医学界新聞

対談・座談会

2014.11.17



鼎談
現象学的看護研究のMethodを追って

グレッグ 美鈴氏
神戸市看護大学看護学部教授
松葉 祥一氏
神戸市看護大学教授=司会
西村 ユミ氏
首都大学東京大学院 人間健康科学研究科教授


 患者やその家族の経験を当事者の視点から探究し,相手の立場に立った看護実践の手掛かりにしたい。「現象学的研究」は,このような思いを叶え,看護の実像を浮かび上がらせるのに適した方法と言える。しかし,実際どのように進めれば良いかわからず,困惑している看護研究初学者は多いのではないだろうか。難しく感じる要因の一つに,「現象学的研究」の「方法」がわかりにくいことが挙げられる。特に,インタビューの手法や分析の進め方だ。

 現象学の研究を専門とする松葉祥一氏が代表を務める「現象学的看護研究の教育方法の確立」(科学研究費補助金の助成による研究会)では,これらの疑問に応答すべく,現象学と看護学の研究者が共同で検討を行っている。本紙では,松葉氏と共にこの研究会で議論を深め,いずれも大学院教育において質的研究の教授に携わっている西村ユミ氏,グレッグ美鈴氏の三氏による実践例を踏まえた議論から,現象学的研究の「方法」の特徴を確認していく。


松葉 私自身は主に政治哲学の領域で現象学的研究を専門としてきましたが,看護学を専攻する大学院生にも現象学的研究の指導を行ってきました。現象学的研究は,学問領域を問わずさまざまな分野に開かれたものとして活用可能だと考えています。特に,看護学のように言語化しにくい経験を明らかにしようとする研究には非常に有効な手法だと考えています。

西村 大学院で質的研究を教えていると,「現象学的研究をしたい」という希望を持つ学生がたくさんいます。

グレッグ いますね。もちろん方法論は研究の問いによって導かれることが大前提ですが,現象学的研究への関心は高いです。

西村 現象学を用いて書かれた文章を読み,「こう表現できたら,自分の関心のあることがうまく明らかにできるのでは」という予感を持っていると思うのです。

松葉 現象学的研究だからこそ見いだされる,新たな知見への期待ですね。でも一方で,現象学的研究はすごく難しいと思われています。

グレッグ 本当に難しいですもの。私は博士論文でグラウンデッドセオリーを用いました。現象学的研究とグラウンデッドセオリーでは質的研究としての共通項もありますが,でも現象学はちょっと難易度が違うな,と感じます。

現象学的研究に「唯一の方法」はない

松葉 その要因を整理してみましょう。一つは,抽象度の高い哲学の言葉が使われていることが挙げられます。その上で,特に難しいと言われるのが,インタビューの手法とデータ分析です。これらは,具体的な手順が示されていないことに理由があります。

グレッグ 現象学的研究を進める上で,「方法」というものは「ない」という見解なのでしょうか。

松葉 はい,「現象学的研究に唯一の方法はない」という前提に立っています。看護における現象学的研究の方法がどういうものか,2009年に看護学と現象学の研究者に呼び掛け,6年間にわたって研究の方法や教育方法について検討を重ねてきました。その内容を新刊『現象学的看護研究――理論と分析の実際』(医学書院)にまとめています。この研究会で得られた結論が「唯一の方法はない」というものでした。

 ただし,ここでの方法というのは,マニュアルや手順のような狭い意味での方法です。看護師さんは職業柄,マニュアルを大事にする傾向がありますね。研究方法についても,具体的な細かい指示を期待する方がいるかもしれません。

西村 私も,これまで現象学的研究方法を紹介するに当たり,「定まった方法はない」と言ってきました。現象学的研究は,他の質的研究に対して抱くイメージとはかなり違います。ある種の発想の転換をしないと,現象学的な研究の入口から行き詰まってしまいかねません。

グレッグ 量的研究など,手順が決まっている研究方法との大きな違いですね。細部の手法を説く「方法はない」というのは納得できます。「方法」をどう定義するか,そのとらえ方に違いがある,ということでしょうか。

松葉 そうなのです。「方法(method)」とは,ギリシア語の「道筋(methodos(メトドス))」に由来します。現象学的研究のmethodos(メトドス)は常に,研究する目的との関係で決まる点に特徴があり,マニュアルのような形で定式化できない。ですから,現象学的研究にも広い意味での方法はありますが,それは現象学的研究を進める「道筋」だとご理解いただきたいのです。

