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医学界新聞

2015.01.05



2015年
新春随想


第29回日本医学会総会とわが国の医学・医療――なぜ今変革が求められるのか

井村 裕夫(京都大学名誉教授/第29回日本医学会総会会頭)


 日本医学会総会は明治35(1902)年に始まり,4年に1回開催されて本年の総会で29回を数えることとなる。総会が始められたのは医学の専門分化が進む中で,専門の異なる医師が集まって議論するためであったとされている。もちろん明治時代とは異なって,現在の医学では細分化が一層進んでおり,異分野間の議論は極めて難しくなっている。しかし他方では,広い知識を持って患者に接することができる総合医ないしは家庭医を求める声が高まっている。テレビで放映された『ドクターG』が人気を集めたのも,患者と話し合う中で診断を進める総合医,いわゆるナラティブな医療への期待を表していると考えてよいであろう。

 それでは今なぜ総合医が求められるのであろうか。それはわが国の社会の変化,特に人口構成の変化とかかわっている。現在わが国では少子化と高齢化が急速に進み,医療費と介護費の高騰が深刻な問題となりつつある。戦後のベビーブーマーは本年で全て65歳以上になっており,いよいよ本格的な高齢社会に入ったといってよいであろう。しかも高齢者を支えるべき若い世代は年々減少しているので,誰が医療費と介護費を支えるのか,そのために医療をどのように効率化していくのかが問われている。高齢者は複数の疾患を抱えていることが多く,そのため総合医の存在が必要となるわけである。特にわが国では人口構成の変化に人口の移動を伴っており,若い人の首都圏への人口集中が続いていて,近い将来消滅の危機にある自治体は相当数に上ることが指摘されている。こうした中で,人口が減少する地域の医療を支えるのは,総合医と緊急の場合の搬送体制の確立であろう。

 最近「2025年問題」という言葉が,時々用いられている。それは戦後のベビーブーマーが全て75歳を超えるのが,2025年だからである。75歳を超えると一人当たりの医療費は急増し,介護が必要な人も増加する。消費税を増やしても,到底追い付かないことは明らかである。それまでの間にわが国の医療制度を変えて持続可能なものにしない限り,わが国の医療制度が,そしてひいては社会が崩壊の危機に直面するであろう。残された時間は,それほど多くないのである。

 第29回の医学会総会のプログラム委員会は,こうした認識のもとに「医学・医療・きずな」という3つの分野で20の柱を立て,重要な課題を選定した。例えば「医学」の分野の中には,再生医療,リハビリテーション,先制医療(個の予防医学)など,高齢社会における重要課題が含まれている。また少子化が進む中で,子どもの心の発達をどう支えるのか,増加しつつある心の病気にどう対応するのかも課題である。また新しい医療技術を開発し,それを速やかに臨床に適用していくためのトランスレーションや,臨床研究も取り上げられる。最近わが国で問題となっている不祥事に対する反省も込めて,今後一層臨床研究を推進していくことが求められているからである。また,がん,認知症などの高齢社会におけるコモン・ディジーズの最新の知見が紹介される。

 「医療」の分野における重要課題は,わが国の医療・介護制度の在り方,医療技術の評価と医療資源の配分,医療におけるITの活用,周産期・小児医療,在宅医療などである。医師の偏在は,地域の間のみでなく専門分野間にも見られるので,これらはいずれも重要な課題である。日本のどこにおいても安心して出産と子育てができるようにするためにどうすればよいか,また自宅で人生の最期を迎えられるようにするために何をなすべきかが議論される。

 さらに「きずな」の分野では,医療人の育成の問題,死生学,災害と医療などを取り上げる。この分野には特に看護師,臨床薬剤師などの医療のパートナーのみでなく,一部のセッションでは患者の代表にも参加してもらうし,学生だけのセッションも設けている。すでに近畿地区の医学部,看護学部,薬科大の学生が,夏休みに泊まり込みで議論してくれているので,その報告を聞くのも楽しみである。若いときから,広い視野で医学・医療の在り方を見ることのできる人を育てることが目的だからである。このようにいくつかの側面で,従来の医学会総会よりも,さらに社会に開かれたものにしたいと考えている。

