医学界新聞

連載

2016.01.11



Dialog & Diagnosis

グローバル・ヘルスの現場で活躍するClinician-Educatorと共に,実践的な診断学を学びましょう。

■第13話:抗菌薬的不安たち

青柳有紀(Consultant Physician/Whangarei Hospital, Northland District Health Board, New Zealand)


前回からつづく

 先日,私が勤務している病院の後期研修医(registrar)の数人がローテーションを終え,さらなるトレーニングのために別の施設に旅立って行きました。ニュージーランドには,北島のオークランド大学と,南島のオタゴ大学にそれぞれ医学部があり,私が一緒に働いている研修医たちの多くがこれらの大学出身なのですが,彼らに混じってイギリスやアイルランドの医学部出身の研修医も多数働いています。同僚の指導医たちの出身もさまざまで,ニュージーランド以外にも,インド,南アフリカ,ドイツ,アメリカ,イラクなど,国際色豊かで刺激的です。

 今回は,そんなニュージーランドの日常で経験したある症例について,皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

[症例]79歳の独居女性。主訴:呼吸苦。高血圧および心不全の既往あり(NYHAクラスⅡ)。2日前から労作時の呼吸苦が徐々に増悪し,自宅内を移動するのにも息が切れるようになった。熱っぽくはないが,喀痰排出を伴う咳嗽を認める。喉の痛みや鼻汁はない。両足のむくみがここ数日,いつもよりひどくなっている気がする。昨夜は横になると苦しく,ほとんど眠れなかった。胸痛や胸がドキドキする感じはない。今日の午前にかかりつけ医を受診したところ,「心不全が悪化している」と言われ,入院加療のために当院に搬送されてきた。

 ER到着時のバイタルは体温36.0℃,血圧168/94 mmHg,心拍数83/分(整),呼吸数24/分,SpO2 94%(room air)。診察時,患者は呼吸苦のため,やや疲弊している。口腔内粘膜所見は正常。頚静脈の怒張を認め,胸骨角から内頚静脈の拍動の頂点までの垂直距離は6 cmであった。胸部聴診ではS3を聴取し,肺野底部を中心に両側の広範囲で吸気時クラックルを聴取する。腹部の異常所見なし。両下肢に軽度の圧痕を残す浮腫あり。胸部X線では,心拡大とともに両側肺門部から末梢にかけて広がる間質影とKerley B linesを認める。喀痰のグラム染色を試みるが,上皮細胞が多く,口腔内細菌叢と思われる複数の細菌が染色された。

あなたの鑑別診断は?

 皆さんはこの症例についてどう思うでしょうか? 心不全の既往がある高齢者の呼吸苦症状です。現病歴と身体所見から,既往である心不全の増悪を起こしていることはほぼ間違いないように思えます。「胸骨角から内頚静脈の拍動の頂点までの垂直距離」は内頚静脈圧を推定する際に有用です1)。胸骨角から右心房までの垂直距離はおよそ5 cmなので,これに「胸骨角から内頚静脈の拍動の頂点までの垂直距離」を加えた値が内頚静脈圧と考えることができます。基準値は3-9 cmH2Oなので,この患者の内頚静脈圧(中心静脈圧を反映します)は上昇していると判断できます。両下肢の浮腫と合わせて,これは右心不全の古典的な症状であり,肺うっ血症状と身体所見および画像所見(呼吸苦,吸気時クラックル,胸部X線所見)と合わせて,左心不全に続発した右心不全を強く示唆するものです。

 チームのregistrarとhouse officer(初期研修医)と共に,早速,回診に向かいます。ノックをして病室に入ると,患者さんは枕を一つ頭の下に置いてベッドに横になっていました。一見して呼吸数がやや速い印象を受けますが,「横になると苦しく,ほとんど眠れなかった」来院前の状況を考慮すれば,主訴の呼吸苦は改善傾向にあるようです。投薬歴をチェックすると,入院を担当した別のregistrarの判断で,心不全の増悪に対して迅速に利尿薬(フロセミド注)が投与されています。また,ACE阻害薬による適切な血圧のコントロールもされていました。

 ところが,これらの薬とともに,なぜかセフトリアキソンとマクロライド系抗菌薬も開始されていたのです。この組み合わせから,担当したregistrarが市中肺炎を想定していたことは明らかでした。「感染」は(皆さんもご存じのように)心不全の増悪因子です。しかし,本当に肺炎がこの患者の心不全の増悪をもたらしたのでしょうか?

