医学界新聞

寄稿

2015.06.29



【寄稿】

東日本大震災の教訓から次に備える
震災後の肺炎アウトブレイクを防ぐために

大東 久佳(埼玉医科大学国際医療センター 呼吸器内科・助教)


 2011年3月11日に発生した東日本大震災は,公共機関・医療機関にも大きな損害を与えました。われわれ医療者は,通信手段が限られる中,被災地の医療ニーズをタイムリーに把握し,限られた資源を有効活用する難しさを実感したことと思います。当時,医療現場では,阪神・淡路大震災の経験から,発災直後は外傷を中心とする外科的医療ニーズが増加すると想定されていました。しかし,実際に求められたのは,高齢者の慢性期疾患,肺炎などの内科疾患への対応です。今回の経験は,今後発生し得る災害時に生かすべき新たな教訓と言えます。特にわが国では南海トラフ地震など,今後も大規模な地震・津波災害が発生する可能性は高く,こうした対策に資する情報は常にアップデートしていく必要があります。

 筆者らは宮城県気仙沼市において,東日本大震災後に肺炎を原因とする入院と肺連関連死が急増したことを多施設調査によって明らかにしました1)。本稿では調査結果を述べるとともに,肺炎の急激な増加に対してどのような対策が考えられるかを述べます。

震災後肺炎の実態を調査「本当に肺炎は増えるのか?」

 東日本大震災後,宮城県気仙沼市(当時人口7万4000人)では,最大で2万人以上が冬場の避難生活を余儀なくされました。市内全域が停電,94.5%の家屋で通水不能,全戸でガスの供給が止まり,氷点下の中,劣悪な環境でした。医療機関の被害も同様に大きく,市内34医療施設のうち,21施設が全壊し,7施設が部分損壊となりました。

 これまでも,大災害の後に呼吸器感染症が増えるという報告はされています2)。ただ,それが被災を免れた医療機関への患者の集中による,“見かけ上の肺炎患者数の増加”である可能性は否定できていない状態でした。そうした中,東日本大震災後も,被災を免れた災害拠点病院である気仙沼市立病院において,肺炎入院患者の数が急増。そこで,震災発生後に肺炎患者数が実際に増加したか否かを確認するため,調査に当たりました。

 調査対象期間は,2010年3月1日-2011年6月30日。気仙沼市内で入院肺炎患者を受け入れている主たる3施設,気仙沼市立病院(451床,病床数は当時。以下同),気仙沼市立本吉病院(38床),大友病院(78床)に入院した,18歳以上の肺炎症例(院内肺炎は除く)の全例調査を行いました(図1)。なお,肺炎の同定には,British Thoracic Societyのガイドラインに基づく症例定義を用いて行っていましたが,震災によってカルテとX線写真が流失しているケースも多くありました。そこで,カルテが残っており,画像上浸潤影を認めるものを「確定症例」,サマリーのみ残っており,病歴から肺炎として矛盾しないものを「推定症例」と定義することとしました。

図1 3施設の位置関係

避難所・介護施設からの入院患者数の多さが明らかに

 その結果,対象期間中550例の入院肺炎症例を認め,325例が震災前(225例が確定症例,100例が推定症例),225例が震災後(全例確定症例)に発症しており,震災直後より肺炎患者が急増していることが判明しました(図2)。震災後発症例の9割は65歳以上の高齢者であり,患者の大部分(95%)は気仙沼市在住でした。震災前後で患者の居住地の分布に大差はないことから,震災後,気仙沼医療圏以外から肺炎患者が集中した可能性は否定されることになりました。

図2 1週間当たりの入院肺炎症例数(2010年3月1日-2011年6月30日)

 住所が気仙沼市内の症例に限定し,人口10万人当たりの肺炎発生率,肺炎死亡率を解析した結果からも,震災後,期間平均で入院症例は5.7倍(95% CI 3.9-8.4),肺炎死亡例は8.9倍(95% CI 4.4-17.8)に増加し,その増加傾向を3か月にわたって確認。以上の結果から,気仙沼市では震災後,高齢者を中心に肺炎患者数が実際に急増したことが明らかになりました。

