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医学界新聞

寄稿

2016.05.16



【寄稿特集】

これが私の進む道!! 2016
9人の先輩から後輩へ“贈る言葉”


 「自分自身を信じてみるだけでいい。きっと,生きる道が見えてくる」。これはドイツの詩人,ゲーテ(1749~1832)の言葉です。医学生や,初期研修医の皆さんは,さまざまな診療科に魅力を感じながらも,いざ進路を決めるとなると迷うこともあるのではないでしょうか。“本当にやりたいことを”とは言われるものの,自分の“道”を決めるのはたやすいことではありません。そこで今回は,さまざまな分野で活躍する9人の先輩に,現在の“道”を選んだ理由や研修生活などについて聞いてみました。進路に悩む後輩への“贈る言葉”が,自分なりの医師像を見つけるきっかけになれば幸いです。

こんなことを聞いてみました
❶経歴
❷診療科の紹介
❸ここが聞きたい!
 a.この科をめざしたわけ
 b.現在の研修生活は?
❹同じ道を志す後輩への“アドバイス”
君付 優子
庄島 蘇音
的場 光太郎
大月 幸子
菅原 誠太郎
髙橋 卓人
大熊 ひでみ
多田 和裕
吉田 晶南


外科

患者さんのモチベーションの高さが入局の決め手

君付 優子(福岡県済生会大牟田病院 外科)


❶2010年久留米大卒。公立八女総合病院での初期研修後に久留米大病院外科学講座へ入局。同大病院での外科ローテート後に関連病院での勤務を経て,16年より現職。

❷外科は,手術をメインとする科です。初めは胆石症やヘルニアなどの良性疾患を執刀して手術の経験を積み,徐々に悪性疾患の手術の執刀をするようになります。現在は開腹手術だけでなく,腹腔鏡下の手術を執刀する機会も増えてきました。また,検診や化学療法などに携わることもあります。手術に興味がある人はもちろん,検診や化学療法に興味がある人など,さまざまな人にお勧めできる科です。

❸もともと医師を志したときから外科に興味を持っていました。しかし手先が特に器用なわけでもなく,初期研修での外科ローテートはかなりハードだったこともあり,卒後3年目になるときの進路選択はとても悩んだことを今でも覚えています。また,外科医として生活を送る中で「外科は大変だよね」「なんで外科を選んだの」などと言われることがしばしばあります。外科に進んだ方はおのおのの思いを持っていると思いますが,私が最終的に外科への入局を決めた理由の一つは“患者さんのモチベーション”でした。

 外科手術には悪性疾患と良性疾患の両方があり,手術所要時間もさまざまです。いずれにしても手術を受けることは,患者さんやご家族の人生においてとても大きなイベントです。そのため,私たち外科医がその患者さんに手術が必要だと判断しても,患者さんやご家族の同意がなければ手術を実施することはできません。つまり,手術は患者さんの“決意”があって,初めて行われるのです。

 手術を受け,術後のつらい状況を乗り越えるのは患者さん本人であり,私たち外科医はそれに力添えすることしかできません。しかし“決意”を固めた患者さんの多くは積極的にリハビリに臨んだり,離床に努めたりとモチベーション高く治療に参加してくれます。私はそんな患者さんたちの治療ができるところに外科の魅力を感じています。

❹大変なことはもちろんたくさんあります。外科の同期11人のうち,女性医師は私を含め4人いますが,男性との体力差を感じることもあり,正直「辞めたい」と思ったこともあります。しかし,私は外科をやりがいのある科だと心から感じていますし,外科に進んだことを誇りに思っています。昨今,外科へ進む人が減少していると言われますが,同じ志を持った仲間はたくさんいます。進路に悩んでいる研修医の皆さん! 外科医として活躍してみませんか。


麻酔科

ダイレクトに全身管理ができる

大月 幸子(広島大学病院麻酔科 医科診療医)


❶2009年広島大卒。同大病院で初期研修後,JA広島総合病院勤務を経て,13年より現職。14年より広島大大学院へ進学。

❷麻酔科は何をしているか外からはなかなかわかりにくい科だと思いますが,主に手術のときの麻酔の管理をしています。手術麻酔には,全身麻酔以外にも硬膜外麻酔,脊髄くも膜下麻酔,神経ブロックなどさまざまな方法があり,私たちは行われる手術に適した方法を選択しています。手術内容も体表の小さな腫瘤を切除するものから,心臓を止めて行う心臓血管外科の手術までさまざまな侵襲度のものがあり,麻酔科医にはそれらに対応できるスキルと知識が求められます。また手術麻酔以外に,癌性疼痛や慢性疼痛を扱うペインクリニック,集中治療なども行っており,病院によっては救急科と同様にホットラインの対応も行っています。