 従来,医療は医師,看護師など,医療供給者の問題であった。しかしこれからの医療には,社会全体の参加が必要である。社会のさまざまなセクター,自治体,企業,NPO法人,町内会,そして最後には個人が健康づくりに参加することによって,初めて健康で,内容の豊かな長寿が達成できる。そうした社会をどう構築していくのか,それが大切な設問である。ぜひ多くの人に本年の医学会総会に参加していただいて,この問いへの答えをそれぞれに考えていただきたい。


法人化された日本医学会

高久 史麿(日本医学会長)


 日本医学会は1902年に16の分科会によってスタートしたので,既に113年の歴史を有していることになる。その後加盟する分科会の数が年々増加していたが,第2次大戦後,GHQの要請に基づき,日本医師会の定款第10章40条(当時)で日本医師会の中に日本医学会を置くことになった。それ以後,日本医師会の中で日本医学会が運用されることになり,その状態が70年近く続いた。その間日本医学会と日本医師会とのインディペンドコーディネーションなどの主張があったが,私は2005年の定例評議員会で日本医学会と日本医師会との関係を今後,慎重に検討する必要を述べた。それを受けて日本医学会の中に「あり方委員会」が作られ,各分科会にアンケートを求めたところ,大部分の学会から日本医学会の法人化に賛同する意見が寄せられた。その結果を受けて,11年5月に当時の原中日本医師会長,横倉副会長をはじめとする日本医師会の執行部の先生方と日本医学会の役員との話し合いがもたれ,日本医学会の法人化について了承が得られた。その後医師会長になられた横倉氏から,法人化の延長のご要請があった。しかし13年8月,10月に開かれた日本医学会臨床部会,基礎部会,社会部会で14年に法人化することが決議された。ただ,法人の名称は日本医学会連合となった。日本医師会の中の日本医学会は存続し,既存の委員会は現在の形で存続することとなった。日本医学会連合は,

1)常置委員会として(1)企画運営会議,(2)日本医学会連合あり方委員会,(3)総務委員会,(4)財務委員会,(5)研究倫理委員会,(6)研究推進委員会

2)時限委員会として(1)日本医学会総会あり方委員会,(2)プロジェクト委員会

を設け,運営を開始している。

 また,法人化することによって,日本医療安全調査機構,日本専門医機構などの重要な組織の正式な社員となることとなった。このことも法人化の利点といえよう。日本医学会と日本医学会連合の役員は同一であり,両者が学問的な面で日本医師会を全面的に支持することには変わりがない。

 将来日本医師会の定款が変更され,現在の2本立ての体制でなくなることを希望している。


女性医師が就労を継続するための提案

山本 紘子(並木病院院長/公益社団法人日本女医会会長)


 1999年に男女共同参画社会基本法が施行されて15年余り,政権が変わるたびに女性の社会進出促進が唱えられ,医療界においても医師不足改善のために女性医師が継続して就労・活躍することが期待されています。

 最近では院内保育の充実や勤務時間の短縮,ワークシェアリング,当直免除など,確実に女性医師の勤務環境は改善され,最も問題とされている社会全体あるいは男性の意識もじわじわと改革されつつあると思われます。

 そのような状況でも就労を困難にする最も大きな要因は,教育を含めた子育ての問題と女性医師自身のモチベーションにあると思われますが,これらは最終的にはそれぞれの価値観に左右される問題でしょう。

 国民が立派な次代を育てることを期待されているとすれば,医師不足の折ではありますが,一時子育てに専念する選択も是であり,医業でなく他の仕事で,社会に貢献していればそれも佳でしょう。しかし,一度離職をすると時代に遅れたと考え,復帰するのを躊躇する傾向は否めません。

 そこで新年の提案です。ヒポクラテスが「Art is long」と言った「Art」,つまり「ベッドサイドの診察技術」を復活させましょう。

 筆者が詳細な病歴聴取と聴打診・神経診察をすると,決まって患者さんは「こんなに丁寧に診てもらったことはない」と言われます。診察室で医師は何を診ているのでしょう? 知っていても実行しなければ絵に描いた餅です。

 卒前・卒後教育で,診察技術を自家薬籠中のものにしておけば,一時,離職しても自信を持って外来診療ができ,復帰プログラムなどなしに再就労が容易です。また外来診療を手掛かりに支援される立場から支えを必要とする仲間を支援する立場に転換し,地味ですが,男女共同参画を確実に前進させたいものです。


医学部開国のススメ――国際医学部の創設に向けて

矢野 晴美(筑波大学医学医療系教授)


