医学界新聞

寄稿

2013.02.18

【寄稿】

世界と競うiPS細胞特許のいま

高須 直子(京都大学iPS細胞研究所 知財契約管理室長)


iPS細胞関連特許の連携体制

 山中伸弥教授(京大)が2007年11月にヒトiPS細胞の樹立を報告して以来,京都大学では迅速にiPS細胞関連特許の管理体制が整備されてきた。2008年6月にiPS細胞研究所(以下,CiRA)内に知財契約管理室が設置され,またiPSアカデミアジャパン株式会社(以下,iPS-AJ社)が設立された。さらに国内外の著名な弁理士からなる「iPS細胞知財アドバイザリー委員会」も設置された。現在,大学全体の知財を取り扱う産官学連携本部のサポートのもと,特許の申請および権利化はCiRAが,取得した特許の企業へのライセンスはiPS-AJ社が担当しており,相互に密接に連携しながら分業体制でiPS細胞関連知財の管理・活用の強化を図っている。)

特許は誰が一番か?

 山中教授が2006年8月にマウスiPS細胞を樹立して以降,ヒトiPS細胞の樹立一番乗りをめざした激しい競争が世界各国で繰り広げられた。2007年11月20日,同日付で,山中教授は『Cell』誌に,また米国ウィスコンシン大のJames Thomson博士は『Science』誌に,それぞれヒトiPS細胞の樹立を報告した。その後も複数の研究機関でヒトiPS細胞の樹立が報告され,「特許の出願は誰が一番早かったか」に多くの関心が寄せられた。

 特許は出願から1年半経たないと公開されないため,われわれもいつ第三者の特許が公開になるのかとウォッチングを続けていた。すると,iPS細胞の樹立に関する特許は4つの研究機関から出願されており,しかもこれらは,われわれがヒトiPS細胞樹立のデータ(実施例)をすでに出願していたマウスのデータに追加してから約半年以内に出願されていたことも明らかとなった()。中でも米国ベンチャー企業のiPierian社がBayer社から譲渡を受け保有していた特許(以下,Bayer特許)の請求内容が,われわれ京大の請求内容と酷似していたことから,2010年11月には,米国において,両特許間で発明日を争うための係争に入る寸前の状況となった。いったん係争が始まれば,億単位の費用を要するほか,山中教授をはじめとする関係者に審理の場で証言に立ってもらう必要が生じるなど,多大な時間を拘束してしまう。国への資金のお願いや係争準備を進める緊迫した日々が続くなか,突然iPierian社から,山中教授の発明を尊重し,無用な争いを避けるためにBayer特許をすべて京大に譲りたいとの申し出があった。2010年12月半ばのことであった。年明け早々より両者で交渉を行い,2011年1月27日に無事譲渡契約を締結。これによって係争は回避されたのだった。

 iPS細胞関連特許の申請状況
CiRAのPCT出願(任意の国に提出する基礎出願から1年以内に提出する国際出願)から約半年の間に新たに4件の特許が申請された。

 個人的には,係争をやり抜いて勝訴し,日本の大学だってやればできるんだというところを見せたい思いもあった。しかし今にして思えば,もし係争に突入していたら,研究者・知財担当者双方の前向きな仕事は阻害されていただろう。iPierian社は特許を京大に譲ったものの,iPS-AJ社を通じて京大が持つiPS特許のライセンスを受けることで,自分たちの「歩く道」を確保し,その後もiPS細胞を利用した創薬開発を精力的に展開している。まさにWin-winの関係で終わった本件係争であった。)

「Congratulation!」までの長い道のり

 特許は出願しただけでは意味がなく,成立(権利化)して初めて効力が生じる。山中教授のiPS細胞樹立に基づく基本特許については,日本では2008年9月に1件,また2009年11月に2件権利化され順調であったが,米国では苦戦した。

