医学界新聞

インタビュー

2017.05.08



【インタビュー】

患者の“今”に向き合う医療者に
緩和ケアの視点から

バルフォア M. マウント氏(マギル大学名誉教授)に聞く

<聞き手>土屋 静馬氏(昭和大学横浜市北部病院内科/マギル大学Center for Medical Education, MA in Health Professions Education)


 1975年,カナダ・ケベック州モントリオールにあるマギル大ロイヤル・ビクトリア病院内に,世界初の緩和ケア病棟(Palliative Care Unit)が開設された。それから40年余り,今や緩和ケアの概念は世界中に浸透しつつある。その一方で,現場レベルでは,ケアをどのように考え,どのように実践すればよいのか,医療者が担うべき役割は何かといったさまざまな議論が続いている。これからの緩和ケアにおいても創成期から変わらず重要な視点とは何か。「北米の緩和ケアの父」と呼ばれるバルフォア M. マウント氏(マギル大名誉教授)に,現地で全人的ケア教育を学ぶ土屋静馬氏が聞いた。


「緩和ケア」の創成期

土屋 マウント先生が緩和ケア病棟を設立した経緯をまず教えてください。

マウント きっかけは,著書『死ぬ瞬間』で有名なエリザベス・キュブラー・ロス氏の講演を,同僚が聞いたことでした。強く勧められて本を手に取り,感銘を受けました。

 私は当時,泌尿器科医でした。日々の診療で“死にゆく患者”に対して自分ができる限りのことはしているつもりでしたが,その苦しみに十分に目を向けられていないのではないかと気付かされました。ロイヤル・ビクトリア病院の終末期患者を調査したところ,症状のコントロールを含めた適切な医療が提供されていないことが明らかになりました。患者へのインタビューでは「なぜ医師たちは死を扱うことを恐れているのか?」なども語られていました。

土屋 そうした問題の解決策を求めて,『死ぬ瞬間』に論文が多数引用されていたシシリー・ソンダース氏の下に学びに,英国に渡ったのですね。

マウント はい。セントクリストファーズホスピスの全てのケア現場とカンファレンスに参加し,彼らが「何」を「なぜ」しているのかを一週間かけて一つひとつ学びました。

 がんに伴う疼痛コントロールはもちろん,便秘などの随伴症状も徹底的に観察し,症状の改善が試みられていました。スタッフはよく教育され,スキルもあり,ケアのためにできるあらゆることを積極的に取り入れていました。スタッフ一人ひとりだけではなく,チーム全体として機能していました。

 チームをまとめていたのが,シシリーです。シシリーは,医師,看護師,ソーシャルワーカーという多職種の資格を持っていたこともあり,視野が広く,聡明で,エネルギーにあふれていました。課題となっている問題や,そこで必要とされる考え,プランを言語化する能力にも優れていました。それは,新しい取り組みのリーダーとして大切な能力です。ユーモアセンスもありました。あの一週間が私の人生を変えたのです。

土屋 学びはすぐに実践できましたか。

マウント 想像できると思いますが,保守的な大学病院において,終末期医療を行う風土は皆無でした。ただ,当時ケベック州は経済危機下にあり,どの科も運営資金獲得に難渋していました。一部の病棟は閉鎖せざるを得ない状況の中で,州政府はいかに予算を抑えて医療の質を上げるかに強い関心を示していたのです。これはチャンスだと考え,「終末期医療の質の改善のために」と題した提案書を出しました。そして,2年という期限付きでしたが,予算を獲得できたのです。

土屋 最初に取り組んだことは?

マウント ①院内を自由に活動できるコンサルテーションチーム,②地域の医療機関と連携したホームケアプログラム,③終末期の患者に専門的なケアを提供できる病棟の設置です。

 今でこそ刺激的な創成期の物語ですが,当時は短期間で結果を出さねばならないプレッシャーと不安がありました。ただ,提案書のおかげで12床の病棟は確保できていましたし,Family physicianのDr. Ina Amejian,後期研修を終えたばかりのDr. John Scottといった仲間を得られたことで,次第に成果を発表できるようになりました。

Let the patient do the talking !
Let the patient do the teaching !