 現在,世界中のヒト,モノ,情報の行き来がますますさかんになり,実質上,国境がなくなっている。医学教育においては,カリキュラム改革や交換プログラム,グローバルヘルス教育の推進などで,これまで以上に医学教育機関同士での人的交流がさかんになってきた。医療者には朗報であるが,学生も教官も自分に最適な教育環境を自由に選択できる時代に到達している。日本の医学部もこのような時代の恩恵を十分に享受するため,私は“医学部の開国”をススメたい。ゼロベースで“国際医学部”の創設をススメたい。

 ボーダーレスな,フラットな社会背景の中では,さまざまな文化背景を持った医師がその他の医療者と協力して働くスキルや,さまざまな背景の患者を理解して診療にあたるスキルは,医療者として重要な能力(コンピテンシー)となっている。こうしたスキルや経験は,従来の大教室での講義や病棟見学では身につけられない。多様な学生,多様な教官との切磋琢磨,多様な患者の診療を実体験することにより,“自分の感性で体感”する必要がある。多様性との遭遇は自己成長にも関連し,他者を尊重しつつ自己の意見を明確に述べるなど医学を越えた一般的なスキルの向上にもつながる。

 多様な人材と切磋琢磨することは,日本の国際競争力を自然と高めることにもなる。国際社会におけるさまざまな取り決めは会議によることが多い。そうした場で鋭い洞察による質問や明快な発言をすること,国際的な背景を基にして論理的で説得力のある提言や提案ができることは,世界でリーダーシップをとるためには不可欠である。

 “医学部の国際化”により,同質化した組織から多様な人材が集うグローバル組織へ変貌することは,STAP細胞をめぐる日本の基礎研究での大きな課題の克服,企業との癒着による臨床研究不正問題の解決の糸口ではないだろうか。

 2020年の東京オリンピックは大きなチャンスである。日本がさまざまな点で世界中から注目される瞬間である。医療も含めあらゆる側面で多様性への対応が求められる。この機会を追い風にして,国全体で,“21世紀の開国”をめざしたい。“全世界公募”によって学生および教官・スタッフが切磋琢磨する国際医学部は日本が進むべき医学教育の道であると確信する。


看護における先達たちの業績と,われわれに残されたさらなる発展への課題

筒井 真優美(日本赤十字看護大学教授)


 米国における代表的な看護理論家として,以下の先人たちが挙げられる。1914年にテキサス州で生まれ,20代後半から看護学の探究のために大都市ニューヨークで勉学を続け,宇宙の看護を唱え続けたロジャーズ。看護学校を卒業後,働きながら大学を修了し,87歳になっても実践を追求し著作の第6版を世の中に刊行したオレム。1960年代に言葉も通じず,命の保障もないニューギニアのガッドサップ族と生活を共にして異文化における看護を一人で探究したレイニンガー。40代でヒューマンケアリングセンターを設立し,1990年代後半コロラド大の学部長時には自身が事故に遭い,精神的にも肉体的にも苦痛を伴った療養生活を送り,療養直後に夫を亡くしてもなお,ケアリングを探究し続けているワトソンなどだ。

 1960年代,日本でも臨床家が集まり看護理論の著作物を翻訳し始め,訳者の前書きや後書きで次のように記述している。「論文に表されている思想は,看護が自ら汗を流しながら生み出してその価値を社会に問うた努力の結晶であり,いわば看護にとって大切な共有財産であって,看護に関与する者,看護に興味を持つ者誰もがこれと自由に接し,これを利用する機会が与えられなくては嘘である」1)。「本書の計り知れない魅力に取り付かれながらも,途中で何度か翻訳を断念してしまいそうになったのは,著者のこれほどまでに厳しい学問的態度に圧倒され,自分たちのあまりにも粗雑な思考方法ではとても歯が立たないことを痛感させられたからである。それでも何とか最後まで耐えてきたのは,まだ学問的に未開拓な看護の分野であればこそ,このような厳しい探究の姿勢が要求されるのであり,それなくしては看護独自の学問の発展など考えられないのだ,という悲壮なまでの確信に支えられてのことである」2)

 築かれた遺産をいかに後世に伝えていくのか。実践の科学である看護学がどのように発展してきたのか,われわれに残されたさらなる発展への課題は何か。これらは,2015年春に出版予定の『看護理論家の業績と理論評価』(医学書院)に掲載される。本書は翻訳ではなく,約30人の日本における看護者が,看護学への情熱を持ってこの課題に迫るべく,看護学発展の歴史をたどり,看護学および看護理論家の解説をしている。新たな課題への挑戦である。

