医学界新聞

取材記事

2014.09.22



【講演録】

ジネスト氏,ユマニチュードの哲学を語る。


 知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションに基づいたケア技法「ユマニチュード」の創始者であるイヴ・ジネスト(Yves GINESTE)氏が来日し,東京都内で講演会を行った(2014年8月12日,紀伊國屋サザンシアター)。独自の技法の基盤となる哲学を存分に語った講演会の模様を,ダイジェストでお届けする。


イヴ・ジネスト氏
 私はもともと,体育学の教師でした。病院で働き始めたのは,腰痛予防教育がきっかけです。それまでは病院でどのようなケアが行われているかをまったく知らなかったので,さまざまな患者さんを担当させてもらいました。その中には,体重1500グラムの未熟児,バイク事故で昏睡状態となった青年,関節拘縮が進行した高齢者も含まれます。看護師さんや患者さんご自身が,私にこの仕事を教えてくれたのです。

 これらの経験を通して,150を超える技術を編み出しました。同時に,技術の全てを統合する哲学も必要であると考えました。そうやって,ユマニチュードを確立していったのです。

「人間とは何か」をE.T.に説明するとしたら

 ケアをする人とは何なのでしょうか? そもそも,人間とはどういう存在なのでしょうか? この問いを考えるに当たって,架空の話をしますね。E.T.(地球外生命体)から“インター・ギャラクシー Eメール”が届いたと想像してみてください。メールには「宇宙船で地球に行くことになったので,人間という生物に会ってみたい」と書かれています。

 そこで私たち地球人は,相談を始めました。まずは,人間がどんな生物なのかを事前に説明しなければなりません。人間に会いに来たのに犬と握手されても困りますから(笑)。写真をメールで送付できれば簡単なのですが,インター・ギャラクシー Eメールでは,まだ画像が送れないようです。ですから,言葉で人間を定義しました。「人間は,2本足で立つ動物である。保清と身だしなみを整える習慣があり,美しく着飾っている。動物と異なり,食事は多様な形態を好む。言葉や文章を理解する知能を持っている」。

 メールを読んだE.T.が地球にやって来ました。この会場にロケットが着き,カプセルが開きます。あたりを見回し,あなたに視線が止まります。E.T.は人間の定義をもう一度確認しました。「服を着ているな。2本足で歩いているな」。E.T.は手を挙げて挨拶しました。「人間さん,こんにちは!」。別の宇宙船は,行き先を間違えて病院に着いてしまったようです。E.T.が病室を見渡します。「話しているかな? いや,会話がない。2本足で立っているかな? ベッドに寝たままだ。どのように食べているかな? チューブから栄養を摂っている」。このE.T.は人間を見つけることはできません。事前に私たちがつくった定義に合致するものが何ひとつないからです。

ヒツジチュード,ユマニチュード

 さまざまな機能が低下し他者に依存しなければならない状況になったとしても,最期の日まで尊厳を持って暮らし,その生涯を通じて人間らしい存在であり続ける。つまり,人の“人間(humane)らしさ”を尊重する状況を,私たちはユマニチュード(humanitude)と定義付けました。そしてユマニチュードでは,「あなたのことを大切に思っています」というメッセージを,ケア提供者が対象者に常に発信します。つまり,人と人との「絆」を中核に置いた哲学なのです。

 それでは,他者との絆はどうやって結ばれるのでしょうか? まず,人間以外の哺乳類を見てみましょう。哺乳動物の誕生は二度あります。最初は生理学的な誕生。そして第二の誕生は,その種に迎え入れられるための社会的な誕生です。小さな哺乳動物が生まれたとき,母親はその子をなめます。なめることによって,ヒツジのお母さんは赤ちゃんに語りかけます。「おまえはヒツジの仲間の一員だよ」。これが“ヒツジチュード”ですね(笑)。

 人間も動物です。生まれたての赤ちゃんは,既にユマニチュードの状態に置かれているでしょうか? ノーです。もちろん生物学的には誕生していますが,「人間の仲間である」という過程はまだ踏んでいません。では,赤ちゃんを人類の一員として認めるために,人間の親はどんなことをするでしょうか? 文化的な違いはありません。私の祖国であるフランスも,皆さんが住む日本もきっと同じことをやるはずです。視界にまっすぐ入り,近くからじっと見つめます。赤ちゃんは大人が何を言っているのかはまだわかりません。それでも,私たちは語りかけます。「なんて可愛いんだろう」。その言葉はポジティブで,愛に満ちていますね。触れるときは包み込むように,両手で抱きかかえます。そして体を洗います。やさしく,ゆっくりと――。

 愛と優しさが通底にある「見る」「話す」「触れる」ことによって絆が結ばれる。これが人間における「第二の誕生」の瞬間です。さらに,立つことによって人は自分が望む空間へ移動する自由と,自分で関係を結びたい人のもとへ移動する選択権を獲得することができます。「立つこと」によって人は,自分が他者と同じ存在であることを確認し,人としての尊厳を確立するのです。「見る」「話す」「触れる」の3つに4つ目の要素「立つ」ことが加わったとき,「第二の誕生」は完成します。この4つの柱がユマニチュードの基本です。

「やさしさ」を伝える技術は文化を超えて

 では,絆を断ち切るにはどうしたらいいでしょうか? とても簡単ですね。先ほどと真逆のことをすればいいのです。近くではなく遠くから,水平ではなく上や斜めから,ちらっと見ます。ポジティブな言葉は要りません。大きな声で叱ります。なでたりもしません。先ほど包み込むように広げていた手は,固い拳に変わるでしょう――。こうして人の“人間らしさ”を尊重する状況が失われてしまいます。

 絆を結ぶのに,心だけでは不十分です。温かい心なら,誰もが持っている。とりわけ日本の看護師さんは心が温かくて,優しい人ばかりですね。でもここに落とし穴があります。私たちが行った観察研究の結果から,認知症になると声を掛けてもらえないし,見てもらえなくなることが明らかになりました。ケア提供者は,「見る」「話す」「触れる」「立つ」ことの援助を,技術として学ばなければなりません。

 「でもジネストさん,ユマニチュードは日本では通じません」。最初はそう否定されました。「なぜですか。日本人は人間じゃないんですか?」「いや,そうじゃなくて。日本人がお辞儀をするのは視線をそらすためです。そして,ボディータッチもあまりしません。フランス人のようにハグする習慣は日本にはないのです」。

 確かに,その国特有の文化はあります。でもそれは,後天的に学ぶものですよね。認知症が進むと後天的に学んだ要素は徐々に失われていきます。どの国の人でも,後天的に身につけた文化的な背景を超え,人間としての本能的な存在に戻っていきます。その結果,日本でも高齢の認知症患者さんが,私にキスをしてくれます。男性でさえも,私を抱きしめてくれます。絆を結ぶ上で大切なことを,私は患者さんからたくさん教わりました。人間は愛し,愛されるために,他者にやさしくし,自分もやさしくされるために生まれてくるのです。ユマニチュードは,文化を超えて「やさしさ」を伝える技術なのです。

 さあ,宇宙船が間違ってたどり着いた先ほどの病室に行き,その患者さんも人間であることを,私たちのケアによって証明してみせましょう。E.T.だって感動するはずですよ。「人間って素晴らしい!」。

(了)

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