医学界新聞

寄稿

2014.03.10

【特集】

島の健康を守る診療船


 プライマリ・ケア領域への注目が高まるなか,へき地医療に関心を持つ研修医や医学生も多いのではないだろうか。文科省が定める「医学教育モデル・コア・カリキュラム」において地域医療臨床実習が臨床実習の項目の一つとなっている。では,実際の現場はどのようなものなのか。50年以上にわたり瀬戸内海の島々の健康を守ってきた診療船「済生丸」に乗船し,離島診療にかかわる医療者や島民の様子を取材した。

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若林久男氏に聞く


 船が島に近付き速度を落とすと,小雨の降る港に傘を差した島民10人ほどが一列に並んでいるのが見えてきた。「待っとったでー」。午前10時,済生丸が豊島家浦港(香川県土庄町)に接岸すると,開いた船首から次々と島民が船内へと入り,待合室のソファは一杯になった。受付を待つ間,世間話に笑い声も加わり,船内は賑やかな空気に包まれる。「今朝は9時から並んどったけど,診察は9番目や」。こう話したのは,済生丸の診療には毎回来るという70歳代の女性。早い人は到着1時間半前の8時30分から港で待機していたという。

国内唯一,船の診療所

 瀬戸内海巡回診療船「済生丸」は,社会福祉法人恩賜財団済生会の創立50周年の記念事業として1962年に運航を開始した。2011年からは岡山・広島・香川・愛媛各県の済生会が運航費を補助する共同事業となり,瀬戸内海の64の島々を各済生会病院のスタッフが持ち回りで診療に当たっている。52年目を迎えた今年1月,4代目となる新船「済生丸100」が就航。3階構造の船内は診療室,待合室をはじめ,X線撮影室,採血室,検査室など「病院並み」の空間となっている。旧船の「三世号」と比べて通路は車椅子も余裕をもって通れる広さになり,船内の往来もスムーズになった。バリアフリートイレや船内エレベーター,乳房撮影装置やデジタルX線装置,生化学分析装置など,新しく加わった設備も多くある。

 この日の診療班は香川県済生会病院の医師,看護師,事務員,それに地域医療実習中の香川大医学部生1人の計4人。高松港で済生丸に乗り込み出発し,現地で土庄町保健センターに勤務する保健師1人も加わり,診療がスタートした。

写真左:待合室で診察を待つ島民。豊島では,済生丸診療の日の告知を,島内の保健師から連絡を受けた自治会担当者が行い,希望者を募る。
:船内診療室での問診の様子。

定期検診で疾患を未然に防ぐ

 豊島には,この日行われた乳がん検診のほか,一般検診,肺がん検診,胃がん検診などで年に2回ほど済生丸がやってくる。現在,人口は約990人,65歳以上の高齢者が占める割合は4割を超え,瀬戸内海の他の島々同様,高齢化が進む。数年前まで島内には常勤医がいたが,高齢により引退。現在は,隣の小豆島にある土庄中央病院から,非常勤医が週4日訪れている。体調が悪くなれば診療所で受診できるが,夜間や緊急の場合は漁船を「救急艇」として近所の住民に搬送してもらうことになる。大きな疾患を未然に防ぐため,「高齢者に多くみられる,高血圧や糖尿病などの予防に特に留意している」と日下佐英子保健師(土庄町健康増進課)は語る。

 まだ新しい塗料のにおいが残る船内で行われた乳がん検診は,事前に申し込んだ20人の島民が受診した。1人10分ほどかけて,問診,触診,エコー検査を行う。検査結果は後日病院から保健師を通じて受診者に配られ,より詳しい検査が必要と判断された場合は,受診者が希望する病院へ紹介することになる。診療を担当した若林久男医師は,これまでの済生丸診療で,乳がんが疑われる島民に何度か出会ったことがあるという。精密検査の受診を通知して,その後気掛かりだった患者に,1年後の済生丸診療で再会し,「『前に見つけてもらった乳がん,病院で手術をしてもらいました。よかったです』という話を聞いたときは安堵した」そうだ。限られた医療資源の中で,地道な診療活動が早期発見の成果を挙げている。

 済生丸が行う検診の種類
(岡山済生会総合病院HP「済生丸」より,一部改変)

写真左:X線撮影装置。この他,胃部透視撮影装置,乳房撮影装置など,船内には病院並みの設備がそろう。
:診察を待つ島民と,積極的にコミュニケーションを図る山本さん。

存続の危機を乗り越えて

 1995年1月の阪神・淡路大震災において,発災直後から物資の運搬や被災者の診療でも活躍した旧船の三世号は,20年以上の運用による老朽化で,交代が求められていた。ただ,全国的に見れば交通網が発達し利便性が向上しているなかで,新船建造の前には済生丸の存廃も議論になったという。一方で,高齢化に伴い離島や山間部といった地方の過疎地域では医師が次々に減り,医師が偏在している現実も浮き彫りになっている。瀬戸内海も,初代の船である一世号が診療を始めた50年前に比べると橋が架かった島も増えたが,済生丸が診療に行く島の多くは橋がない。「体調が悪くなったら船や車に乗って市街地に行ければいいと思うかもしれないが,実際は移動手段に乏しく,相当の負担がかかる。だからこそ済生丸はなくてはならない存在」と若林医師は話す。その上で,「存続することになった一番の推進力は,済生丸の『瀬戸内海島嶼部の医療に恵まれない人々が安心して暮らせるよう医療奉仕につとめる』理念と,それを50年以上継続してきた誇り」と語った。

「海の上の学校」としても活躍

 2012年度は,年間配船日数336日,延べ9435人が受診した済生丸は,日々島民の健康を守るだけでなく,研修医,医学部生,看護学生を乗せ,教育の実習現場としての役割も果たす。大学の地域医療実習で乗船した山本遼さん(香川大医学部5年)は,瀬戸内海の島で生まれ育ったということもあり,入学前から済生丸の存在を知っていて,今回の実習を楽しみにしていたという。山本さんは受付の補助や診察の様子を医師の傍らで見学。島民からの声にも真剣に耳を傾けていた。「済生丸がいかに愛着を持たれているかわかった。将来は内科医として地元に貢献したい」と表情を引き締めていた。

 港まで,友人と車に乗り合わせて来たという70歳代の女性は,「大きい病院に行くとなると島から船に乗って出ないといけない。済生丸ならすぐ近所まで来てくれるから気軽に検診を受けられる」と語る。今回初めて受診した30代の女性は,「この島に嫁いで来て初めて診療船の存在を知った。これは安心」と笑顔を見せた。

 「済生丸の診療はこの地域では日常的なこと」と,月1-2回ほど乗船する藪内仁美看護師が話すように,島民の暮らしの中に溶け込み健康を守っている。それと同時に,済生丸は次代を担う医療者に教育の場を与え,超高齢社会を迎えた日本で医療者が果たすべき役割とその針路を示している。

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