参考文献
 1)『綜合看護』編集部.看護の本質――看護学翻訳論文集1.綜合看護.現代社;1967.p. 2
 2)Wiedenbach, E. 臨床看護の本質.外口玉子,池田明子訳.現代社;1969.p. 149


消化器病学のこれから――『胃と腸』誌50年目の所信表明

鶴田 修(久留米大学病院消化器病センター長/『胃と腸』誌編集委員長)


 近年,医療分野の進歩は目覚ましく,消化器領域においても画像診断機器や生物学的製剤に代表される新規薬剤などの開発が急速に進んでいます。専門医のみならず一般臨床医も,日常臨床における診断・治療の場でこれらの原理や特徴を把握し,使いこなす必要に迫られています。臨床医にとって忙しい日常の中,多種多彩な情報の原理・特徴をわかりやすく習得できる解説書が存在すれば非常に便利であり,さらにはその領域への興味や造詣が深まっていくはずです。

 『胃と腸』誌は1966年4月に創刊された消化管,特に画像診断の専門誌であり,今年で50年目を迎えます。創刊当初から臨床医と病理医の協力によるきれいなX線・内視鏡写真,マクロ写真と病理組織所見の1対1の対応による比較診断学の記載・解説を特徴として消化管画像診断学の構築・向上に努めており,私(1980年卒)を含め多くの医師にとって消化管画像診断学のバイブル的存在として貢献してきました。しかし,当初は他に消化管専門の雑誌は存在せず,卓越した存在でしたが,需要の増加や印刷技術の向上とともに他の消化管専門誌も出版されているのが現状です。

 先人たちが築き上げた方法である1対1の対応が消化管画像診断学の基本であることは間違いがなく,1対1の対応による診断学の確立こそが『胃と腸』誌に与えられた命題であり,今後も変わることはありません。また,ここに力を注ぐことが他誌と一線を画することにつながると考えております。現『胃と腸』誌の編集委員,全国各地の精鋭29人(X線,内視鏡,超音波内視鏡,カプセル内視鏡のみならずCTスキャンなどが専門の臨床医20人,分子生物学なども含めた消化管専門の病理医9人)が,『胃と腸』誌の基本・伝統を守りつつ,従来の診断方法に加え臨床診断・治療に役立つ新しい分野の紹介もしながら,より充実した内容の月刊誌になるよう努力を行っております。

 初心者から専門の先生までを対象とした消化管画像診断学の専門誌『胃と腸』をご購入いただき,他の先生方にも一読をお勧めいただければ幸いです。


国民の「希望出生率」1.8に向けて

増田 寛也((株)野村総合研究所顧問/日本創成会議座長)


 私は2014年5月,「消滅可能性都市」896を公表した。日本の出生率は,2005年の1.26から2013年には1.43まで改善したが,若年女性が減少しているため,出生数は103万人を切り,過去最低であった。地方から東京圏への若者の流出も止まらない。このまま低出生率・低出生数と若者の移動が続けば,地方から人口は急減し,約半数の自治体が消滅する可能性がある。

 実は,多くの国民は,結婚し,子どもを2人以上持ちたいと考えている。直近の厚労省の調査によれば,夫婦の「理想子ども数」は2.42人,「予定子ども数」は2.07人である。独身女性も89.4%が結婚を希望し,結婚した場合の「希望子ども数」は2.12人と答えている。しかもこの結果は,約40年前の同様の調査と大差がない。

 なぜ,長きにわたり国民の「希望」がかなえられず,人口減少がここまで進行したのか。今こそその原因を取り除かなければならない。出産・子育て時の切れ目のない行政サービスなどによる育児支援の充実,若者が安心して結婚できる所得を保障する雇用の創出,企業における働き方の改革を通じた長時間労働の是正など,総合的な取り組みが必要になってくる。

 国民の「希望」がかなった場合の出生率を計算してみると「1.8」となる。出産はあくまでも個人の選択によるものであり,それを尊重すべきだが,日本の国としての持続可能性を考えた場合,この1.8を国民の「希望出生率」として実現をめざすべきだ。

 現在,日本で最も出生率が高い沖縄県の出生率は1.94であり,OECD諸国も半数近くが1.8を超えている。1.8は困難ではあるが,実現不可能ではない。

 当面の人口減少は避けられない。であれば,これを与件として,希望ある未来を築くのが現世代の私たちの使命である。今年が,人口減少を克服するための確実な一歩を踏み出す年となることを期待したい。