グレッグ グラウンデッドセオリーも細かい手順は示されていません。例えばグレイザーの方法を使ったとしても,研究の各論部分を見ると,研究者によって手法が少しずつ違っている。質的研究の場合はどの方法にも,「方法」をアレンジしていい余地があるとは思うのです。それでも現象学的研究の「方法」が具体的に見えてこない。その理由はどこにあるのですか。

メリットは「細部がわかる」

松葉 現象学が事象から出発するがゆえに,あらかじめ手順を決めることができないからでしょう。現象学的研究では,私たちが普段知らず知らずのうちに行っている科学的・客観的なものの見方を“カッコに入れ”,直接的な経験に立ち返ります。

西村 「現象学的還元」と言われる作業ですね。私たちは,研究を始める以前に,既に何らかの先入見や価値観を持っています。例えば看護師であれば「看護職としてこう考える」という一定の枠組みです。でも,患者さんの経験を理解しようとしたとき,その先入見が邪魔をしてしまう可能性がある。現象学的研究では,先入見などのあらかじめ持っている枠組みを自覚しつつも,それらをいったん留保し,先入見に依拠せず事象に即して探究を進めることが求められるのです。

 ただし,ここで紹介した「還元」という作業は,哲学用語の「還元」とは一致していません。看護研究を進める際に行うことを現象学の専門用語で説明することはあまりお勧めしませんが,ここでは便宜上,このまま進めます。松葉先生,続きをお願いします。

松葉 この「還元」を行った上で,自身の意識に現れてくる経験をとらえようとするのが現象学です。したがって,あらかじめ決まった手順はなく,事象に合わせて調整していく必要があるのです。こうしてみると,「還元」というプロセスが,「現象学は難しい」と思われる一番の要素かもしれません。

グレッグ 研究会のメンバーの一人で哲学を専門とする村上靖彦さん(阪大大学院)が,看護師にインタビューを行い,その語りを現象学的方法でまとめた『摘便とお花見』(医学書院)がありますね。著者は看護師ではないのに,なぜあれほどまでに「看護とは何か」を具体的に書き上げられたのか。それは,「還元」と関係があるのでしょうか。私は疑問に思っていました。

松葉 看護師以外が現象学的看護研究を行うことは,原理的には可能かもしれませんが,実際には看護を知らなければ現象学的看護研究を行うことは難しいでしょうね。特に「解釈」に違いが出ると思います。村上さんの場合,看護を学びつつ研究を進めたことによって,あれだけの記述が可能になったのだと思います。

 ただ,看護の専門家の場合,現場をよく知っているだけに「還元」が難しい場合があるのではないでしょうか。そのような場合,看護ではない,例えば哲学の専門家がスーパーバイズをすることができるような気がします。「還元」は難しいですが,そこにこそ現象学的研究方法のメリットがあると思います。

グレッグ 私も松葉先生の科研に参加して,哲学の専門家との共同の意義はとてもよくわかりました。では,「還元」には,具体的にはどのようなメリットがあるのでしょうか。

松葉 「細部がわかる」ということです。人間の心理や行動特性,団体の行動など,“1回限り”の経験は,量的研究法のように何らかの尺度を持ってきてはっきりと結論を出すのが難しい。でも,例えばある病をもった患者さんの経験には,ある種の普遍性,一般性というのがあると思うのです。「これはたぶんこの人だけの経験ではないだろう」と私たちは直観的に読み取れる。それをわずかな事象からでも取り出せるのが現象学的研究の特徴です。

西村 “1回限り”とか,“1人の”という経験は,科学的な研究の枠組みに収まりきりません。それでも,ある患者さんの経験,特に現象学的に探究された経験の記述は,私がそれを経験したことがあるか否かを問わず,それがどういうことなのかがわかるという意味で普遍性を持つわけです。

 研究の目的と現象学的研究が,その分析を得意とする事象の特徴とうまくフィットしたとき,研究方法も生きてくるのです。

聞き手と話し手が,同時に課題を探せる

松葉 『現象学的看護研究』の章の一つ,「現象学的看護研究の実際」では,現象学的研究の具体的な進め方や分析の実際といった「原理の道筋」を示す目的で,西村さんがグレッグさんに行ったインタビューとその分析が収載されています。

西村 グレッグさんの語りは,インタビュアーとして聞いていて,とても面白かったです。

松葉 グレッグさんは,西村さんのインタビューを受けていかがでしたか?