❸学生時代,当時はやっていた『医龍』という漫画に登場する風変わりな麻酔科医を見て,「職人っぽくてかっこいいな」と思ったのが,麻酔科に関心を持ったきっかけでした(単純です)。その後,初期研修で麻酔科をローテートした際,とにかく手技の多さが楽しかったこと,またそれ以上に術中管理がとても面白く感じたことから,さらに興味を持つようになりました。術中管理は自分の操作に対してダイレクトに反応が返ってくるため,そこも気の短い私にはぴったりでした。もともとモチベーションがすごく高い医学生というわけではありませんでしたが,医師たるもの全身管理ができなくてはだめだと常々思っていたので,その点でも麻酔科は合っていると思いました。

 一方で,医師になったのに主治医にならないのはどうなのかと悩んだ時期もありました。内科のように自分で診断して,治療方針を決め,その治療が効いて晴れて退院,というのもとても魅力的でしたが,具体的に内科のどの分野に進むのが良いか決定的な理由がなかったことと,主治医になれなくても自分次第で主治医以上に患者さんのことを考えることはできると思ったことから,最終的に麻酔科に決めました。

❹麻酔科はいろいろな働き方ができる科です。努力すれば心臓血管麻酔や移植の麻酔もできますし,自分のライフステージに合わせて少しセーブしながら働くことも可能です。働き方はそれぞれでも,病態生理や呼吸・循環などの知識の習得は麻酔科の大前提となります。ですから,研修期間はいろいろな科を回り,その科の考え方や知識をどんどん増やしていってほしいと思います。そうすれば麻酔科に限らず,どんな科でもつぶしが利くでしょう。頑張ってください。


放射線科

難解なクイズに挑戦する毎日

大熊 ひでみ(東京大学医学部附属病院 放射線科)


❶2003年京大大学院医科学研究科修士課程修了。岡山大医学部へ編入学し,09年卒。愛知県がんセンター中央病院で初期研修後,虎の門病院を経て,13年に東大大学院医学系研究科博士課程に入学し,15年より現職。

❷放射線科は大きく分けると診断部門と治療部門があります。診断部門では主にCTやMRIなどの画像診断と,経カテーテル的治療を中心としたIVR(interventional radiology;血管内治療)を行います。もう一方の治療部門では,主に悪性腫瘍に対し放射線を用いて“切らずに治す”治療を担当します。放射線科の一番の特徴はカバーする領域が広いことで,全身の臓器・疾患を対象とし,アプローチの仕方もさまざまです。

a.医学部入学前に大学院で画像を用いた脳機能研究に携わっていたので,いずれは神経内科か放射線科に進もうと決めていましたが,入学後に学生実習でお世話になった放射線科の先生に大きな影響を受けました。当時の私には何が異常かすらよくわからなかった画像でも,先生はバシッと診断を言い当てていました。人柄も魅力的で,他科の先生方から頼られている姿を見て,「私も将来はこうなりたい」と憧れ,放射線科(特に診断部門)に心が傾くようになったのです。しかし,初期研修医として実際にローテートを始めてみると,治療計画を立てるのが楽しかったこと,放射線治療医自体が全国的にまだ少なくアットホームな雰囲気だったことから,治療部門に進むのもいいなと思い始めました。そのため研修医2年目の後半まで悩みましたが,難解なクイズに日々挑戦し続ける診断医の仕事に面白さを感じて,最終的に診断部門を選びました。もっとも,本を読んで勉強することが大好きで,難解なクイズを解くのが楽しいと錯覚していただけだったことに後で気付くことになるのですが……(苦笑)。

