医学界新聞

連載

2015.09.21



クロストーク 日英地域医療

■第10回 「患者中心」であるということ①

川越正平(あおぞら診療所院長/理事長)
澤 憲明(英国・スチュアートロード診療所General Practitioner)
企画協力:国際医療福祉大学大学院 堀田聰子


前回からつづく

日本在宅医と英国家庭医──異なる国,異なるかたちで地域の医療に身を投じる2人。現場視点で互いの国の医療を見つめ直し,“地域に根差す医療の在り方”を,対話[クロストーク]で浮き彫りにしていきます。


川越 澤先生は,日本でいくつかの診療所や在宅医療に力を入れる医療機関を見学されたと伺っています。その中では,医師の姿勢や患者さんの状態像も垣間見られたと思うのですが,どのような印象を持ちましたか。

 拝見したのは数える程度ですが,相違点よりも類似点のほうが強く印象に残っています。日本と英国とではあらゆる違いはあっても,「人が人を支える」という医療の本質的な部分は変わらないのだ,と。医療者の「それぞれの患者に合う十人十色の個別化した医療を提供したい」という思いは,日英で共通するものでした。

川越 なるほど。驚くほどの差はなかったということですね。

 でも,ある程度の違いを感じたのは事実です。点滴や胃ろうといった患者につなげる管の多さや,ベッド周りにモニターが置かれている様子など,英国の在宅患者では比較的珍しい姿が日本では見られました。

 日本の在宅医療現場で働く医療者の話を聞く限りですが,胃ろう患者や寝たきり患者が多いということですから,英国よりも医療化が進みやすい傾向にあるのかもしれないと考えます。そこには国の文化や医療体制の違いという理由もあるでしょうし,国民が抱く医療への期待度の大きさも異なるなど,さまざまな事情が重なっているためだと思いますが……。ただ,日本において,患者を「アドボケート(支援・擁護)」する役割を持つ医師が今以上に機能することで,現状も変わるかもしれないと思っています。

川越 では,今回はそこを起点にお話を伺っていきましょう。

二人三脚で意思決定を実現することが「患者中心」

川越 患者をアドボケートする役割についてですが,やはり英国では,かかりつけ医であるGPが担うことになるのでしょうか。

 そのとおりです。健康問題の第一の相談窓口として,患者が適切な医療・ケアを受けられるように患者を導いていく伴走者としての役割を担います。

川越 それこそがかかりつけ医の本分だと思いますからね。日本も同じようなスタンスで取り組む医師がいることはもちろん知っています。しかしながら,体系化されたシステム・教育が存在するわけではないために,地域の医師全てがそうした役割を意識しているとは言えないのも事実です。

 では,そのGPがアドボケートの役目を果たす上で注意していることは何だと思われますか。

 患者中心(Patient-centred)のコミュニケーションが一つ挙げられるでしょうか。GPはこれを基盤とした医療面接技法の学術的なトレーニングを受けます。日頃の診察を動画に撮って指導医と一緒に振り返るビデオレビューや,模擬患者を用いた診療訓練・試験など,家庭医療の専門研修・専門医試験でも厳しく審査される項目です。外科医にとってメスが大切であるように,GPにとってはコミュニケーションが欠かせない,と言えますね。

川越 「患者中心」というのも,言葉のとらえ方によって意味合いが変わってきます。どのようなアプローチを指すのか,もう少し具体的に教えてほしいです。

 医学的な情報と患者の物語の両方をGPが把握し,患者との相互理解を図りながら二人三脚で意思決定を実現していく方法です()。「患者中心」というと誤解を生むかもしれませんが,何もこれは患者の一方的な要望に従う「消費者中心」(Consumer-centred)のコミュニケーションではありません(表①)。かといって,科学的根拠のみに基づき,医師が一方的に決める「医師中心」(Doctor-centred)のコミュニケーションでもない(表②)。こうした関係性ではなく,医師と患者が対話のキャッチボールを続け,お互いが歩み寄る双方向性のかかわり合い,です。それが真に患者中心のコミュニケーションであると考えられています(表③)。