グレッグ 私もすごく面白かった。インタビューが終わったときは「え,もう終わり?」という感じで,もっとしゃべりたいと思いました。

松葉 それが現象学的研究のテクニックなんですよ。

グレッグ そうだと思います。

松葉 なぜ,もっと話したいと思ったのでしょうか。

グレッグ 質問の形式が,非構造化インタビューだったからでしょうか。

松葉 グラウンデッドセオリーのインタビューとはどう違いますか?

グレッグ 質的研究で用いられるインタビューには,構造化,半構造化,非構造化と質問内容の構造化の程度によって種類があります。グラウンデッドセオリーでは,質問事項を5-10個程度列挙したインタビューガイドを事前に作っておく半構造化インタビューを用いる場合が多いです。そして,インタビュイーが答えたことに対し,その場で追加の質問をしていく。ところが,今回行われたインタビューは,出だしから,インタビュー中も一貫して質問が用意されていませんでした。

松葉 そこが,現象学的研究のインタビューが難しいと思われる点ですね。

グレッグ 質問を用意しなくてもインタビューが可能ということは,インタビューする側が,その研究の事象にコミットし,語る側の言語化を促しているということです。西村さんは,そういう力を持っているのだなと感心しました。

西村 私は何を持っているんでしょうか……。あまり特別なインタビューをしていると思っていないのですが。

グレッグ 研究会での事後検討では,話のターンはインタビュアーの西村さんではなく,インタビュイーである私が作っていたと話題になりましたよね。でも私自身はターンを作っている自覚はなかった。それを聞いて,「私は,西村ユミにコントロールされていたのか!」と思いました(笑)。

松葉 事後に分析して初めて,いくつかの分析方法があることにインタビュイーも気付く。インタビュー中は,たぶんお互い気付いていないと思います。

西村 インタビュアーの視点で会話の流れを作ってしまうと,インタビュイー,ここではグレッグさんの視点からの語りではなくなります。インタビュアーの先入見も入ってしまう。できるだけインタビュイーが,自分の語りに促されて次の言葉が出てくるような状況を作りたいと思っています。

グレッグ 非構造化インタビューだったからこそ,自分自身がすごく話したいと思っていることを話せたのだと思います。

 私が半構造化インタビューを行うときには,要所要所でまとめをします。事前に用意した質問によってインタビュイーに語ってもらうと,聞き手が「こうじゃないか」と想定していたことがピッタリのときと,「これはちょっと違うな」とズレるときがあり,想定外の視点に気付きにくい。でも「そこをもう少し語ってもらっていいですか」「もう少し詳しく話してくれませんか」とオープンに聞かれると,違う視点が入る余地が広がります。このような問い掛けは,半構造化インタビューでも用いますが,西村さんのインタビューでは,非構造化インタビューによって,聞き手と話し手,両者が関心の持てる課題を同時に探すことに成功しているのだと思いました。

繰り返される言葉とその行間に,分析の手掛かりが

西村 何回かインタビューを行っていく中で興味深かったのは,グレッグさんが,インタビューのたびに自分の考えを自分で見つけていこうとしていた点です。「今日は,話すことでこれを見つけます」と。

松葉 心理学の用語で,「ああ,そうか」と気付くことを「アハ体験(aha experience)」と言いますね。話すことによって自分の経験や考えがわかり,それが言語化につながることがあります。

グレッグ ただ,インタビューの段階では,自分が満足できる言語化ができたとは思っていませんでした。事後に西村さんがまとめた分析を読み「私が言いたかったのはこれ!」と,言語化できていなかった部分を知ることができました。

松葉 インタビューデータを分析して最終的に話し手が見ることで,本人が「ああ,私はこんなことを考えていたのか」と気付く。話し手も聞き手もインタビューでは気付かなかったことが,分析から見えてくるのです。

グレッグ 松葉先生のおっしゃる「細部がわかる」とはこのことなのですね。

松葉 その通りです。

グレッグ では,インタビューデータからは,どうやって分析の手掛かりを見つけていくのでしょうか。

松葉 データの中で西村さんが着目したことの一つに,グレッグさんが「でも」を何回も言っているという指摘がありますね。

グレッグ ええ。まったくの無意識でした。相手の言ったことを否定しながら話そうとは思っていないわけですし。

西村 グレッグさんとしては,言いたいことにピシッと照準が合った語り方が「できていない。まだできていない」と思いながら話していたのだと思います。「私が言いたかったのは……」と何回も繰り返していましたしね。