D & D

 現病歴を確認しながら,普段の服用薬についてもう少し聞いてみました。

「普段飲んでいるお薬について,教えていただけますか?」

 高齢者では服用薬の詳細について正確に答えられない方も珍しくないのですが,この患者さんはかかりつけ医に処方されていたβ遮断薬,ACE阻害薬,利尿薬(フロセミド)の名称を正確に答えることができました。

「今回,息苦しく感じるようになる前に,お薬を飲まなかったり,いつもと違う飲み方をしたことはなかったですか?」
「……いつも通り飲んでいました」
「別のお薬を飲んだりしたことはなかったですか?」
「ないです」

 このような会話を2回ほど繰り返した後,肺炎に関連した症状について質問したのですが,この時点で得られた病歴,身体所見,胸部X線,喀痰のグラム染色の所見などから総合的に判断して,肺炎の存在を即座に否定することは,確かに簡単ではないように思えました。患者の症状は明らかな改善傾向にあったので,治療方針は変えず,翌日朝の回診時に,もう一度同じ質問を患者さんに投げ掛けてみました。

「今回,息苦しく感じるようになる前に,お薬を飲まなかったりしたことはなかったですか?」
「飲んでいましたよ」
「別のお薬を飲んだりしたことはなかったですか?」
「……いいえ」

 頚静脈の診察や胸部の聴診を行い,もう一度,今度は聞き方を少し変えて尋ねてみました。

「今回,息苦しく感じるようになる前に,どこか痛いとか,具合が悪いところはありましたか?」
「……実はしばらく腰が痛かったんです。それで,おしっこがでる薬を飲むと,トイレに行くのが辛いので……」
「そうですよね。それで,どうされました?」
「その薬を止めて,家にあった痛み止めの薬を飲んでいました」
「(!)」

 どうやら,利尿薬の自己中断が今回の心不全の増悪の原因だったようです。また,痛め止めに飲んだ非ステロイド性抗炎症薬も,心不全の悪化に拍車をかけたようです2)。この時点で市中肺炎を想定した抗菌薬治療は速やかに中止されました。患者は順調に回復し,腰痛の原因も筋性と判断され,翌日には退院していきました。処方薬の服用の重要性と,腰痛の悪化の際の対処法について十分に説明し,理解してもらったので,おそらくこの患者さんが今回と同じ理由でERに戻って来ることは防げるでしょう。

 この症例では,registrarの下した診断(心不全の増悪)は正しかったものの,その原因となったのは感染(市中肺炎)ではなく,処方薬の自己中断でした。そして,それを明らかにしたのは,高価な血液検査や画像診断ではなく,病歴聴取,すなわち患者との対話でした。肺炎が心不全の増悪の原因となることを知っていれば,多忙な日々の臨床業務の中で「とりあえず抗菌薬を落としておく」ことで,不安を解消し,自己保全を図ろうとする気持ちも理解できないわけではありません。実際に,こうした傾向は,私がこれまでに臨床を行ってきた日本,アメリカ,そしてアフリカでもしばしば見られました。しかし,これはもはや患者のための医療とは言えず,私たちがめざすべきものではないはずです。

 私の大好きな作家に,チェコ出身のミラン・クンデラという人物がいます。彼の代表作の一つである『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫)には,次のような一節があります。

 「愛とは,絶えざる《問い》である」。

 クンデラによれば,恋愛状態にある人が,相手に対して「自分のことを好きかどうか」,さらには「自分が思う以上に相手は自分のことを思っているかどうか」など,絶えず問うことこそ,「愛」なのだそうです。今回の症例について考えながら,もしかしたら,この一節の「愛」を「臨床」に置き換えてもしっくりくるような,そんな気がしました。

今回の教訓

◎患者の再入院を予防することは,正しい診断を下し,治療することと同様に重要である。

◎抗菌薬は,(それを処方する医師にとっての)抗不安薬ではない。

◎診断した疾患の,根本的な要因について,何度でも問うこと。

つづく

参考文献
1)徳田安春.Dr.徳田のバイタルサイン講座.日本医事新報社;2013.
2)Gislason GH, et al. Increased mortality and cardiovascular morbidity associated with use of nonsteroidal anti-inflammatory drugs in chronic heart failure. Arch Intern Med. 2009 ; 169(2) : 141-9. 〔PMID : 19171810〕

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