 医師-患者間のコミュニケーション例(澤氏作成)
頭痛を訴える20代女性(田中さん:仮名)の症例を基に,3つのコミュニケーションモデルを紹介する。

①消費者中心(Consumer-centred)のコミュニケーション

患者:頭が痛いので,CT 検査をしてください。
医師:はい,わかりました。ご希望であればやりましょう。

⇒医療が「公共財」ではなく「商品」として扱われる医療制度下でよく見られるモデル。意思決定の中心がサービス利用者にシフトすることで,「患者としての医学的必要性」ではなく,「消費者からの要求」に応える傾向が強くなる。一見,「優しい医師」という印象を与えるかもしれないが,医学的な情報が軽視され,適切な検査や治療が行われないのであれば,患者にとって思いやりのある行為とは言えない。また,「顧客の個人的利益のみを追求する行為」が正当化されれば,高まる要求に応じて過度の医療化が進み,医療提供体制の持続可能性が脅かされる。それは同時に,本来医療が必要となる患者が,間接的に悪影響を受ける恐れもあることを意味する。

②医師中心(Doctor-centred)のコミュニケーション

医師:(一連の診察後)この頭痛ではCT 検査は必要ないので行いません。
患者:はい,わかりました。

⇒スペシャリスト・病院医療に重点を置く医療制度下でよく見られるモデル。医療者が問診,身体診察,検査結果といった医学的な情報のみに集中し,患者の内なる感情や,健康問題が及ぼす私生活への影響といった患者側の情報を軽視する傾向が強い。おのずと,多様化する患者・家族のニーズに応じることも困難になる。

③患者中心(Patient-centred)のコミュニケーション

患者:頭が痛いので,CT検査をしてください。
医師:なるほど。CTを希望されるのには何か心配なことでも?
患者:頭痛が2-3日ほど続いているのですが,数年前,父を急な頭痛で始まる脳出血で亡くしたことを思い出して……。それでCT検査をしてほしいと思っているんです。
医師:そうだったんですね。不安になるお気持ちはわかりました。それではお父さまのことも念頭に置いて一緒に方針を考えましょう。まず幸いにも,現時的で頭痛の原因が脳出血である可能性は極めて低いと思います。脳出血はまれな上に,起こったとしても田中さんのお父さまのようにある程度年齢を重ねられた方に見られる可能性が高く,劇的な頭痛が突然に始まることが多いです。でも,田中さんの頭痛は比較的ゆっくり始まっており,鼻水やのどの痛みを伴っているため,風邪の可能性が高いと思います。
患者:そうなのですね。安心しました。でも,念のためにCT検査をするというのは?
医師:わかりました。それでは,CT検査も選択肢の一つに入れましょう。ただ,現時点でCT検査を行っても脳出血が見つかる可能性はゼロに近く,放射線被ばくによる身体への負担もあります。これらを踏まえると,今の段階では風邪として経過を見ることにし,さらなる症状が現れたときにCT検査を行うというオプションもありますが,いかがですか? もちろん,「今すぐ」がお望みであれば喜んで手配しますよ。
患者:そうなると今回は様子を見たほうがいいかもしれないですね。/それでも不安なので,CT検査をお願いします。
医師:そうですね。それでは少し様子を見ましょう。/はい,わかりました。それでは手配しましょう。

⇒全人的かつ包括的なケアを提供するプライマリ・ケアの担い手によって用いられるモデル。医学的な情報とともに,患者の不安や期待,患者の日常生活や家庭環境などの社会的状況,価値観といった患者の情報を踏まえて,医師-患者間の相互理解のもと,一緒に意思決定を行う。

受療行動の最適化も医師の役割である

川越 例示されているように,医療が実際に提供できる利益よりも,ずっと大きな効果を期待する患者・家族も少なくありません。なんでも治療できるかのように思われていたり,または不要な薬剤・検査を行ってほしいとおっしゃったり。そうした方々から要望があったとしても,患者と話し合い,時には教育的にかかわっていく。そうしたコミュニケーションの在り方も内包しているのですね。

 はい。医療への期待が過度に高まる中でも,患者の受療行動の最適化を図ることはGPの大切な役割ですから。

川越 以前(第9回/第3138号第8回/第3134号)ご紹介していただいたお話からも,GPがそうした役割を意識していると伺えます。本来,全ての医療者が徹底すべきことなのだとも思いますが,英国では家庭医療の専門医に重視されている点から考えると,プライマリ・ケアの担い手であるGPこそ,その役目を果たすことができると期待されているのでしょうね。

川越 今回,英国GPが大切にする「患者中心のコミュニケーション」について紹介していただきました。本連載の原点に戻り,地域の医療を担う医師の役割を考えさせられる話ではないでしょうか。ただ,こうしたテーマはクリアカットに話すことが難しいものでもあります。次回は臨床場面を踏まえながら話を伺っていきたいと思います。

つづく

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