医学界新聞

寄稿

2018.04.02



【寄稿】

地域・国全体の身体活動を促進する「普及戦略の科学」

鎌田 真光(東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻保健社会行動学分野・助教)


 適度にからだを動かすことで,さまざまな健康上の恩恵が得られることが知られている。それでは,スポーツ・運動実施率や身体活動量を地域・国レベルで高めることは可能か? こうした問いに対して,適切な科学的知見に基づかない,楽観的過ぎる主張や悲観的過ぎる主張を見聞きすることがある。エビデンスに基づいた施策を展開するためには,特に行動科学と疫学・集団科学の知識・技術が必要である。本稿では,こうした「普及戦略の科学」の成果をもとに,身体活動を地域・国全体で促進するためのポイントを5つ紹介する。

1.知識を普及しただけで行動につながるわけではない

 普及戦略に関して最もよく見受けられる誤解のひとつに,「運動の良さを知りさえすれば,多くの人が運動するようになるだろう」という考えがある。知識の普及が,すなわち,行動の普及に結び付くわけではない。これは失敗に終わった数多くのキャンペーンの検証エビデンスが示してきた。

 身体活動の普及を目的とした介入の多くが,図1のようなロジック・モデル(仮説)を想定している。このロジック自体に問題はないが,行動(身体活動)の前に高い壁が存在していることに注意が必要である。多くのキャンペーンが,知識を普及するところまでは成功するが,実際の行動を変える(例えば運動実施率の向上)にまでは至っていない。この大きな壁をどう乗り越えるかが鍵である。

図1 ロジック・モデルの例と高い壁の存在(文献1より引用改変)

2.1年間では短過ぎる

 身体活動の普及を目的とした事業(研究含む)の多くが,年度単位で計画・実施されている。複数年にわたり継続される例もあるが,1年以内で終わってしまうものが大多数である。しかし,背景要因による経年変化を超えて,1年間の介入で運動実施率や身体活動量を地域(例えば全市)レベルで高められたという質の高いエビデンスは見たことがない。

 身体活動を地域レベルで促進する方法として最も有力視されているのが,地域全体での多面的介入である。マスメディアの利用,運動教室の開催といった単一アプローチでは,地域全体の身体活動量を増進させることは難しく,また,地域の物理的環境を変えても,恩恵を受ける人々は限定的である。そこで,こうした複数のアプローチを組み合わせた多面的介入が必要となる。しかし,島根県雲南市で筆者らが行った研究では,こうした多面的介入を行っても,1年間では身体活動量の増加は確認されなかった1)。2015年のレビュー論文においても,多面的介入の効果を検証した33本の論文を解析し,同様の結論であった2)

3.単一事業で同時に多くの行動を普及させることは困難

 上述の通り,身体活動を地域全体レベルで促進することは難しい。しかし,幸い成功事例はあり,不可能ではない。前述した雲南市のプロジェクト(図2)では,介入5年目にして初めて,推奨身体活動実施率の明確な向上が確認された3)。歩行を普及した地域では歩行時間に,柔軟運動と筋力増強運動(両方合わせて「体操」)を普及した地域では柔軟運動と筋力増強運動にそれぞれ介入効果が確認された。質の高い研究デザイン(クラスター・ランダム化比較試験)で5年間という長期にわたる介入を検証した本研究によって,「運動実施率を地域レベルで高めることは可能」と証明する強固なエビデンスが初めて得られた。

図2 雲南市のキャンペーンで使用されたポスター例

 一方で,この研究からは,単一事業で同時に多くの行動を普及させることが困難であることも示された。歩行・柔軟・筋力増強運動の全てを同時に普及した地域では,5年後時点でいずれの運動種目においても介入効果が確認されなかった。ターゲットが受け取る情報量が多くなり過ぎて「刺さらない」(印象に残らない)こと等が問題と考えられる。