 米国では基本特許を複数に分けて出願した。そのうちの数件は,早期権利化を狙って「特許審査ハイウェイ」という制度()を利用したが,なかなか審査が始まらなかった。また日本の特許庁が特許取得可能と判断した内容に絞って出願したにもかかわらず,本審査では拒絶,その理由も厳しいものだった。

 別の件では特許の内諾を得てから正式な通知が届くまでに6か月かかり,その間「何が起こったのだろうか」と本当にやきもきしたこともあった。これらの特許が成立したときには,日本での特許成立から既に2年が経過しており,米国の担当弁理士からの「Congratulation!」と書かれたメールを見たときは本当に嬉しく,肩の荷がおりた気がした。自分にとって海外特許を成立させることはこんなに重圧だったのだとそのとき気が付いた。

 現在,米国では計6件の特許が成立している。しかし,iPS細胞の分野全体からみると,われわれが押さえている特許はまだ部分的だ。発明に見合った幅広い権利化に向けて,現在もチャレンジが続いている。)

特許からiPS細胞の実用化・産業化をめざす

 iPS細胞技術の基本特許については,京大(CiRA)が日本で4件,米国で6件,欧州で1件の権利を取得しており,今のところ障害となるような幅広い第三者特許は成立していないことから,現状はCiRAがiPS細胞関連特許の主導権を握っている状況にある。しかし昨今のiPS細胞関連技術の進展や企業等の参入状況に鑑みれば,今後もずっとCiRAの一人勝ちということは到底あり得ない。今後はわれわれも,良い持ち駒(すなわち多くの人に使われる可能性のある特許)を,基本特許だけでなく各種分化細胞作製技術等の個別特許についても揃える必要がある。良い持ち駒をたくさん揃えておけば,iPS細胞関連特許の主導権を他に取られることはないであろう。

 また,こちらが使いたい特許を有する第三者が生じた場合,その第三者が使いたい魅力ある特許をCiRAが保有していれば,両者の間でクロスライセンス(お互いの特許を相互に許諾し合う)が成立する。今後はCiRAの特許のみならず第三者の特許も含め,特許の相互利用・包括利用や関連特許のパッケージ化などを進めていくことによって,特許はより使いやすくなり,普及していくものと期待される。

 さらに現在CiRAでは,他家移植用の「再生医療用iPS細胞ストック(iPS細胞バンク)」計画を最優先で進めている。世界で最初にiPS細胞バンクを世に提供することができれば,おのずとそれにかかわる技術は標準化され,周辺産業も含めた産業が活性化されると期待される。日本だけでなく世界的視野でiPS細胞ストックを作製し,それにかかわる特許も世界的に確保して,技術・特許両面から産業界につなげていくことも,今後非常に重要になってくるだろう。

 われわれが特許を維持している理由はただ一つ,「実用化・産業化の促進」である。貴重な公費で取得した特許をどのように利用していけば産業の発展に結び付けることができるのかは, CiRA知財グループにとって直近かつ最大の課題である。iPS細胞を利用した創薬開発や再生医療の実用化を誰よりも願う山中教授の声を直接聞きながら,自分が置かれた立場を忘れることなく,今後も知財の維持,活用に精進していきたいと考えている。

:特許審査ハイウェイ制度とは,最初に出願した国(自国)の特許庁で特許取得可能と判断された出願の審査結果を利用することにより,他国で同一内容の権利を得るまでの手続き・審査を簡易化し,早期権利化を促すとともに,各特許庁の審査負担の軽減を図る制度。出願人のリクエストによって利用できる。現在日本は,米国,韓国,英国,ドイツ,欧州等,計15か国1地域との間で,特許審査ハイウェイ制度を導入している。


高須直子氏
1987年広大大学院生物圏科学研究科修士課程修了。その後,住友製薬(現大日本住友製薬)研究所および知的財産部での勤務を経て,2008年より現職。現在は知的財産関連の業務のほか,研究提携や再生医療の推進業務にも従事している。

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