医学界新聞

寄稿

2016.10.03



【寄稿】

臨床研究の質をいかに向上させるか
日本の喫緊の課題は人材育成とインフラ整備

新谷 歩(大阪大学大学院医学系研究科臨床統計疫学寄附講座 教授)


 私は,米国での20年にわたる統計家としてのキャリアに終止符を打ち,2013年に阪大に赴任しました。以来,日本の臨床研究の危機的な現状を目の当たりにしてきました。一例として,2013~14年の論文数による国際ランキングを見ると,日本の基礎研究は6位にランクされているものの,臨床研究は19位と下位に位置します1)。なぜ日本の臨床研究は国際的に大きく出遅れているのか。本稿ではこの答えと改善策について,日米の臨床研究の違いから明らかにしたいと思います。

データサイエンスに必要な人材が極端に不足

 米国では10~15年ほど前から,米国立衛生研究所(NIH)の研究助成金申請時や論文執筆時に,統計専門家の関与が必須と定められました。これを受け,2003~14年の12年間に3000人以上の医学統計学修士号と1200人以上の医学統計学博士号を50以上の大学で輩出しています。

 私が10年間勤務した米ヴァンダービルト大は900床弱の大学病院があり,修士号・博士号を持つ統計専門家約50人が勤務し,臨床研究を支援していました。この人数でもなお,供給が追い付いているとは言えませんでした。

 翻って日本は,16の臨床研究拠点施設に在籍する統計専門家の数は,中央値でたったの2人。全てを足しても,ヴァンダービルト大1施設の統計専門家の数には遠く及ばない状況に驚きました。日本も統計家の育成は各大学で力を入れているものの,数としては米国の数十分の1にすぎず,特に修士レベルの統計家は育成してもほとんどが企業に就職し,臨床研究を行う研究機関には供給されていない現状があります。

 こうした状況を踏まえ日本政府は,日本医療研究開発機構(AMED)による生物統計家育成事業を2016年度から開始し,毎年10~20人程度,2020年度までの5年間に50~100人に修士の学位を授与することを目標に,二つの拠点で育成するとしています2)

 育成と同時に,修士号取得者の多くが企業に流れる事態も改善しなければなりません。背景には,養成する大学が,教員になることを前提に学生を教えているため,修士レベルの統計家の雇用が安定しない事情があります。

 一方,雇用する側の課題もあります。日本では,「科研費を雇用に使えない」「大学は定員が決まっており,増員が困難」「契約職員の場合,5年の雇用の後6か月の離職期間(クーリングオフ制度)がある」などが理由として挙げられます。統計専門家を受け入れる体制も,急速に変化する時代の要請に即して変える必要があります。

臨床研究を行う医師のキャリアパスを用意すべき

 日本では,臨床研究を実施する医療者に対する統計教育も遅れています。米国では,臨床研究を行う医師はどのようなキャリアパスを経るのでしょうか。米国の場合,基礎研究を行う医師の多くは博士号(PhD)を持つのに対し,臨床研究に携わる医師は,Master of Public Health(MPH)やMaster of Science in Clinical Investigation(MSCI)など,臨床研究に特化した修士号を有することが一般的です。

 ヴァンダービルト大には,若手医師を対象に統計教育を行う「臨床研究修士号コース」が設置されています()。臨床疫学(60時間),医学統計学(120時間),臨床試験論(60時間)を中心に多岐にわたる科目が用意されており,臨床研究の立案から実行,論文作成までを一人でも行えるよう実学中心に組まれています。1日3時間の講義を月20日,これを年数回に分け,2年間にわたり受講すると修了です。これを終えると,皆見違えるように統計を使いこなせるようになるのです。

 米国における臨床研究を行う医師のキャリアパス(ヴァンダービルト大の例)

 同コースは,MPHも含め年間25人程が修了します。その後は,大学に助教レベルの職員として迎えられ,各診療科では統計・疫学の専門家として医局で臨床研究を牽引していきます。NIHの若手支援基金も充実しており,コース修了後には多くの医師がK23という5年間の給与が保証されるグラントを獲得します。K23獲得後は,週4日間の研究に対し1日の診療業務を行いながら,7年後に待つテニュア(永久就職権)の条件の一つであるR01という年間5000万~2億円規模の研究費の獲得に向けて臨床研究に没頭します。