土屋 マウント先生が診療の中で最も大切にしていたことを教えてください。

マウント 患者やその家族と話すことです。シシリーは,「Let the patient do the talking! Let the patient do the teaching!」といつも言っていました。患者と話し,“今”目の前にいる人がどういう人なのかを知ることから始めなさい,と。

 例えば,脊椎転移による圧迫骨折により下肢麻痺となり,誰とも話そうとしなくなってしまった乳がんの40代女性がいました。しかしある時,彼女の好きな音楽をきっかけに,時間を掛けて話を聞く機会が持てました。その時彼女は,ゆっくりと探るように,“今”の彼女自身についても話し始めたのです。語りを通して“過去”から“今”の自分へと意識が移ったかのように,話し終えた彼女の雰囲気は変わっていました。“今”の自分を省察することで,新しい視点で生きる意味を考え始めることができたのではないでしょうか。

土屋 患者の病状や客観的状況は変えることができなくても,医療者にできることはあるということですね。医療者が“今”ここにいる相手に集中することで,患者さん自身も“今”の自分に意識を向けられるようになる。

マウント 最終的に,医療者にどういう話をするかは患者本人が決めることです。医療者に必要なのは,いつでも話に耳を傾けられるよう,準備ができていることです。

医療者が担う“Healer”の役割

土屋 マギル大は,医療者の役割の2本柱として「Professional」と「Healer」を挙げて教育を行っています。Professionalは医師のCurer(治療者)としての役割のことですよね。Healer(癒やし人)とは何なのでしょうか。

マウント 本学は「Healing」を「A relational process involving movement towards an experience of integrity and wholeness(土屋訳:人生の意味が統合され,その全体性が見えてくる体験のプロセス)」と定義しています。

 死にゆく患者をケアする仕事に従事する中で,私の研究的な関心は,死という避けがたい状況に直面する人たちの苦しみはどこから来るのか,何が人生の質,QOLを変えるのかということでした。研究を進める中で,困難な状況にあっても,病気や出来事の意味を見いだし,人生全体の意味を統合させていく人がいることがわかりました。その際に重要となることの一例が,“今”を生きること,そして自分と周囲のつながりに気付くことです。“今”を生きる患者に目を向け,彼らの「人生の意味統合」の旅の仲間として,役に立つこと,それがHealerの役割です。

土屋 現在の世界の緩和ケアの動向について,どう感じていますか。ここ40年余りで大きな広がりをみせた一方で,医療的な面が強調され過ぎているという指摘もあります。

マウント 緩和ケアにおいて医療的な側面は非常に大事です。しかし,緩和ケアの考えがこれだけ広く浸透していながら,現場ではまだ十分なレベルの医療が提供されているとは言えません。ですから,これからもどんどん,使い得るあらゆる方法をもって,苦痛をなくす努力をしなければなりません。

 一方で,私たちが緩和ケアを行う上では,シシリーも大切にした「人間全体」,その苦しみ(社会心理的,実存的,スピリチュアルな苦痛など)に目を向けるという姿勢も常に重要です。そのための第一歩は,やはり,「Let the patient do the talking! Let the patient do the teaching!」だと思います。

インタビューを終えて

 3時間におよぶインタビューはまさにマウント先生のライフレビューでした。常に“今”の患者と向き合い,医療者としてできることを情熱を持って実践するロールモデルと言えます。先生は当初から,緩和ケアを特定分野だけでなく,医療全般の基礎となる臨床の場に発展させることをめざしてきました。その姿勢は今後の日本の医療者教育全般においても重要だと考えます。

(土屋静馬)

インタビュー記録を読んで

 マギル大はCuringとHealingの統合をめざす“Whole Person Care”に取り組んでいます。患者にいかに向き合うかという態度教育が不可欠で,それには自己覚知(self awareness),自己ケア(self care),マインドフルネス(mindfulness)が深く関係します。土屋先生が今後,Healerとなる医療者の教育に積極的に携わっていくことに期待しています。

(恒藤暁/京大大学院教授・人間健康科学)

(了)


Balfour M. Mount氏
カナダ・クイーンズ大,マギル大などを経て,1975年マギル大ロイヤル・ビクトリア病院にて世界初の緩和ケア病棟を開設。現代ホスピス運動の祖であるシシリー・ソンダース氏にホスピスケアを学ぶ。「緩和ケア」という名称の発案者であり,緩和ケア活動の初期から「医療者はCurerであるだけでなく,Healerであるべきだ」と述べている。なお,「palliate(緩和する)」の語源は,ラテン語の「pallium(体を覆い隠せるほどのマント)」。苦しみから人を守るケアのイメージと,ICUのような専門性を意識した「Care Unit」の言葉を合わせて「Palliative Care Unit(緩和ケア病棟)」と名付けたという。

つちや・しずま氏
2002年昭和大卒。卒後より同大横浜市北部病院内科にて,腫瘍内科医としての診療と,研修医・医学生向けの教育プログラムの開発に従事。15年よりカナダ・マギル大医学教育学修士課程に留学,医療者に向けた全人的ケア教育プログラム(Whole Person Care Program)の研究・開発を行っている。

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