 各分野が細分化され,より高度に専門化されていく流れの中で,放射線科は全身を診ることのできる数少ない専門分野です。診断部門は患者さんに直接触れる機会の少ない部門ではありますが,IVRでは積極的に治療を行うことも可能です。治療部門では外来を担当しますし,施設によっては病棟を持ち主治医としても活躍できます。

b.現在は大学院生として研究をしながら,大学病院で主にCTやMRIなどの画像診断と,肝細胞癌に対するIVRを担当しています。また,二児の母であることも主たる仕事(?)の一つです。三足のわらじを履けるほどスーパーウーマンではありませんが,周囲の理解と協力のおかげで楽しく充実した毎日を送っています。

❹放射線科は技術の進歩により,近年急速に発展した比較的新しい専門分野です。そのため放射線科医は圧倒的に不足しており,若くても活躍の舞台が多数あります。多様性を受容する気風もあり,きっと皆さんの“天職”や“居場所”を見つけることができるのではないでしょうか。全身のあらゆる疾患が対象となりますので,学生実習やスーパーローテで学んだ全ての経験と知識が役立ちます。これは興味ないな,将来に関係ないなと思うことでも,ぜひ前向きに取り組み,吸収していってください。


糖尿病内科

病気を診る以上に,患者さんの“人生”を見る科

庄島 蘇音(岡山済生会総合病院糖尿病センター 後期研修医)


❶2011年岡山大卒。同年より松山市民病院にて初期研修後,岡山済生会総合病院糖尿病センターで後期研修中。糖尿病内科,腎臓内科専攻コース。

❷糖尿病センターでは,外来および病棟で多数の糖尿病患者さんを診療しています。当科では,地域との連携を重視しているため紹介患者も多く,2~3か月先まで教育入院の予約がいっぱいということも珍しくありません。また,各診療科や各医療スタッフと連携したチーム医療や,教育資材をデータベース化してiPadで共有するシステムの構築などにも取り組んでいるため,糖尿病のチーム医療のモデル病院として雑誌や講演会,学会などにもよく取り上げられています。真の意味で,糖尿病患者さんを総合的,包括的に診られる病院であると思います。

a.実は私は,医学部に入る前に薬学の修士課程を修了しており,その後製薬会社で新薬の臨床開発に4年近く従事していました。それはくしくも,糖尿病の新薬(現在発売中のSGLT 2阻害薬)の臨床開発でした。大学院でも血糖降下薬の創薬研究をしていましたし,祖父も糖尿病でしたので,いろいろな意味で糖尿病という病気と運命的に深く縁を結んでいたように感じます。そのためか医学部に入ってからも進路について大きな迷いはほとんどありませんでした。

b.初期研修後に岡山済生会総合病院で後期研修を開始し,現在4年目になります。当院では,糖尿病内科に加えて腎臓内科も専攻コースに加えることができたので,週1~2回の透析管理も任されています。また,救急当直や健診の仕事もあり,多忙な日々を過ごしています。特に,済生丸に乗船して島の健診に行くという仕事は,他の病院ではなかなか体験できないものです。

 糖尿病外来は週1回で,合計50人前後の患者さんを診ています。臨床成績や治療効果などを日頃からこまめにまとめ,毎年学会や地方会で必ず発表しています。2年前からは欧州糖尿病学会にも参加しており,まさしくEye Openerのような経験をすることで大きな刺激を受け,臨床に対するモチベーションもさらに上がっています。私の治療方針によって,糖尿病外来を受診した患者さんの血糖値が良くなり,肥満やメタボリック状態も改善して,生き生きとしたすてきな笑顔を見せてくれるようになることが一番のやりがいで,充実感と達成感を感じる瞬間でもあります。

 また,糖尿病の治療において最も大事なことは,食事療法と運動療法です。人を説得するためにも,医師になってから運動を始めるようになりました。最初はサイクリングだけでしたが,4年前からマラソンを始め,現在は水泳もしています。最近は食事も減塩・カロリー制限に努めており,外食や宴会などとはほとんど無縁の生活です。糖尿病教室や外来のときに,自分のマラソン大会の写真やサイクリングの経路,使っているGPS時計,運動アプリ,運動靴などについて話をして,少しでも興味関心を持ってくれたらと考えています。私と同じ運動靴を買った,同じアプリを使って運動するようになった,という話を後で聞くと非常にうれしくなります。