小児科医が子どもの健康問題の総合コンサルタントとなるために

五十嵐 隆(独立行政法人国立成育医療研究センター総長・理事長)


 現在のわが国の人口は1億3千万人弱,米国の人口は3億1千万人である。小児科医の会員数は日本小児科学会が約2万1千人で,米国小児科学会は約6万人である。

 このように人口当たりの小児科医の数は日米で大きな差はない。しかしながら小児科医の仕事は,特にプライマリ・ケアの臨床の場において日米での差が極めて大きい。

 子どもへの予防接種体制においても世界をリードする米国では,細菌性髄膜炎,敗血症,難治性中耳炎,股関節炎,ロタウイルス感染症,B型肝炎,ムンプス,水痘などの患者が激減した。一方,わが国の子どもへの予防接種はこれまで世界標準に比べ大きく遅れていたが,ようやく肺炎球菌,インフルエンザ桿菌,水痘などのワクチンが定期接種化され,現在ではロタウイルスワクチンの実施も増加した結果,重症感染症患者の入院が減少しつつある。

 米国においても感染症患者への対応は小児科医の重要な仕事であるが,健康な子ども(well child)の健康問題に対する総合的なコンサルタント業務の占める割合が高いことが米国の特徴である。米国では全ての子どもに担当医が決まっていて,子どもは21歳になるまで年1回の健康診査を受けることが義務付けられている。診療所の小児科医はassistantと協力して子どものこころと身体を診察・評価し,年齢や発達程度に応じた問題に適切な指導や助言を行う。乳児への対応は発達評価,栄養指導,親子関係の評価,予防接種などが中心で,思春期の子どもにはその他に性感染症の具体的予防法,避妊法,社会性やメンタルな問題にも対応している。

 わが国の小児科医にも今後well childへの総合コンサルタントとしての機能が今まで以上に求められることが推測される。そのような対応をするためには,小児科学・小児医療のこれまでの教育だけでなく,現場での診療補助者の配備,コンサルタント業務に対する健康保険からの評価などの面でも大きな変革が必要である。


助産実践能力認証制度始まる

福井 トシ子(公益社団法人日本看護協会常任理事)


 わが国には,看護職の国家資格取得後に,臨床実践能力を客観的に評価できる仕組みがない。

 分娩施設の集約化や閉鎖が進む中で,妊産婦や家族が安全かつ安心して出産できる環境の体制整備が急務となっている。この体制整備の一環として,助産師に院内助産や助産師外来を担う役割が期待されている。この期待に応えるためには,助産実践能力が問われる。そこで,2011年8月に助産師関連5団体(日本看護協会,日本助産師会,日本助産学会,全国助産師教育協議会,日本助産評価機構)で構成した日本助産実践能力推進協議会が発足し,助産実践能力を認証する仕組みを検討してきた。その結果,全国全ての分娩施設に勤務する助産師が活用できる助産実践能力習熟段階(クリニカルラダー)をもとに,「助産実践能力習熟段階(クリニカルラダー)レベルIII認証」を制度化した。本年,2015年8月から認証申請が開始される。この認証は,新たに公益財団法人となる予定の日本助産評価機構が担う。認証された助産師の呼称は,「アドバンス助産師」である。

 昨年,10月19日朝日新聞朝刊の1面に,“偏る分娩医27府県で減 10年後試算地方でお産困難に”という記事が掲載された。お産を扱う施設で働く医師(分娩医)の説明と,2面の半分強を使って“お産の現場危機 妊婦にしわ寄せ”の記事が続いていた。産婦人科専門医がいない地域での,家庭医による妊婦健診やお産にかかわる試みの紹介などであった。残念ながら,助産師の活用については触れられていない。

 ITを活用して地域のお産を守っている助産師がいる。市立病院附属の助産院で地域のお産を守り子育て支援をしている助産師がいる。産科医師の負担を軽減するために院内助産を開設し,安全安心なお産環境を実現している助産師らもいる。

 助産師の臨床実践能力を客観的に評価できる仕組み,助産実践能力習熟段階クリニカルラダーレベルIIIの認証によって,「アドバンス助産師による院内助産,助産師外来開設!」の知らせが届き,アドバンス助産師が日本のお産を守ることに貢献するであろう。


