医学界新聞

連載

2016.10.17



短期集中連載[全3回]
オバマケアは米国の医療に何をもたらしたのか?

■第1回 オバマケアの「正体」

津川 友介(米国ハーバード公衆衛生大学院(医療政策管理学)リサーチアソシエイト)


 バラク・オバマ大統領が選挙公約として掲げていた国民皆保険制度が,Patient Protection and Affordable Care Act(通称オバマケア)として実現した。オバマ大統領の任期満了も近づいてきており,この医療政策の成果について科学的検証が進んでいる。急速な少子高齢化の進む日本でも,医療制度の改革は身近な問題である。オバマケアがどのような理論とエビデンスをもとにデザインされたかを学ぶことは,日本が持続可能な医療制度の構築をめざすに当たって有益ではないだろうか。

 本連載では,医療政策学・医療経済学の見地からオバマケアを分析し,日本の医療制度に向けた教訓を提示する(「週刊医学界新聞」編集室)。


 米国ではオバマ大統領の任期満了に伴う大統領選挙を2016年11月に控えており,民主党候補ヒラリー・クリントンと共和党候補ドナルド・トランプがしのぎを削っている。クリントンは医療に関して基本的にはオバマ大統領の流れを踏襲すると言われており,クリントンが大統領になった場合には米国の医療制度に大きな変化はないと考えられている1)。一方で,トランプが大統領になった場合には医療制度がどうなるかは全く予測できない。

 2016年7月,大統領選挙を前にオバマ大統領自らが,世界で最も権威ある医学雑誌の一つである米国医師会雑誌(Journal of American Medical Association;JAMA)電子版に論文を投稿し,オバマケアの政策評価を取りまとめ,次の大統領はこの流れを引き継ぐべきであるとの意見を表明した2)。米国における医療政策の作り方は日本の医療政策にとっても示唆に富むものであると考えられる。オバマケアがどのような政策であり,米国にどのような影響を与えたのか,全3回にわたり科学的な観点から説明したい。

オバマケアはどのようにして皆保険制度を達成したのか?

 オバマケアの正式名称はPatient Protection and Affordable Care Act(PPACA)であり,米国ではしばしばACAと略される。オバマケアは2010年3月23日に成立した医療改革に関する法律であり,その中心に据えられているものは「国民皆保険制度」である。

 それまでの米国は先進国の中で唯一,皆保険制度がない国という不名誉な肩書を持っていたが,2010年にオバマケアが国会で採択されたことで,全ての先進国が皆保険制度を有することとなった。オバマケアによって,米国民に占める無保険者の割合は2010年には16.0%(4900万人)であったのが2015年には9.1%(2900万人)にまで減少しており(図1),公的医療保険のメディケア(高齢者向け)とメディケイド(貧困層向け)が導入された1965年以来,医療政策における最大の功績であるとされている2)

図1 米国民に占める無保険者の割合の推移(文献2より)
1965年にはメディケア,メディケイドが導入され高齢者と貧困層に対して公的医療保険が提供されるようになったため,無保険者の数が激減した。それ以降,オバマケア導入前までは無保険者の数はほぼ横ばいであった。

 そもそも米国の医療保険は主に,①65歳以上の高齢者,身体障害者,透析患者が加入する公的保険のメディケア(連邦政府が運営),②貧困者が加入する公的保険のメディケイド(連邦政府と州政府が財源を出し合って運営),③それ以外の国民が加入する民間医療保険の3つから成り立っている。きちんと税金を納めてきた米国民は65歳になると自動的にメディケアに加入するようになっているため,高齢者に限って言えば,実は皆保険制度はすでに達成されていた。さらに雇用されている人の大部分は民間医療保険に加入していた。

 しかし,メディケイドの加入要件を満たさない人(詳細は後述)や,メディケイドに加入するほど貧しくはないものの民間医療保険に加入するほど裕福でない人たちは無保険であることも多かった。そこでオバマケアは,

1)メディケイドのカバー範囲の拡大
2)政府によって規制された民間医療保険市場+保険料に対する補助金
3)裕福な人に対しては民間医療保険加入の義務化

という3つの仕組みを組み合わせて皆保険を実現する政策であった(図2)。それではこの3つの仕組みを順に見ていこう。

図2 無保険者を減らすための3つのシステム

1)メディケイドのカバー範囲の拡大
 オバマケアは,極度の貧困の人〔FPL(連邦貧困水準)の133%以下の人〕はメディケイドの加入要件を緩めることでカバーすることにした(註1)。メディケイドは連邦政府と州政府が財源を出し合ってカバーする貧困者向けの公的保険であるため,以前までは州によって加入要件が異なっていた。収入が少ないだけでは加入要件を満たすことはほとんど無く,妊娠中の女性や,子どもがいるなどの条件があってはじめて加入することができた。つまり,独身男性の場合,例えどんなに貧困であっても多くの場合メディケイドに加入できなかったのである。