❹糖尿病は根治が難しく,生涯にわたって患者さんとお付き合いしないといけない病気です。病気を診る以上に,“人”あるいはその患者さんの“人生”を見るという長い目が大切だと思います。そして,食事療法や運動療法を自らも実践することで,運動の喜びと楽しみを患者さんと共有することができ,一体感が得られます。糖尿病は新薬の研究・開発が日進月歩の世界であり,これからも新しい機序の薬剤やより使いやすい剤形,デバイスがどんどん世に出てくるでしょう。常に新しい物を受け入れられる柔軟な心と,日々勉強する向学心が必要です。また,仕事がどんなに忙しくても時間を絞り出して運動習慣をつけ,体力・気力づくりに励んでいけばきっといつか報われます。千里の道も一歩より(「千里之行,始於足下」――老子)ということわざがあるように,どんな大きな目標でも最初の第一歩を踏み出すことが最も大事です。

写真 2015年11月,岡山マラソンにドクターランナーとして参加したときの1枚。


救急科

多様な疾患に正しく対応できる医師になれる

菅原 誠太郎(東京ベイ・浦安市川医療センター救急科)


❶2010年福井大卒。国立病院機構東京医療センターにて初期研修後,12年より東京ベイ・浦安市川医療センター救急科にて後期研修開始。16年より,慶應義塾大大学院経営管理研究科に通学しながら,東京ベイ・浦安市川医療センター救急科にてスタッフとして勤務中。

❷皆さん,救急科というとどのようなイメージをお持ちでしょうか。日本のドラマ「救命病棟24時」のような3次救急施設を思い浮かべる方が多いと思います。当院は,ER型救急と呼ばれる少し異なる体制を取っています。海外ドラマの「ER緊急救命室」をイメージしていただくとわかりやすいと思いますが,患者さんの年齢,臓器・疾患,重症度に関係なく来院された全ての患者さんの診療を行います。病棟を持たず,患者さんの初期治療を行い,適切な科にコンサルトするという病院の入り口のような部門です。

a.もともと,私が幼少期に受診していた開業医の先生がいろいろな疾患に対応している姿を見て,医師に憧れを抱くようになりました。福井大の救急科はER型救急体制であり,授業や実習を通して,何でも診療する救急医の先生たちの姿が私の理想に近いと感じ,大学時代に救急医になろうと決めました。

 初期研修での救急ローテート中に,細菌性髄膜炎の患者さんを担当しました。意識レベルがどんどん悪くなっていく中,早急な対応ができたことで,入院加療を経て後遺症なく歩いて自宅退院させることができ,非常に大きなやりがいを感じて,救急への思いがさらに大きくなりました。後期研修では,救急医は臨床に注力するのみならず,病院内の他部門や病院外の救急隊や開業医の先生と良い関係を築くことが重要であるということを,当科の志賀隆部長を見て,考えるようになりました。チーフとしてレジデントをまとめる立場になったときに,部門を運営することも大切に感じたので,今はマネジメント,経営管理なども勉強しています。

b.救急科の魅力は,まず多様な疾患に適切に対応できる医師になれることです。救急車で搬送されてくる患者さんだけでなく,歩いて病院にやってくる重症疾患(くも膜下出血や心筋梗塞など)の患者さんもいます。軽症の患者さんたちの中に隠れているこうした重症患者さんを見極め,適切に対応することに,私はやりがいを感じています。

 次にオン/オフがはっきりしていることも救急科の魅力の一つです。当院は週40時間勤務となっており,その他の時間は勉強したり,研究したり,プライベートに使ったりすることができます。一方で勤務がシフト制であるため,慣れるのに時間がかかる人もいます。なかなか睡眠サイクルが合わなくて大変なこともあるかもしれませんが,一度慣れるとシフト制のほうが時間を有効に使え,よりゆっくり休めるので,心配する必要はないと思います。実際に苦労していた後輩も徐々に慣れ,今では平日休みに一緒に旅行に行くなど,むしろシフト制を楽しんでいるようです。

❹救急科は,いろいろな疾患に対応しなければなりません。そのため救急科に興味を持っているならば,内科,外科からマイナー科まで幅広く勉強することをお勧めします。研修中は時間が限られている上に仕事量も多いため,ローテートしている科での救急疾患,手技をピックアップして勉強すると良いかもしれません。例えば,耳鼻科では喉頭蓋炎,口腔底膿瘍などを勉強し,喉頭ファイバーを使えるようにするといった具体的な目標を立てることで有意義な研修ができると思います。