教育にもエビデンスを

中室 牧子(慶應義塾大学総合政策学部准教授)


 1990年代の初めに医療分野で「エビデンスに基づく医療」が一般化した後,2002年にブッシュ政権下の米国で「落ちこぼれ防止法」が可決された。落ちこぼれ防止法の中では「科学的根拠に基づく調査研究」という言葉が実に100回以上も用いられ,データに基づく科学的根拠によって,学力を上昇させる効果があるかどうかを明らかにしなければ連邦予算が得られないことが明記された。そのため,米国では「エビデンスに基づく教育」が徹底されるようになった。まさにエビデンスに基づく医療の教育版であり,米国教育省の報告書を見ると,エビデンスに基づく医療がたどってきた軌跡にかなり影響を受けていることがよくわかる。

 一方,日本ではどうかというと,依然として「個人の体験や経験」が国の政策や学校での実践に反映される傾向が強い。しかし,少子化が進み教育分野でのコスト削減に対するプレッシャーが強い中では,教育分野でも医療と同様にデータを収集し,ソリッドな統計分析に基づいて,現行の教育政策や教育実践が子どもの学力や学歴,将来の収入などにどのような影響を与えているのかを定量的に示していくことが重要だとの認識が広がりつつある。最近,財務省が1学級35人という少人数学級には目立った効果が見られないということで40人学級に戻すことを要求する一方,文科省は教員の多忙感を理由に引き続き35人学級を継続することを求めている。米国や開発途上国では,大規模な社会実験によって少人数学級が学力に与える定量的効果のみならず,他の教育政策との費用対効果の比較も行われているのに比べると,日本の教育政策論議はエビデンスに基づくものとはとても言い難い。日本の教育政策論争には不幸な歴史があり,これまではイデオロギー論争が中心になってきた。国会で行われる教育論争ですらイデオロギーに集中し過ぎる傾向があり,その陰で,学力低下や教育を通じた格差の継承といった重要な政策問題が議論されずにおざなりになっている。

 医療と同様に教育にもエビデンスを。これが教育経済学者として私が一貫して訴えていることである。


夢を諦めない

野村 真波(神戸百年記念病院看護部/北京・ロンドンパラリンピック競泳日本代表)


 私がこの身体になってもう10年の年月が経ちます。「夢」や「希望」を失いかけた私には,立ち上がる力が残っていませんでした。そのときにようやく,「私は今まで看護師という夢に生かされてきた」ということに気が付きました。そこから道なき道をかき分けて歩んできました。しかしこの道ができたのも決して自分一人で成しえたことではありません。だからこそ支えてくれた多くの人たちに「ありがとう」と伝えたい。そんな思いで今日まで走り続けてきました。

 看護学生の20歳の時に交通事故に遭いました。右腕がトラックのタイヤに巻き込まれ,ひどい損傷でした。「どんなにつらい治療でも耐えられますか?」。怖い顔で医師に言われました。

 「まだ私,友達と遊びたいの! 看護師にだってなりたい! 先生……お願い。この腕だけは残してください」。必死にお願いしました。次の日からの治療は想像以上のものでした。何度逃げようとしたことか。それでも泣き叫びながら先生に毎日お願いしました。「看護師になりたいの。だから絶対右腕は切らないで……」。しかし治療の甲斐もなく,腕は腐敗し切断することになり,看護師の夢も同時に諦めることになりました。

 あれから10年。今年で看護師9年目になろうとしています。まさかこんなことを言える日がくるなんて……そう思っているのは私以上に両親なのかもしれません。自分で決めたこの道があまりにも苦難過ぎて後悔したこともありました。しかしどんなときも必ず私の隣には背中を支えてくれる人がいました。人生の岐路に立たされたとき,一緒に悩んでくれる人がいました。「片腕の看護師」は日本に前例がないから無理に決まってる! そう思われても仕方がない状況の中,誰一人として「諦めよう」とは言いませんでした。片腕の看護師の私が存在しているのは,皆が「諦めない心」で道なき道を一緒に歩んでくれたおかげなのです。

 私いま,笑顔で看護師しています。


JCHOが地域医療に果たす役割

尾身 茂(独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO(ジェイコー))理事長/(名誉世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局長)


 JCHO発足から1年が経過しました。歴史,文化,組織運営が異なる社会保険病院,厚生年金病院,船員保険病院の3団体の統合には,「社会的実験」という側面がありさまざまな困難に直面いたしました。しかし関係者の皆さまのご支援により,無事2年目を迎えることになりました。

