つのは間違いありません。ACPのかかわりは,まさに早期からの緩和ケアで行うべきことであり,緩和ケアの専門家だけでなく治療医を含めた多職種でかかわっていきたいと考えています。


心不全の経過を踏まえた支援を

高田 弥寿子(国立循環器病研究センター 看護部/急性・重症患者看護専門看護師)


①2013年から循環器緩和ケアチームに所属し,随時コンサルテーションを受けて,慢性心不全患者・家族を中心としたACPの支援を行っています。

②40代女性,右心不全と低心拍出量症状を繰り返すカテコラミン依存性の末期患者さん。高校生,中学生の息子との3人暮らしで,実父は遠方で別居中。これまで何度も病状を説明しているため,人生の最終段階に望む医療についてはある程度考えられるのではないかと思われました。一方で,患者の性格特性や置かれている状況からBad Newsを伝えた場合,希望を失い自暴自棄になり,患者が治療を拒否するのではないか,希望を失わず現実的に考えてもらうためにはどのように対話のプロセスを進めていけばよいのか,思春期の子どもをどこまで巻き込んでよいかといった個別性に対する不安や葛藤がありました。

 そんな患者さんに,主治医チームから緩和ケアチームにコンサルテーションがありました。主治医チームに,まず患者に対してACPを実施することを提案し,心不全の経過特性を踏まえたACPの進め方と具体的なコミュニケーション技法を助言し,ACPを実施しました。患者は「自覚症状があまりなかったから,そこまで悪いと思っていなかった。帰れると思っていたので,もしものときを考えたことがない」といった反応であり,末期の自覚がありません。終末期に移行したことを踏まえた準備も全くできていない状態でした。病期の受容ができていない状況であったため,具体的な話を進めることはせず,これからも最善の医療は行うことを保証し,これから先のことを医療者とともに少しずつ考えていくことを提案しました。

 その1か月後に患者から,息子の受験が終わってから実父も含めて一緒に話し合いたいという申し出があり,複数回に分けてACPを実施していきました。その結果,「外出し,母親がいない環境で子どもたちがきちんと生活できているか確認したい」との思いや,「ずっと病気の苦痛と闘ってきたので,延命治療を望まない」という治療に対する意向や感情を医療者・家族の前で吐露することができ,子どもに伝えたいことや思い残したことを伝えることができるようになりました。

③医療者は,DNARや事前指示を得ることに目を向けがちですが,患者自身が人生の最終段階について主体的に考えるように支援するには,これまでの病状経過を振り返りながら患者と病期の共有を行うとともに,病状経過の受容状態を判断し,患者の受容状態に応じて患者の希望を支えながら継続的にACPを進めていくことが重要です。患者の望む生活を叶えていくために医療従事者は,最善の医療の提供を保証しながら,患者に対して何ができるのか,何が最善の選択なのかを患者・家族と共に悩み・考える。そのプロセス自体が支援になるのだと,この事例を通して再認識しました。

 また,事例のように循環器領域においては,ACPの必要性を感じても,体系化された方法論がないため,終末期医療について対話を行うことに対して医療者の困難感が強く,ACPが普及していない現状があります。当院では,慢性心不全におけるACPの普及と質の向上を目的に,2014年度厚労省事業「人生の最終段階における医療体制整備事業」で実施したACPの実施結果および網羅的文献検討に基づき,本邦における慢性心不全患者・医療者のニーズを踏まえた対話のプロセスを重視したACP支援ツール(医療者用ガイド,患者用ガイド)を開発し,その効果を検証中です。

 近年,慢性心不全におけるACPは「急性・慢性心不全診療ガイドライン2017年改訂版」においてCLASS Iで推奨されており,循環器領域に従事する全ての医療者がACPを行うためのコミュニケーションスキルを習得することが必要な時代に入ってきています。全ての医療従事者がACPの展開に不安や葛藤を来すことなく実施できるように,これからも循環器専門病院に従事する医療者として,循環器領域のACPの普及と質の向上に向けて,一層努力をしていきたいと思います。


叶えられなかった願いを意思決定支援実現の看護へつなげる

藤田 愛(北須磨訪問看護・リハビリセンター所長/慢性疾患看護専門看護師)


