医学界新聞

連載

2014.03.03

在宅医療モノ語り

第47話
語り手:ゆっくり座っていってください 
丸イスさん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「丸イス」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


おひなさまもどうぞごゆっくり
おひなさまはひな祭りを過ぎたら,さっさと片付けること。そんなこと,誰が言い出したのでしょう。焦ることはありません。時間に追われず,座っていってくださいね。おっと,“立雛”さんでは座れませんね。
 耳の日。はい,3月3日のことです。桃の節句の日でもあり,電話を発明したグラハム・ベルの生誕した日でもあるそうです。電話が発明されなければ,私に座っている人たちにも,違う人生があったような気がします。特に携帯電話が私たちの生活を一変させたと思うのです。「やっと私に座ったところなのに,あーあ」なんてことが結構あるんですよね。

 私は一般家庭にある丸イスです。高級感とは無縁なパイプにビニールシート。通販経由で,5脚ひと組で買われたシロモノです。食卓を囲むときに,お客さんに座ってもらったり,この家の人に座ってもらったり。立場的には「臨時雇用」のため,普段は5脚で重ねて収納されています。一番上にいる私が一番働いていて,あっちこっちに派遣されています。

 今日の持ち場はおばあさんのベッドの横。朝からスタンバイして,ある人を待っています。目の前のベッドは業者さんが持ってきてくれた最新式。特殊なマットも敷いてあるようです。おばあさん,さぞかし喜んでいるのでは……と思ったら,なんだか不安顔。「こんなことにお金を使わなくてもいいのに」。そんな感じのことをお嫁さんに漏らしています。

 実はおばあさんの入院中,長男にだけ医師からの説明があったそうです。「がんの末期の状態で,手術も化学療法もできません。残された時間は長くなく,春を迎えることはできないかもしれません」。それを聞いた長男は反射的に言ってしまいました。「本人には告知しないでください。家に連れて帰ります」。病棟の担当医も「はい,わかりました」と,それっきりになってしまいました。

 退院の決まったおばあさんが自宅へ戻るまでの間,この家では何度も親族会議が開催されました。私と仲間の計5脚はリビングへと派遣され,集合した子どもたち一家のやりとりを見守りました。「どうしてお兄ちゃん,そんなこと言っちゃったの?」「これからどうするの? 皆,仕事があって,日中は看病できる人もいないでしょう」。責め口調の人がいれば,誰かからフォローの声も。「でもおばあちゃんは家が大好きな人だからさあ」。「ケアマネジャーにも相談したほうがいいんじゃない?」。そんな提案も出てきました。

 相談したケアマネジャーの勧めもあり,わが家に在宅医という医者が来ることになりました。今日がその初日。私が待っていたのもその人です。ようやく訪れた在宅医はどっかりと私に座ると,おばあさんと世間話を開始。しかし,しばらくすると,「病院の先生は病状について,何とおっしゃっていましたか?」と切り出しました。「がん末期,家族の希望で未告知」,紹介状にはそう記載されており,在宅医も知っているはずなのですが,あえて質問したようです。おばあさんは答えました。「それがねえ,検査の結果,何も聞いてないんですよ。あの先生はいつもお忙しそうでねえ……」。

 そんなときに間が悪く,在宅医の緊急用携帯電話が鳴りました。ごめんなさいとお辞儀をし,在宅医は私から離れます。電話の主はどうやら次の患者さんのよう。「大丈夫です。お昼までには伺えます」。その会話はベッドからも離れてなされたのですが,おばあさんは「往診の先生もお忙しいのねえ」とひと言。戻ってきた在宅医は恐縮しつつ診察に取り掛かりました。診察を終えると,在宅医は「検査結果は私からも病棟の先生に聞いてみて,次回ゆっくりとお話ししますね」と約束し,帰っていきました。私はしばらくここに留まって,その約束が果たされるのを見守りたいと思いました。

つづく

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