 救急医というとつらいイメージもあると思いますが,ER型救急施設の多くはシフト制で自由な時間も多くあります。子育てをしながら勤務されている女性もいて,皆さんがイメージしているほど過酷な科ではないと感じます。ぜひ,皆さんも目の前の患者さんにすぐに対応できる救急医をめざしてみませんか。


消化器外科

全ては患者さんからの“ありがとう”のために

多田 和裕(大分大学医学部附属病院 消化器・小児外科医員)


❶2010年大分大卒。大分赤十字病院,大分大病院で初期研修後,12年より同院消化器・小児外科に所属。大学病院および地域基幹病院での臨床修練を行い,16年より大分大大学院へ進学し研究生活を開始。

❷消化器外科は,ヒトが“食べる”ことにおいて必要とする臓器のほぼ全てにかかわることができる科です。対象疾患も良性から悪性まで多岐にわたります。手術はもちろんのこと,周術期の全身管理をはじめ,内視鏡・エコーなどの検査,抗がん薬治療,緩和ケアまで行います。

 昨今,手術では低侵襲化,機能温存が重視されるようになってきました。当科では腹腔鏡下手術を積極的に行っているほか,下部直腸癌の肛門温存手術や肥満外科手術など,まさに最先端の医療を経験できます。

a.医学を勉強するうちに,薬でも放射線でもなく,自らの手で患者さんを救う外科にひかれました。5年生の臨床実習で,胃癌の手術に手術助手として参加しましたが,自動縫合器で胃を切離させてもらったときの感覚が忘れられず,6年生でも外科実習を選択しました。そこでは腸管モデルを用いた吻合トレーニングをしました。Albert-Lembert吻合が仕上がったときの美しさに感動し,モデルを家に持ち帰ったことを今でも覚えています。また,豚を使用した腹腔鏡下手術を執刀させてもらったときに,実際に鉗子を用いて血管を剝離し,エネルギーデバイスを用いて組織を切離しました。出血があったものの,止血まで自分で行ったこの実習が決定的でした。

b.外科の魅力には3つのDがあります。1つ目は,がん患者の病巣が手術で摘出された瞬間に病気から解放される,あるいは腹膜炎・外傷などでバイタルサインが不安定な状態が手術により回復するといった“劇的な変化(Dramatic)”。2つ目は,多臓器に浸潤する大きな腫瘍を取り除いたり,緊急手術が必要と判断した場合に躊躇せず開腹したりする“豪快な行動(Dynamic)”。そして患者さんにとってヒーローになれる“夢のある仕事(Dreamy)”です。

 外科は昔から3K(きつい,汚い,危険)と言われています。環境は改善されてきているとはいえ,緊急手術で呼び出されたり,12時間の長時間手術で立ちっぱなしだったり,消化液や血液に触れる機会が多かったりと3Kはあながちウソではありません。しかし,外科は“チーム”で治療をします。一緒に励まし合える仲間がいるからこそ大変な手術も乗り越えることができます。何より,患者さんから「ありがとう,先生に手術してもらって良かった。命をもらった」と言ってもらえたときの喜びで,全ての苦労は吹き飛びます。

 外科に入って思うことは,ただ手術ができればいいわけではないということです。技術を常に磨くこと(Skill),最新の知見を学び物事を論理的に考えること(Science),患者さんに寄り添い癒やしを与えること(Spirit),この3つのSに真摯に取り組むことが大事だと感じました。

❹外科医をめざす学生や研修医の皆さん,3Sを大事にしてください。毎日糸結びの練習をしましょう。疑問に思ったこと,臨床で困ったことがあればとことん調べる習慣をつけましょう。全ては患者さんからの“ありがとう”のために。

写真 猪股雅史教授(右)指導,田島正晃助教(中央)のカメラアシストの下,腹腔鏡下直腸切除術を執刀する筆者(左)。


法医学

異状死の死因究明で,犯罪や事故を見抜く

的場 光太郎(北海道大学大学院医学研究科法医学分野 助教)