①当センターは2004年に開設した。現在,常時200人の利用者がおり,そのうち慢性疾患を有する75歳以上の利用者が7割を占めている。開設直後からがん患者だけでなく,「非がん終末期高齢者と家族への意思決定支援と実現の看護」を行っている。人生の最終段階を迎えた高齢者たちから,「なぜ私にどうしたいかを聞いてもらえないのか。無念だ」という最期の言葉を託され,心に留めてきた。一人,二人とその言葉を聞くにつれ,幸せに生き,命を助けるための医療が,むしろ不幸を生み出しているのではないか。何かしなければならない,できることは何か。看護師に求められる役割は何かと考えるようになった。

②活動の出発点となった高齢者の最後の表情や言葉を,今でも忘れることはない。

 80代の男性だった。認知症と多系統萎縮症の進行でほぼ寝たきりの状態。いよいよ食べられないときが訪れた。生命を維持するための栄養補給と療養場所を選択する時期になった。男性と家族との意向は一致していなかった。結局,主治医と家族の相談で,入院して胃ろう造設の方針となった。隣室で行われている話し合いの間,いつもなら眠って過ごしている男性が目を開け,会話に耳を澄ましていた。

 最後の言葉となった男性の意思表示である。「なぜ先生と家族だけで胃ろうを入れる話をしているのですか。私の人生,私の生命なのに,なぜ私の希望を尋ねてはもらえないのですか。そんなものなどしたくない。最後まで食べ続けたい。だめなら,それが私の寿命です。私は入院などせず,家にいたいんです。お願いです」とそばに座っていた看護師に伝えた。すでに言葉も十分に発することができず,何度も聞き返しながら,男性の伝えたい言葉を拾い集めてはつないで,こういうことですかと確認した。大きくうなずいたため,看護師はふすまを開けて,医師と家族に男性の意思を代弁した。どちらからも,「それでは看護師さんは,命を見殺しにするのですか?」あきれたような表情で発された言葉に,私は何も答えられず,大切なことだと思いますがと消え入るような声でつぶやくのが精いっぱいであった。

 状況を変えられないことを悟った瞬間,男性の目から光が奪われ,どこを見るでもなくぼんやりとしたまなざしで過ごし,その後一度も言葉を発することはなくなった。胃ろうを造設したが,介護負担を理由に転院し,1か月後に一人静かに息を引き取った。

 男性との出会いと別れの中で,「今は力になれずごめんなさい。いつか必ずその無念を看護につなげるから」と心に誓った。

 二人暮らしの妻も高齢で,男性の望みを全て叶えることは現実的に難しかったかもしれない。しかし大切なことは全ての望みを叶えることではない。この男性も含めて,私たちに託された高齢者たちからのメッセージが示唆を与えてくれる。それは,「高齢者の最終的な療養についての選択は,最後までどのように生き,どうありたいかの意味が含まれている。その意思を知り,実現を支えること。自分の最期をどうしたいかを聞いてもらえず実現の検討もされないことが,死よりも大きな絶望と無念を生む。そして無念を抱えたまま生を終える」ということだ。

③男性やこの言葉を託した高齢者たちから得た学びから私は,何を大切にどのように日々を暮らしたいか,最期をどこでどのように過ごしたいか,どんな医療を受けたいかなどの問いかけや選択を支えることを,「非がん終末期高齢者と家族への意思決定支援と実現の看護」と名付けた。訪問看護師の重要な役割であると考え,看護の確立をめざして取り組みを始めた。

 それぞれ異なる臨床経験を持つ看護師の中には,看護師は医師に指示された診療行為や決められたケアをする,患者,家族への治療や病状に伴う説明は医師の役割であると考える人もいた。患者や,まして家族の意思や意向,気持ちに触れたことがないという人も少なくなかった。その意識改革から始め,事例検討を行い,意思を尊重した暮らしを最後まで続けるために必要な情報を項目にしたアセスメントシートを5年前から試行しているところだ。本人・家族の日々の暮らしだけでなく,最終段階をどこでどのように過ごしたいか。どのような医療を希望するか。本人の意思を尊重する意向が家族にあるか。なければ,何を大切にしているのか。本人と家族の意向について,タイミングや言葉を探して問いかけている。その意思や意向を踏まえ,最期まで本人の意思を最大限尊重した過ごし方ができるよう看護を行っている。シートの活用や事例検討を繰り返す中で,最初は何をどうしたらよいのかわからず行動を起こせなかった看護師たちも,今は「本人の生き方や望みを含む,意思の実現を支えられる看護師になりたい」という目標を持ち,日々の訪問看護に向き合うようになっている。

 十人十色の状況や価値観,気持ち,家族との関係性などACPには多要因が絡み合い,めざしている看護の確立は道半ばだが,この過程こそが大切なのではないかと感じている。

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