 このように米国では,臨床研究を行う医師のための明確なキャリアパスが用意されています。NIHが適切な助成を行い,各大学は臨床研究の人材育成プログラムを整備している点が日本とは大きく異なるわけです。

 米国での教育経験を元に私は,阪大の当講座でも臨床研究のキャリアアップを図る社会人向けのプログラムとして,医療者を対象とした「『医学統計』科目等履修プログラム」を2016年度から開始しました。初年度は10人の医師を含む13人が登録しています。来年度は医学統計の単位数を倍増させ,「公衆衛生学修士コース」の分野としてスタートする予定です3)。さらに,150か国9000人が参加する大規模オンラインオープンコース「edX」の受講も開始し,英語による医学統計の授業を6週にわたり提供しています4)

データベースシステムの整備が研究の質向上と人材育成に寄与

 質の良い臨床研究を行うには,統計学の知識と並んで,「質の高いデータ収集」が欠かせません。単一施設の研究では,1人の研究者がExcelやAccessなどでデータを取ることが一般的でした。しかし,2014年に発表された「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」5)では,データの変更履歴や個人情報の扱い,研究終了後のデータ保管など,データベースにかかわる厳しい規制が示されました。とはいえ,製薬企業の治験に使われるような数億円に上る電子データ集積システム(EDC)への設備投資は,医師主導研究でできるものではありません。

 米国も10年ほど前までは,安価で質の高いデータ収集のツールがなく,暗中模索していました。2006年から始まったNIHによるClinical Translational Scientific Awards(CTSA)では,年間500億円に上るCTSAの予算の約4分の1をかけて,創薬開発にかかわるITインフラの整備を実施しました。ヴァンダービルト大はその一環で,電子データ集積システム「Research Electronic Data Capture(REDCap)」を開発し,現在は米国の62の臨床研究拠点病院をはじめ,世界105か国1980もの施設で研究をサポートしています。ウェブ上で多施設の研究データがリアルタイムで集積でき,いつ誰が何を行ったかの監査証跡が全て取れ,個人情報の秘匿化やデータベース構築も研究者が比較的簡単に行えるメリットから爆発的に広まりました。今まさに世界の医学アカデミアにおいて「スタンダード」となっています。

 阪大ではREDCapシステムを2015年に導入し,学内約700人のユーザーにより70以上の研究に用いられています。教育環境を充実させたことで,データマネジャーなどの人材不足の中でも外部委託することなく,ほとんどのデータベースを医師や薬剤師,看護師が独自に構築しています。研究者自ら手掛けることが学びとなり,さらなる人材育成へとつながっています。

 昨冬には,REDCap利用の学外からの要望に応え,ヴァンダービルト大と特別に契約を結び,国立病院機構,大学病院,学会等計15以上の研究施設へREDCapを提供しています()。

 NIHは,臨床研究にかかわる人材育成とインフラ整備の2本柱を推進し,臨床研究の質向上を成し遂げてきました。ツールもない,統計家もいない,学ぶ場もない,医師のプロテクトタイムもない過酷な状況に覆われている日本の臨床研究ですが,私は,統計専門家の育成,医療関係者への統計教育,データ集積システムの普及を3つの柱とし,現状の改善に向け一歩ずつ前進していきたいと思います。

:REDCapの詳細,申し込みは下記を参照。
 http://www.dcc.med.osaka-u.ac.jp/redcap/

参考文献
1)金子聡.主要基礎・臨床医学論文掲載数の国際比較.政策研ニュース.2015;44:30-1.
2)日本医療研究開発機構.平成28年度「生物統計家育成支援事業」に係る公募について
3)阪大臨床統計疫学寄附講座ウェブサイト
4)edXウェブサイト.Introduction to Applied Biostatistics: Statistics for Medical Research
5)文科省,厚労省.人を対象とする医学系研究に関する倫理指針.2014.
 http://www.lifescience.mext.go.jp/files/pdf/n1443_01.pdf


しんたに・あゆみ氏
1991年奈良女子大理学部数学科卒。96年米イェール大公衆衛生学部医療統計学修士号,2000年同博士号取得。同年米国退役軍人病院臨床研究総合センターなどを経て,01年から13年間米ヴァンダービルト大で生物統計家として勤務。13年より現職。阪大病院未来医療開発部データセンター長も務める。NEJM,JAMAなど,臨床研究のジャーナルに多数論文を執筆(約200編)。著書に,『今日から使える医療統計』(医学書院),『みんなの医療統計』(講談社)がある。

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