グレッグ 私の内面が暴かれているみたい(笑)。

西村 実は,その言葉の繰り返しによって,グレッグさん自身が自分で語っている経験についての解釈を更新させていたのです。

グレッグ インタビュー中,うまく言語化はできなくても「私はこういうことを大切に考えていたのか」というのが,自分の中でどんどん整理されていくのがわかりました。

松葉 現象学的研究の分析の特徴として,ほかの方法と違うのは「行間を読む」点だと言われます。例えば今回のように「でも」や「私が言いたかったのは」と繰り返される言葉に着目し,その直後に出てきたものがどういうつながりを持っているかを分析する。他の質的研究法ではあまり行われません。

グレッグ 「でも」が他の人の語りで出てきても重要かというと,そんなことはもちろんありませんね。語られている文脈の「ここぞ」というところに「でも」が頻出するから大切だと着目する。お二人が,現象学には「方法はない」とおっしゃる理由,それは十人十色のインタビューデータから,それぞれに応じた「方法」を見つけ出すからなのだとわかりました。

西村 マニュアルの類に「このような言葉が出てきたらこの部分に着目しましょう」と書いてしまうと,別の表現に着目できなくなる可能性があります。発見の芽を摘んでしまうことにもなりかねません。

松葉 「でも」のように,些細な言葉の繰り返しを手掛かりに探るのも一つの方法です。一方で,限られた言葉だけを追っていたのでは気付かないことも多くありますから,全体の構造も見なければなりません。

グレッグ 全体のコンテクストの中でとらえるということですね。

松葉 はい。AさんがBさんに「今日は暑いですね」と言ったとします。教室で先生が学生に言う場面なら,学生に対し「エアコンのスイッチを入れて」と命令する意図があるかもしれない。これが,初対面の学生同士が使ったら「これから友達になりましょう」という簡単なあいさつがわりのコメントかもしれない。このように,まったく同じ文章でも,コンテクストによって変わってきます。全体の中で着目したそれがどういう位置を占めているのか。何か1つだけに目を向けるのではなく,全体の中での布置(configuration)を意識することで見えるものがまったく変わってくる。これが現象学的研究の特徴です。

グレッグ インタビューの記述についてもお聞きしたいことがあります。インタビュイーである私自身が「解釈の更新をした」とおっしゃいました。データをもとに記述した西村さんが解釈をしたわけではないのですか。

西村 はい。解釈を更新しているのはグレッグさん自身で,私自身は解釈をしているというよりも,分析の視点を発見して,グレッグさんの語りにおいて何がどのように起こっているのかを,グレッグさんの言葉を手掛かりにして関連付けていきました。グレッグさんが無意識に語っていることも含め,言葉のつながりを明らかにし,何をどう語っているかを記述して示しているだけなのです。

■私の考えと他者の考えとがただ一つの同じ織物を織り上げる

グレッグ そこが解釈のようにも思うのです。西村さんがまとめたものを読んだ私は,「そう,私の言いたかったのはこれ」と気付き,「解釈されている」と思うわけです。もし解釈されていなかったとしたら,私はインタビューの中でおそらく100%の言語化ができているはずです。私一人が話しながら解釈を更新していけたわけではなく,やはり西村さんによる解釈があるから,十分に言語化されなかったことが表現されたと言えるのではないでしょうか。

西村 もう少し言い方を変えると,私の視点でグレッグさんを解釈しているのではなく,グレッグさんがどのように語っているかをグレッグさんの視点から解釈していると言っていいかもしれません。そもそも解釈以前の,グレッグさんと私とで行ったインタビューのような対話を,メルロ=ポンティは「私の考えと他者の考えとがただ一つの同じ織物を織り上げるのだし,私の言葉も相手の言葉も討論の状態によって引き出される」と表現しています。

 今回のインタビューでは,グレッグさんと私が,二人で一つの言葉の流れを生み出していった。そしてそれを私が「どのようにその言葉が生み出されたのか」という観点から分析している。グレッグさんだけの視点ではなく,お互いの視点をすり合わせながら作り上げたものとも言えます。

松葉 解釈と分析の違いについては,ベナーが言う解釈学的研究方法において現象学的研究方法とどのように異なるのか,しばしば議論になる点でもあります。ただ,研究会の検討では,両者に大きな違いはないと考えています。