 そこでオバマケアは,住んでいる州にかかわらず, FPL 133%以下の人は全てメディケイドに加入できるようにした。これは独身で年収約1万6000ドル,家族4人なら約3万3000ドル以下ならばメディケイドに加入できる計算になる(2015年の基準値)。実は,オバマケアによって新たに保険に加入した人の大多数はメディケイドへの加入であったため,オバマケアのことを「メディケイド拡大法(Medicaid expansion law)」だと揶揄する人もいる。

2)政府によって規制された民間医療保険市場+保険料に対する補助金
 オバマケアは,メディケイドの対象となるほど貧しくはないものの自分で保険料を支払うことの難しい人(FPL 133~400%)に対して,連邦政府が補助金を出して民間医療保険に加入させることにした。Health Insurance Marketplace(HIM)という連邦政府によって規制された医療保険の市場を作り,そこで民間会社に医療保険を売ってもらうのである。

 そこで売られる医療保険にはさまざまな条件が付けられ(自己負担ゼロで予防医療サービスを提供しなければならないなど),加入者にわかりやすいよう,自己負担の割合に応じてブロンズ,シルバー,ゴールド,プラチナの4つのラベルが付されることとなった。そしてHIMで医療保険に加入する場合には,保険料と加入者の所得に応じて,政府から補助金が支払われることとなった。

3)裕福な人に対しては民間医療保険加入の義務化
 医療保険は基本的に健康な人と病気の人の両方をカバーすることで,病気の人が使う医療費を,健康な人を含めた皆で広く浅く負担するという仕組みである。健康な人が医療保険に入らないと保険料は年々高くなり,いずれ財政的に維持できなくなってしまう。そのため,裕福で比較的健康な人を強制的に医療保険に加入させる必要があった。そこで個人加入義務化(Individual mandate)と呼ばれる制度が導入され,ある程度裕福で保険料を払う能力のある個人が正当な理由なく医療保険に加入しない場合には税金が高くなることになった。

オバマケアは医療の「価値」への支払いを推し進めた

 オバマケアはさらに,国民皆保険を達成する上でいくつかの改革を同時に実施した。その一つが医療機関への支払い制度の改革である。それまでは医療サービスの提供される「量」に対する支払い(出来高払い)だったものが,「価値(バリュー)」に対する支払い(主にPay-for-performanceを意味している)へ変わることとなった。高齢者向け医療保険メディケアは,2010年にはほぼ100%が量に対して支払われていたが,2016年の時点でその支払いのうち約30%を価値に対する支払いへ再分配している2)。計画では,この割合は2018年までに50%に達する見込みである。価値への支払いには入院患者のプロセス指標やアウトカム指標に対して支払いをするHospital Value-Based Purchasing(HVBP)Programや,退院後30日以内の再入院に対してペナルティを設けるHospital Readmission Reduction Program(HRRP)と呼ばれるものが含まれる。

公的保険による皆保険制度を導入“できなかった”理由

 このように,米国は公的保険と民間保険を組み合わせることで皆保険を達成した。米国は公的保険を導入“しなかった”のではなく,政治的な理由から“できなかった”のである。

 オバマが大統領になった時点で,雇用されている米国民の多くは民間医療保険に加入しており,民間医療保険の市場は1兆2000億ドルの巨大市場であった3)。仮に日本のように公的医療保険への加入を義務化すると民間医療保険会社を市場から追い出すことになり,それは現実的に不可能であった。このように各段階において政策決定者が選ぶことのできる政策のオプションは歴史的背景に依存していることを政治学では「経路依存性(Path dependence)」と呼ぶ4)

 そこでオバマ大統領は,メディケアと民間医療保険会社を競争させ,市場原理の中で民間医療保険会社を追い出そうとした。これはパブリック・オプション(Public option)という仕組みであり,高齢者や身体障害者以外の人もメディケアへ自由に加入できるようにするというものである。

 メディケアは国が経営する単一の公的医療保険であり〔日本には3000以上の保険者(健康保険組合や国民健康保険)が存在するが,メディケアは全米で一つの巨大な保険者である〕,5000万人が加入している巨大な公的保険制度である。その経営効率は民間医療保険よりも良いとされているため,メディケアと民間医療保険会社が競争すれば,民間医療保険会社の分が悪いことは明らかであった。

 ところが民主党と共和党で連邦議会の議席数が拮抗する中,パブリック・オプションを諦めなければ,オバマケアを通過させることができないという状況になってしまった。結局,パブリック・オプションは“とかげのしっぽ切り”のような形で2009年12月にオバマケアの条文の中から削除されることとなった(註2)。

財源は保険会社や病院の“痛み分け”の上に成り立っている

 オバマケアによって新たにカバーされる人の多くは保険料を支払うことが困難な貧困者であった。米国の医療財政はすでに逼迫していたため,財源を確保する必要があった。その方法としてオバマ大統領が取ったのは,医療保険会社や病院などの医療関連業界による“痛み分け”であった。

