医学界新聞

寄稿

2013.04.01

【寄稿】

住民との対話でつくる地域医療

佐藤 元美(一関市国民健康保険藤沢病院・事業管理者)


 住民と医療者が語り合うことで,地域医療をつくり,育てることができそうです。岩手県一関市にある一関市国民健康保険藤沢病院では,1994年から19年間,地域住民と医療者が話し合う「ナイトスクール」を続けてきました。また,2008年からは,研修医の研修報告会に病院スタッフだけでなく,地域住民も参加できる「意見交換会」を開催しています。本稿ではこれらの取り組みを紹介します。

予防から介護,一体型のサポートを望んで

 自治医大を卒業してから13年目の1992年,私は岩手県立久慈病院で主に呼吸器内科を担当していました。その夏,故郷でもある隣町の藤沢町から「新たに病院をつくり,医療を中心に予防から介護まで一体的な運営をしたいので来てほしい」という依頼を受けました。当時の藤沢町は,町にあった県立病院を失ってから25年間,「病院のない町」として苦労を重ねてきた地域。実際に,町民の半数以上が町の外で最期を迎えている状況がありました。私は自分自身の経験不足を自覚しながらも,予防から介護までをサポートする一体的な運営に挑戦したいという思いが勝り,その依頼に協力することにしました。

 藤沢へ移る前の準備として,過疎地の病院が行き詰まる原因を調べてみると,そこにはふたつの要因があるのだとわかってきました。ひとつが医療と住民,行政,政治の対立。もうひとつが医療の質の低下です。つまり,住民,行政,政治との対立を回避しながら,医療の質を維持し続けることができれば,当面は病院がつぶれることはない,そう考えました。

無診察投薬を望む声に直面

 そして1993年,国民健康保険藤沢町民病院(現・一関市国民健康保険藤沢病院)が誕生しました。54床の小さな病院ですが,総合診療方式で運営し,救急搬送は断らないことを原則としました。また「医療を中心に予防から介護までをサポートする」ことを目的に,病院と地域の老人ホーム,保健センターで積極的な連携体制を構築。こうした運営方法の効果は明らかでした。最初の1年間は地域の患者から次々と病気が見つかり,私たち医療者も患者・住民も病院創設の有効性に驚き,お祭りのような熱気に包まれました。

 しかし2年目を迎えると変化が表れました。「待ち時間が長いから,診察なしで薬を出してほしい」という要望と,それを認めない病院に対する苦情が住民からわき上がってきたのです。こうした苦情は病院にも届きますが,それ以上に町役場に集中的に寄せられ,ついには町議会において"問題"として取り上げられるまでになりました。いくら私たち医師が診察室で説明しようと,町長室で解説しようと,住民全体に私たちの意図はなかなか伝わりません。病院ができてわずか1年。当初危惧していた「医療と住民,行政,政治との対立」の危機に直面することになったのです。

地域住民を巻き込んだ「ナイトスクール」を開始

ナイトスクールで住民に説明する佐藤氏。
 そこで私は,夜,地域に出かけて住民と話をしてみることにしました。19-21時に行うことにちなみ,「ナイトスクール」と名付けたその会で,私は病院運営の現状の説明に加え,無診察投薬が危険で,法に反し,病院の収入にもつながらない医療であると話しました。そして「病院を利用する立場だけでなく,病院をつくり,支え,育てる役割も地域の住民に担っていただかなければ,せっかくつくった藤沢町民病院は失われる危険もある」と伝えました。こうした説明に対して,住民の方々から私を糾弾するような声があがることはありませんでした。むしろ「仕事後にわざわざ地域に出向き,住民の声を聴いてもらってありがたい」という感想が多くあったぐらいです。

 このナイトスクールがもたらした影響は大きなものでした。ナイトスクール実施後は,無診察投薬を望む声はほとんどなくなり,また依然として長いままである待ち時間に対するクレームも少なくなりました。さらに驚くべきことは,病院に寄付金が集まるようになったことです。一口3万から100万円ですが,ある団体からは1000万円の寄付をいただいたこともあります。地域から集まった寄付金は,車いすや歩行器,内視鏡セットなどの備品の購入に当て,病院設備の充実につながりました。

 無診察投薬をめぐる住民,行政,政治との対立を避けるために開始したナイトスクールですが,それから19年間,町内のさまざまなところで定期的に開催しています。

「一人前になろうとする時期に藤沢に来てくれたんですね」

意見交換会のようす。病院スタッフに混ざって,地域の住民たちも研修医の報告に耳を傾ける。
 ある日のナイトスクールで,「医師はこんなにも頑張っているのだから,住民としてもどうしたら病院を支えることができるか考えよう」という意見が住民から出されました。それをきっかけに設立されたのが,「病院を支える会」です。地域に必要な医師を自分たちの地域で育てたいという願いを以前から持っていた私は,この申し出を受け,積極的に病院の現状を知り,支えたいと考えてくださる住民の力を借りて,若い医師の育成ができないかと思い当たりました。

 藤沢病院には,自治医大附属病院と岩手県立磐井病院から年間約10人の初期研修医が,約1か月間の地域医療研修に来ます。研修医には総合内科の外来診療のおもしろさを体験させたいと思う一方,患者からは「若い医者には診てもらいたくない」「半人前が病院で診療をするのはおかしい」といった意見が根強くあり,なかなか研修医の診察室に入ることを好ましく思ってはいただけない現状がありました。

 そこで住民の方々に協力していただいたのは,研修医の報告会への参加です。研修医や病院スタッフだけでなく,住民を交えて,お互いに意見を交換しようという主旨で「意見交換会」と名付け,定期的に開催することにしました。具体的な進行方法は,研修医一人ひとりが15-30分ほど,藤沢病院での研修の内容や感想,研修を通して得たものなどを発表し,続いて車座になって住民の皆さんから意見をいただくという形式です。「また藤沢に来てほしい」「医療に恵まれない地域があることを忘れないでほしい」などの声が住民から挙がり,なかには現状の問題の本質を突くような鋭い指摘もありました。

 「考えてみると,すべての医師は親や祖父母に大事に育てられ,本人も頑張って医師になった。医師として一人前になろうとする時期に藤沢に来てくれたんですね」。ある日の会の後,参加してくれた住民がしみじみと話した言葉です。どんな医師であろうと,医師である前に皆,誰かの子どもであり,自分たちと同様に社会人1-2年目の時期がある。それならば自分たち住民も教えてあげられることがあるのではないか。意見交換会の取り組みを通して次第にそう思っていただけるようになったのか,「自分の心雑音を聴かせたい」という患者としての要望のほか,礼儀,藤沢の歴史や地理,言葉といったことを教えてあげたいと,進んで研修医の外来診察を受ける患者が増えました。

 「住民とともに医療をつくる」「地域で住民とともに医師を育てる」。それらは言葉遊びや絵空事の類だと思っていました。しかし,小さな病院をつくり,守り,育てようと1993年から20年間模索してきたなか,必要に迫られて住民と語り合うようになり,次第に住民を頼りにするようになっていました。住民と医療者が交流し,互いを知ることで,互いを思いやる医療を実現する。これは決して夢ではありません。

 藤沢病院の体験がいつでも,どの地域でも可能か。それは,私にもわかりません。しかし,少なくとも,いま藤沢ではそうであると信じています。


佐藤元美
1979年自治医大卒。岩手県立宮古病院,県立久慈病院内科長などを経て,93年に国保藤沢町民病院(2011年より一関市国保藤沢病院に改称)を創設して病院長に就任し,05年より現職。医療と介護の一体的運営をめざす。

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