 また,217症例 (溺水関連症例8例を除く)のうち,117例が自宅,40例が介護施設,60例が避難所からの入院という結果も得られ,震災後肺炎症例の特徴として,避難所・介護施設からの入院患者数も多いことが判明。さらに,確定症例(溺水関連症例を除く)に限定してその特徴を検討すると,性別,年齢は震災前後での差はなく,介護施設からの入院症例は死亡率が45%と高い傾向,避難所からの入院症例は死亡率が10%と低い傾向にあるとわかりました。なお,インフルエンザなど特定の病原体との関係は認められず,急激な環境変化によって,高齢者を中心に肺炎が発生したものと考えられました。

ハード面で再考の余地あり

 震災後,宮城県の沿岸部に位置する石巻地区,塩釜地区の病院からも肺炎増加は報告されており,大規模な地震・津波災害が,特に冬に起こった場合は,肺炎が多発する可能性が十分にあります。今後の大規模震災時の肺炎アウトブレイクの防止策を考える上では,いくつかの点から検討すべきだと考えます。

 まず,地域の医療施設の設置場所や特徴といった,ハード面で再考する余地があるのではないでしょうか。そもそも,被災したときに現地で入院機能を果たす病院がなければ,急増する患者にも対応しきれません。東日本大震災時には,本吉病院が津波で全壊し,災害拠点病院である気仙沼市立病院に患者が集中することになりましたが,気仙沼市立病院で地域の肺炎患者のほとんどを受け入れることができました。これは同院が小高い丘の上に位置したことから津波被害を免れ,入院機能を維持できたという地理的条件や,当時451床と実際の診療規模に比較して多いベッド数を有していたという同院の特徴が幸いしたと考えられます。

 例えば,南海トラフ大地震が発生すると,私の故郷でもある和歌山県は津波による壊滅的な被害に遭うことが想定されています。しかし,同県の沿岸地域には災害拠点病院や支援病院が集中しており,いくつかの病院は数メートル単位で浸水すると指摘されています。さらに悪いことに,和歌山の幹線道路である国道42号線は海岸沿いを走るため,津波被害により道路はいたるところで寸断されると予想されます。これでは陸路からの患者の搬送,医療支援チームの受け入れにも難渋しかねません。未来の災害に備え,災害拠点病院の高台への移転などといったことも検討する必要があると考えます。

ケアの適正な配置計画と,ネットワークづくりが鍵

 もう一点は,震災後のソフト面での再考です。生命をも脅かす肺炎のアウトブレイクを,医療者の活動によって抑えるにはどのように対策を立てるべきでしょうか。実は,東日本大震災直後も,阪神・淡路大震災の経験を基に誤嚥性肺炎の増加は危惧されており,多くの歯科医師が被災地で口腔ケアを中心とした支援に当たっていました。

 しかし,支援が入った状況であっても,気仙沼市では避難所,介護施設から多数の高齢の肺炎患者が入院し,亡くなってしまいました。震災直後は飲むための水の確保も難しく,口腔ケアを平常どおりに行うことが困難であったことに加え,急激な環境変化や十分な食事も取れない中,高齢者の体力が低下したことがその原因として考えられます。

 今回の経験を踏まえると,水のない状況下を想定し,口腔ケア用品を備蓄する必要があるでしょう。また,避難所からの入院症例以上に介護施設からの入院症例の死亡率が高かったことから,避難所だけでなく,介護施設に対しても口腔ケアの手配を厚くするなどの対応も計画しておくべきです。

 そして何より重要となるのは,平時より地域における口腔ケアのネットワークを構築しておくことではないでしょうか。震災後の本吉地区では,在宅,介護施設を中心に口腔ケアの普及が進む結果となりました。こうした取り組みは,あらゆる地域でのモデルケースになると思われます。

参考文献
1)Thorax. 2013 [PMID : 23422213].
2)WHO. Epidemic-prone disease surveillance and response after the tsunami in Aceh Province, Indonesia. Wkly Epidemiol Rec. 2005 ; 80 (8): 160-4.


だいとう・ひさよし氏
2004年東北大医学部卒。大崎市民病院,東北大病院を経て,2011年より気仙沼市立病院勤務。12年より現職。専門は肺がん診療。

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