 病院などの医療機関には公的保険のメディケアやメディケイドからの支払額が減らされ,これにより連邦政府は約7400億ドルの歳出カットを達成できたと言われている5)。公的保険から医療機関への支払額は減るものの,一方で無保険患者からの取りこぼしがなくなり,また新たに保険に加入した人による医療需要の増加が見込まれたため,医療機関はこの条件を飲み込むこととした。

 医療保険業界には利益率の上限が設定され,集めた保険料総額の少なくとも80~85%を医療サービスとして還付しなければならなくなった(つまり利益率の上限は15~20%になった)6)。この保険会社の利益率の上限のことをMedical Loss Ratioと呼ぶ。それ以上の利益を上げた場合には,その利益を被保険者に払い戻さないといけなくなった。オバマケアによって民間医療保険の加入者が増え,保険会社は売上高が増えると考えたため,保険会社はこの条件を受け入れた。

 オバマケアは高所得の個人にも負担を課した。高所得者(独身の場合年収20万ドル,2人世帯で年収25万ドル以上)のメディケア税(65歳以上になったときに,メディケアに加入する要件を満たすために必要な税金)が0.9%引き上げられた。また,米国では医療保険料は税控除の対象であり,高額な医療保険に加入する高所得者ほど控除の恩恵に預かっていることが問題になっていた。この問題を解決するために,高額な医療保険(年間保険料が個人加入で1万200ドル,世帯加入で2万7500ドル以上)に入っている場合,この額を超えた分に40%課税されるようになった7)。この高額医療保険に対する税金は,高級車キャデラックから名前を取り,「キャデラック税(Cadillac tax)」と呼ばれる(註3)。

 ちなみに,医療関連業界で唯一“痛み分け”をしなかったのが製薬業界であった。これは政治的判断であり,力を持っていた製薬業界を味方につけることで,オバマケアは連邦議会をどうにか通過することができたと言われている。なお,オバマやクリントンは最近になって,次の改革は薬価であると宣言しており,近い将来,製薬業界にも“痛み分け”を迫るのではないかと言われている。

 つまり,オバマケアは経済的にゆとりのある医療機関,医療保険業界,高所得者から財源を集めて,貧困者が医療保険に入れるようにした改革であった。よってオバマケアは社会の格差を縮める政策だと言うことができる。

医療保険市場に政府が規制をかけることが可能になる?

 これまでは民間医療保険は完全な自由市場で取引されていたが,オバマケアの導入によって民間医療保険の取引は“規制された市場”で行われることになった。規制の変更は規制の導入よりもはるかにハードルが低い。そのため今後は,規制を適切に用いることで,機能していなかった民間医療保険の市場を,適切に機能するように誘導していくものと期待されている。

 今回はオバマケアがどのような政策であったのか概略を説明した。次回は,オバマケアが「いかに医療経済学の知見をもとに綿密にデザインされたシステムであったか」を説明する。

つづく

註1:オバマケアの法律の文面では133%となっているが,加入要件を計算するときに収入の5%を控除するという規定(Modified Adjusted Gross Income tax rule)があるため,実質的にはFPL138%以下の人はメディケアによってカバーされる。
註2:実はオバマケアはCLASS(Community Living Assistance Services and Supports)Actと呼ばれる介護保険制度の導入も試みていたが,パブリック・オプション同様にオバマケア導入の過程で切り捨てられた経緯がある。この制度は任意加入であり,保険料からの財源が十分に集まらないことが予想されたため,2011年10月にはオバマ陣営はこの法律を削除すると発表し,2013年1月1日に連邦議会で正式に撤廃されることとなった。
註3:キャデラック税の導入は当初2018年からの予定であったが,2020年に延期された。今後の経過次第では再延期や導入中止となる可能性もある。

参考文献・URL
1)N Engl J Med. 2016[PMID:27681881]
2)JAMA. 2016[PMID:27400401]
3)Deloitte. Health Insurance Market Overview. 2013.
https://www.cdc.gov/stltpublichealth/program/transformation/docs/health-insurance-overview.pdf
4)Jacob S Hacker. The Historical Logic of National Health Insurance:Structure and Sequence in the Development of British, Canadian, and U.S. Medical Policy. Stud Am Polit Dev. 1998;12(1);57-130.
5)The Washington Post. How Congress paid for Obamacare(in two charts). 2012.
6)Kaiser Family Foundation. Explaining Health Care Reform:Medical Loss Ratio (MLR). 2012.
7)Issue Brief(Commonw Fund). 2016[PMID:27290752]


つがわ・ゆうすけ氏
東北大医学部卒業後,聖路加国際病院,世界銀行を経て現職。米ハーバード公衆衛生大学院でMPH,ハーバード大でPh.D.(医療政策学)を取得。専門は医療政策学,医療経済学。ブログ「医療政策学×医療経済学」において医療政策におけるエビデンスを発信している。

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