❶2005年北大卒。同大大学院医学研究科博士課程に進学し,07年から現職。11年に医学博士を取得。

❷北海道は警察や海上保安庁などへの異状死の届け出数が1年間に約7500件あり,北大,札医大,旭川医大の3大学の法医学講座が異状死の死因究明を担当しています。私の所属する講座では,異状死の死因究明にかかわる約300件の法医解剖,CTを利用した約200件の死体検案を年間の実務としてこなす傍ら,北大の学部生や大学院生,司法関係者などに法医学の講義を実施しています。臨床医学で実施される生化学検査に死後変化が及ぼす影響,死後画像診断や薬物検査の新しい測定法に関する研究などを行っています。

a.医学部に入学したときの担任の先生が法医学の寺沢浩一教授でした。当時,北海道には法医学の医師が2人しかおらず(現在は5人),寺沢教授は法医学を専攻する医師を探しており,教育に熱心に取り組まれていました。もともと推理小説が好きで法医学に興味があった私に声を掛けてくださり,法医学を専攻することにしました。

b.寺沢教授指導の下,11年間で約2000件の法医解剖に執刀者・介助者として携わり,死体解剖資格や日本法医学会認定医を取得しました。法医解剖を自立して実施できるようになり,殺人,傷害致死事件などの刑事裁判で鑑定人としても証言しています。医学知識のない裁判員の方に死因,損傷の機序などをわかりやすく説明できるよう,司法関係者などからアドバイスをいただいて勉強を重ねています。

 昨年の6月には当大大学院に遺体専用のCT装置が導入され,法医解剖前に全件CT検査を実施し,解剖をしない事例でもCTを利用した死体検案を実施するようになりました。現在当研究室には教授が不在ですが,昨年日本で初めて作成された死後画像読影ガイドラインの代表研究者でもある兵頭秀樹特任准教授から死後画像診断の実務・研究の指導を受けています。解剖所見とCT画像所見の対比が大変興味深く,日々勉強しています。人生の最後に何が起きたのかを明らかにすることで,亡くなられた方の権利を守り,社会の安心や安全に寄与できるのが法医学のやりがいであると思います。

❹法医学を専攻する医師は全国に150人程度しかおらず,日本の異状死の法医解剖率は約11%にとどまり,諸外国に比べて大幅に低いのが現状です。このため,日本全国で発生する年間約17万件の異状死の死因究明が十分とは言えず,犯罪や事故の見逃しが多発していると考えられます。法医学に興味をお持ちの方は,大学の法医学教室あるいは東京都監察医務院を見学して,大学院入学などの進路を相談していただければ,法医学者としての道を歩むことができると思います。


小児科

子どもの代弁者としてのやりがい

髙橋 卓人(ニューヨーク州立大学ダウンステイトメディカルセンター 小児科専門研修医)


❶2010年山梨大卒。卒後すぐに米国臨床医の資格を取得。三井記念病院にて初期研修,都立小児総合医療センターにて小児科後期研修後,米国に渡り15年より現職。

❷小児科は,新生児から思春期までダイナミックに変化する病態生理を扱い,その診療範囲は臓器を問わず,家庭環境へのケア,食事生活指導と多岐にわたります。包括的な診療範囲と,弱者である子どもの利益を追求することから,小児科医は“子どもの代弁者”とも呼ばれます。

a.私は12歳のころに悪性リンパ腫に罹患しました。幸いに再発や後遺症はなく,学校にも復帰できましたが,病気の経験は早く忘れたい負の記憶でした。そんなあるとき,小児がん経験者の体験談に巡り合い,闘病経験を糧に力強く生きている先輩たちの言葉に勇気をもらったのです。そして小児科医になって,同じ病気と闘う子どもの力になりたいと思うようになりました。また,当時の私の主治医が臨床留学の経験者であったこともあり,医学部入学後から臨床留学にも憧れを抱いていました。

b.小児疾患の多くは急性疾患で,抗菌薬を用いたシンプルな治療や,支持療法のみでも十分治癒します。一方で,診察は子どもの機嫌を取らなければならず,採血は数人がかり,薬を飲ませるのも大仕事,と当初は診療時間の多くを“子守り”に費やしている気持ちになりました。そんな戸惑いから始まった小児科研修でしたが,今は小児科医であることに誇りと喜びを感じています。病気に苦しみながらも適切な訴えができず,「診療に協力することができない」子どもと,そのそばでパニックになっている親は,医療現場では弱者であり,小児科医の助けを必要とします。上手に“子守り”をする中で,子どもの病態生理の情報を入手し,子どもと親が受け取れるカタチで医療を提供することは,高度な技術や医学知識を活用していなくても,一つの専門診療です。未来の可能性にあふれている上に,かかわる人を幸せにする“魔法”を持つ子どもは,弱者ゆえに尊い存在であり,その魔法に貢献できることは小児科医の喜びです。