 さて,この1年間多くの方から,日本語では(独)地域医療機能推進機構と表記されているのに,なぜ英語表記では,「Medical」が使用されず,「Japan Community Health care Organization」なのかと質問を受けました。実はその質問に対する答えが,JCHOの果たすべき使命を端的に示しております。来るべき超高齢社会においては急性期医療だけでなく予防,リハビリ,介護,健診,果ては看取りを含む地域におけるシームレスなHealth careが求められておりますが,その時代の要請に全国ネットワークを活用し応えるのが本機構の使命なので,JCHOという英訳を当てたわけです。幸いJCHOに所属する57病院の半数が介護施設などを有しております。

 独立行政法人であるJCHOは,各地域の医療に貢献することはもとより,わが国の地域医療全体の課題の解決に向けて以下のような役割も果たさなければなりません。

1)まずICTの活用です。わが国の医療および医療技術は世界最高水準ですが,医療や介護の情報の「見える化」,「標準化」は遅れています。各個人の生涯の健康情報,健診と医療のデータの突合などにも汗をかきたいと思っています。
2)次に,総合診療医の育成であります。わが国は優れた専門医が多くおられるが,専門医制度の見直しで,総合診療が19番目の基本領域に位置付けられました。専門医と総合医が連携すれば,わが国の医療の質はさらに改善されると思います。
3)さらに医師不足地域への医師派遣です。既に福島県浪江町の仮設住宅に医師,管理栄養士,理学療法士を派遣し,東京都新島,北海道根室市等への医師の派遣も行っています。
4)最後に地域との連携の強化です。JCHOの各病院は運営について地元医師会,自治体,住民代表,関係者と地域協議会を作ることになっていて,そのプロセスは既に始まっています。

 2015年も多くの関係者の方と連携し,「安心の地域医療を支える」ため微力ながら,全国の職員と共に尽力するつもりであります。今年もよろしくお願い申し上げます。


医学の日の出――杉田玄白『蘭学事始』成稿から200年

片桐 一男(青山学院大学名誉教授/洋学史研究会会長)


 明和8(1771)年3月4日は,日本人が人体の構造を初めて正確に知った決定的記念日である。この日,杉田玄白は前野良沢らと共に刑屍体の観臓を果たし,オランダ医書の正確さに開眼。医学界を一新したい一念で,翌5日からオランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』の会読に打ち向かった。

 しかし,蘭日辞書のない時代,オランダ語文法も知らない彼ら。無謀の一語に尽きる。「誠に艫舵(ろかじ)なき船の大海に乗出(のりいだ)せしが如く,茫洋として寄(よる)べきかたなく,ただあきれにあきれて居たるまでなり」という有様であった。血のにじむような努力を重ねる会読メンバーの中から,誰いうともなく「蘭学」という新名が生まれたのである。

 文化11(1814)年,蘭学創始の跡を正確に後の世に伝えるために,83歳の老玄白が筆執(ふでと)って書きあげた一文。淨書の余力なく,愛弟子大槻玄沢に草稿を託したのが『蘭学事始』である。それから200年,2015年は『蘭学事始』成稿200周年の,当たり年である。

 わが洋学史研究会は,1月25日にホテルサンルートプラザ東京を会場に,新春研究大会「『蘭学事始』成稿200年記念――杉田玄白とその仲間たち」を開催する。同時に,私は『蘭学事始とその時代』と題する一書を記念出版する。

 昨年は56年かけて解読に打ち込んで刊行した私の『蘭学家老・鷹見泉石の来翰(らいかん)を読む(蘭学篇)』が鷹見本雄氏の『オランダ名ヤン・ヘンドリック・ダップルを名のった武士・鷹見泉石』と,2冊1組で第7回ゲスナー賞をいただいた。渡辺崋山描く国宝「鷹見泉石像」としてしか知られていなかった泉石。泉石のもとに集まった2千通を超える来翰のなかから蘭学に関する選りすぐりの100余通を解読・解説したもの。判じ物のような,江戸時代蘭学者の使い馴らわしたカタカナ表記の変な発音のオランダことばの古文書群で難解を極めた。

 なにはともあれ,受賞を励みに,記念の新年に,もう一踏ん張りしてみようかと,こころを新たにしている80翁である。

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