 マーケティングでは「一度にひとつずつ」が基本とされている。国や世界保健機関等の推奨ガイドラインではどうしても,「あれもしましょう,これもしましょう」となりがちだが,投入資源が限られている中でいざ普及戦略を立てる際には,的を絞るか,あるいは「期分け」を行い,まず歩行(有酸素運動)を促進し,次の段階で筋力増強運動を促進,といった長期戦略が必要となる。こうした注意点もあるため,省庁の補助事業や自治体の施策においては,複数年にわたる予算・人員をどう確保するかが鍵と言える。

4.「ゆ・か・い」な事業かを評価

 メディア・キャンペーンから運動教室,モバイルICTの活用に至るまで,どのような介入内容かによらず,その事業がどれだけ社会的インパクトがあったかを評価するには,「ゆ・か・い」の3つの観点で見るとよい。

ゆ(有効性,Effectiveness) 例:より活動的になったか?(歩数の変化量等)
か(数,Reach) 例:介入できた人数・割合は?(人,%)
い(維持,Maintenance) 例:行動変容は続いたか?(日~年)

 これはRE-AIMモデル4, 5)から,実施後の効果にかかわる3要素のみを抽出したものである。例えば,ある事業において,そのプログラムに参加した人では劇的に身体活動量が高まる(有効性が高い)が,限られた人数しか参加しておらず(数が小さい),参加者も半年経つと身体活動量が元に戻る(維持できない)ようでは,普及事業としての社会的インパクトは限定的と言える。また,自治体や企業等が実施するインセンティブ,モバイルICT関連の事業では,数(対象総人口に占める割合)や維持の評価が不十分である場合が多い。これら3観点を考慮して,文字通り愉快(ゆ・か・い)な事業の実施をめざしたい。

5.多分野連携と核になる「普及の専門家」の配置

 国際身体活動健康学会(ISPAH)では,身体活動を促進するための指針をまとめている6)。この指針のポイントは,交通政策や都市計画から“かかりつけ医”による身体活動勧奨に至るまで,多分野の人々との連携が不可欠という点である。

 こうした普及策を推進するためには,運動の「指導」とは異なる複合的な知識・技術を備えた「普及」の専門家が必要となる。普及の専門家が持つべき知識・技術としては,雲南市のプロジェクトでも活用されたソーシャル・マーケティングや,行動経済学を含めた行動科学全般も含まれる。英国では2006年に公衆衛生大臣によりNational Social Marketing Centreが設立されたほか,2010年には行動科学の専門家で構成されたBehavioural Insights Team(通称ナッジ・ユニット)が内閣府の下に発足し,各種政策に貢献している。日本においても,こうした中央機関と合わせて人材の育成や各地で活躍出来る仕組みが,国を挙げた身体活動促進の鍵になるだろう。

 以上,「普及戦略の科学」の成果をもとに,ポイントを整理した。日本そして世界で非活動的な生活習慣のまん延を打破することは,たやすいことではない。しかし,成功事例はあるし,私たちにできることはたくさんある。2020年の東京オリンピック・パラリンピックもすぐそこまで迫ってきている。全ての人々が自分に最適なアクティブ・ライフを送り,世界から運動不足がなくなる日まで,できることを着実にやっていこう。

参考文献
1)Int J Behav Nutr Phys Act. 2013[PMID:23570536]
2)Cochrane Database Syst Rev. 2015[PMID:25556970]
3)Int J Epidemiol. 2017[PMID:29228255]
4)Am J Public Health. 1999[PMID:10474547]
5)重松良祐,他.身体活動を促進するポピュレーションアプローチの評価方法――改変型RE-AIMモデル:PAIREM.運動疫学研究.2016;18(2):76-87.
6)岡浩一朗,他.「非感染性疾患予防:身体活動への有効な投資」日本語版の紹介.運動疫学研究.2013;15(1):17-30.


かまだ・まさみつ氏
東大教育学部卒,同大大学院教育学研究科修士課程修了,島根大大学院医学系研究科博士課程修了。身体教育医学研究所うんなん,国立健康・栄養研究所,米ハーバード大公衆衛生大学院を経て,2018年4月より現職。運動疫学および行動普及科学が専門。第一のミッションは「世界から運動不足をなくす」こと。

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