 現在は米国で小児科研修をしていますが,言語・システム・文化の違いなどにはばまれて,無力感を痛感する毎日です。しかしそんな異国の環境でも,母親の不安な表情を見ると自分の知識・スキル・経験を駆使してなんとか力になりたいと感じますし,子どもの笑顔はやはり私を幸せにしてくれます。

❹小児科に興味があれば,まずは自分専用の秘密道具(おもちゃ)を持って,子どもと遊んでみてください。子どもが笑顔を取り戻したときに周囲に広がる幸せと,親の不安が和らぐ瞬間の喜びを感じてください。そして,嫌がる子どもの診察をする小児科医の姿や,不安でいっぱいの親から病歴を取りカウンセリングをする様子に注目することで,“子どもの代弁者”としての役割の素晴らしさとやりがいを垣間見ることができると思います。

 もし臨床留学にも興味があるのであれば,早めに準備を始めることをお勧めします。情報は書籍等で十分に入手可能ですが,米国医師国家試験,英語の学習には膨大な時間を要します。


乳腺外科

患者さんの生活と,その後の人生を支えたい

吉田 晶南(聖路加国際病院 乳腺外科専門研修医)


❶2013年高知大卒。東京臨海病院で初期研修後,15年より現職。

❷乳腺外科では主に乳癌の診療を行います。現在は各分野が専門分化されてきてはいますが,マンモグラフィの読影や超音波による診断から外科手術,術後の化学療法まで,乳腺外科では乳癌と診断されたときから最期までを,患者さんと共にします。

a.私の場合は,初めから乳腺外科を志していたわけではありません。初期研修の間もそれぞれの診療科で研修するたびに興味が移り変わり,なかなか自分のやりたいことを決められませんでした。そこで,いよいよ進路を決めなくてはというときに,自分がなぜ医師を志したのか,どんな医師になりたいと思っていたのかを考え直すことにしました。もともと私の周囲には医療に従事する者がおらず,また重大な病気を経験した家族や親戚もいませんでした。医療は遠い存在であり,漠然とした不安や無知に対する恐怖のようなものを感じていたため,自身が医療の知識を付け,周囲の人の医療の窓口になりたいという思いから医師を志しました。そのためか,人の命をダイレクトに救うというよりも,病気を治療することによってその人の生活や,その後の人生を救えるようなことがしたい(やや大げさではありますが),という思いがいつも根底にあったように思います。

 乳癌の患者さんは他の癌と比較して若年で罹患し,罹病期間も長期となることが多く,治療による生活への影響も大きくなります。自分の命よりも仕事や家庭のことをまず考えてしまったり,容姿の変化に敏感であったりするため,病気を治療するだけでは患者さんを救うことにはなりません。そうした人たちの力になれればと乳腺外科医を志しました。進む分野に対する興味はもちろん大切ですが,自分の知識や技術をどのように人に還元していきたいかも,進路を決める助けになるかもしれません。

b.現在乳腺外科医となって2年目です。1年目は半年ほど乳腺外科以外の外科研修を経験し,その後の期間は乳腺外科での病棟および手術業務を主にこなし,1年目の終わりごろから外来診療もしています。乳房の手術は短時間の手術であり,合併症も少ないですが,整容性を考えながら乳腺を必要十分量切除する技術はとても奥が深く,女性としてのやりがいも感じます。外来診療では,職場でも家庭でも重要度の高い時期にある女性の葛藤を目にする場面が多くあります。当然癌の治療が最優先であるものの,生活背景を常に考えながら方針を模索し柔軟に対応していくところが難しくもあり,やりがいでもあります。また,乳癌という疾患自体,変化が目まぐるしい分野であり,これからの研究に自分もかかわっていけるのでは,と期待させてくれる部分もやる気につながっています。

❹研修医の間は一般的な知識や技術を学ぶことが大切だと思います。乳腺外科での診療は専門的な内容が多いですが,それまでに身につけた全般的な知識もとても重要です。研修医の間に見たり経験したりしたことで無駄なことは何一つありませんので,好き嫌いせず,何でも吸収する姿勢を常に持ってください(自身の反省を込めて)。

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