グレッグ どういうことでしょうか。

松葉 現象学的方法と解釈学的方法は,還元によってある事象,ある直接経験をそのまま受け入れるという態度は共通しています。しかし,分析の結果がある程度一般性を持つものとして結論を出す現象学的研究と比べ,解釈学的方法は,その解釈が,絶対的,普遍的な真理であるとは提示しません。経験結果をどのぐらい“開かれたもの”としてとらえるかに違いがあるだけで,解釈・分析の意味は両者にそこまで大きな乖離はないと思っています。

西村 現象学的研究では,聞き手であり分析者である研究者が徹底的に語り手の視点に立って,そこから経験の成り立ちを見極めようとします。

松葉 語り手と聞き手の視線が互いに浸透し合ってデータ分析がなされる。インタビューを受ける側に研究の「方法」が委ねられているわけですね。

西村 ええ。グレッグさんのインタビューの分析では,データから言葉の連なりを分析していく,その道筋を包み隠さず示してみました。現象学的研究には「定まった方法はない」という話に戻ると,「方法」そのものは語り手の語り方やその内容,つまり事象そのものに示されています。それを手掛かりにして分析し,記述することを通して事象の現れ方を発見していきます。その語り方,記述自体に今回語り手であったグレッグさんの看護に対するこだわりや方法が示されている。極端に言えば,現象学的研究の「方法」は事象に示されるのと同時に研究の成果にも現れているのです。

グレッグ 語り手と聞き手が「どう考えているか」,そのすり合わせによって,解釈や分析の方法が決まっていくのですね。

松葉 今日はありがとうございました。現象学的研究というのは,本当に大きな可能性を秘めた方法です。主に政治や倫理に関する問題について現象学的に研究してきた私の立場から見ると,特に人間の身体や時間性に深く関与している看護の領域においては,これほど研究に適した方法はないと思っています。

(了)

研究発表とシンポジウムのご案内
「ケアの現象学的研究――方法と実践」
開催日時:2014年12月21日(日) 10:00ー18:00
場所:東大本郷キャンパス法文2号館
詳細:http://nursephenomenology.blog72.fc2.com/


松葉祥一氏
1979年同志社大文学部文化学科哲学・倫理学専攻卒。83年同大大学院文学研究科哲学専攻前期博士課程修了。87年パリ第8大文学部哲学科博士課程満期退学。同志社大・龍谷大・立命館大の非常勤講師を経て,97年神戸市看護大助教授。2001年より現職。専門は現象学,政治・社会哲学,生命・医療倫理学。『哲学的なものと政治的なもの――開かれた現象学のために』(青土社),編著に『系統看護学講座 看護倫理』(医学書院)など著書・訳書が多数ある。「現象学的研究は,さまざまな可能性を秘めた研究方法だと思います。研究会に来ていただければ,疑問にお答えすることもできます。ご興味のある方はnursing_phenomenology@yahoo.co.jp(メールを送る際,@は小文字にしてご記入ください)までご連絡ください」。

西村ユミ氏
1991年日赤看護大卒。神経内科病棟勤務を経て,97年女子栄養大大学院栄養学研究科(保健学専攻)修士課程修了。2000年日赤看護大大学院看護学研究科博士後期課程修了。同大講師,静岡県立大助教授,阪大コミュニケーションデザイン・センター准教授を経て,12年より現職。『語りかける身体――看護ケアの現象学』(ゆみる出版),『看護師たちの現象学――協働実践の現場から』(青土社)など著書多数。「今回の議論を通して,あらためて現象学的研究の特徴に気付けたように思います。また,他の質的研究法との相違も見えてきました。数年前から,学際的な研究会『臨床実践の現象学研究会』を開催しています。興味をお持ちの方は,研究会名で検索をしてみてください!」。

グレッグ美鈴氏
1977年滋賀県立短大卒。81年聖路加看護大(編入学)卒。89年千葉大大学院看護学研究科修士課程修了。千葉労災病院内科病棟勤務を経て,94年に渡米。2000年University of Colorado, Health Sciences Center, Ph.D. in Nursing(博士課程)修了。その後,岐阜県立看護大看護研究センター助教授を経て,06年より現職。著書に『看護教育学:看護を学ぶ自分と向き合う』(南江堂),『よくわかる質的研究の進め方・まとめ方:看護研究のエキスパートをめざして』(医歯薬出版)がある。「松葉先生の科研に参加して,また今回3人で話してみて,現象学的研究がふさわしい研究の問いに出合ったときには,思い切って現象学的看護研究にチャレンジしてみよう! と思います」。

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