医学界新聞

寄稿

2012.11.12

私と医学界新聞


 『週刊医学界新聞』の3000号発刊を記念した特別企画「私と医学界新聞」。弊紙と深いかかわりのある方々にこれまでの思い出を振り返っていただきました。


医療は進歩している

武藤 徹一郎(がん研有明病院名誉院長)


 本稿依頼と共に届いた過去の医学界新聞の筆者の登場記事を見て,医療の進歩に思いをはせた。

 第1544,1545号(1983年4月11,18日発行)のIBD(炎症性腸疾患)の大家である病理学者のRobert Riddell氏との松枝啓氏を交えての鼎談「炎症性腸疾患をめぐって」(下写真)は,約30年前の日本のIBDの状況を想い出させてくれた。日本のIBD研究は1973年にスタートした厚生省(当時)の難治性炎症性腸管障害調査研究に始まる。それ以前はIBDのまとまった臨床経験は少なく,特にクローン病がどんな疾患かを知っている医師は皆無という状況であった。鼎談が行われたのは調査研究がスタートしてちょうど10年後のことで,IBDの知識は急速に広まり,専門家と呼ばれるに相応しい医師が登場し始めていた。鼎談の中でもIBDの問題点のポイントは外れておらず,今でも一読に値する内容を含んでいる。IBDにおける調査研究の役割は大きかった。かつて稀であったIBDが今や普通の病気となり,消化器専門医のいる一般病院で適正に治療されるようになったのは,研究班の活動のたまものと言ってよいと思う。研究班は現在も存続しており,先日久しぶりに研究会に参加して内容の充実と目覚ましい世代交代に驚いた。しかし,治療法はほぼ確立しているものの,成因が依然として不明なため,再発リスクのある人々が年々蓄積されていく現状を,どう打開するかという大問題が残されている。

 第2101号(1994年7月18日発行)には筆者の東大病院長としての抱負記事「東大附属病院新外来診療棟開院にあたって」が掲載された。そこでは,臓器別診療体制,チーム医療,完全予約制,院内ボランティア,アメニティ向上,アートインホスピタルなどの構想が熱く語られている。今ではこれらのシステムは当たり前になっているが,20年前にはまだ新しい構想だったようだ。いろいろと問題はあるが,日本の医療もこの30年,それなりに進歩していると思う。今後も,より多くの医療機関がより高質な医療をめざして発展することを期待したい。

鼎談「炎症性腸疾患をめぐって」より。左から,武藤,Riddell,松枝の各氏。


この良き医師臨床研修制度を逆行させてはならない――「見直し」を見直す必要がある

岩崎 榮(NPO法人卒後臨床研修評価機構専務理事)


 『週刊医学界新聞』は,医師臨床研修制度について多くの紙面を割いて,解説してきました。

 現行の医師臨床研修制度は,「診療に従事しようとする医師は,2年以上臨床研修を受けなければならない」として,30数年もの長きにわたる検討の結果,2000年の医師法等の一部改正で必修化され,画期的なスーパーローテートの研修制度として2004年4月に施行されたものです。

 その理念は人格を涵養し,将来の専門分野にかかわらず行う基本的研修や普段からよく見られる病気を診ることができる基本的臨床能力を身につけるというものです。この制度の発足に当たり,指導医の資格要件を「7年以上の臨床経験を有し指導医講習会を修了した医師」としました。この要件を定めたことですべての指導医が教育マインドを持ったことは間違いなく,臨床研修への理解と充実に貢献したといえます。これは制度導入の最大のメリットであると評価できます。できれば,資格要件を3年以上にすることで,より効果的なものとなるでしょう。

 一方で,臨床研修制度は医師不足を助長したとか,甚だしきは医療の質を低下させたなどと,いわれなき中傷を受けたことで,2010年4月に制度の緊急見直しが行われました。これは,研修プログラムの弾力化でストレート方式への逆行をもたらし,年間入院患者数が3000人に満たない病院の指定取り消しが規定され,都道府県別の研修医募集定員の上限設定をするなどで研修医の大学病院へのシフトを促すとして期待した向きがあります。しかし本来的には,研修医の定数は病床数ではなく,研修医一人が経験できる患者数や指導体制が十分か,適切な指導医が十分な時間指導に当たることができるか,などで決められるはずのものです。この見直しは2011年,12年の経緯を見る限りことごとく失敗に帰したといわざるを得ません。このような研修制度のみの拙速な見直しは,逆効果をもたらしかねません。

 大学医学部(医科大学)は,教育改革を一層のスピード感をもって進め,リベラルアーツ教育の充実,教育カリキュラムの根本的見直し,教育・教員の質の改善に努めなければなりません。医師国家試験の内容を見直すことも必要でしょう。


日本の理学療法学の発展に寄与

奈良 勲(金城大学学長/広島大学名誉教授)


 このたび,医学書院発行の『週刊医学界新聞』が通巻3000号を迎えたことをお祝い申し上げます。医学界新聞はPR紙でありながら,記事のバランスを適切に保ち,医学界の情報メディアとしての役目を果たしてきたことに敬意を表します。

 私も医学界新聞の紙面に座談会と鼎談記事を数回掲載していただいたことがあります。そもそも,医学書院と私自身とのかかわりは,私が1973年から『理学療法と作業療法』誌の編集委員を務め,1989年に雑誌名が『理学療法ジャーナル』と変わった後も長年にわたり,その編集委員を務めたことでした。特に前者のジャーナルは,日本理学療法士協会と日本作業療法士協会が創立された時には,両協会の財源も乏しく,自前の機関誌が発行されるまでは,その役割を代行した出版物でもありました。

 また,ジャーナルとは別に,『標準理学療法学 専門分野』と『標準理学療法学・作業療法学 専門基礎分野』のシリーズ監修をはじめ,『理学療法学事典』を含む著書,監訳書など多くの出版物に関与する機会を提供していただいたことに感謝しています。

 理学療法の草創期には,日本の理学療法士による文献は皆無でした。当初は,リハビリテーション医療に関与されていた一部の医師によって執筆された書籍と訳本が当時の主な情報源でした。しかし,理学療法学教育が大学・大学院で実現するとともに,研究水準も国際的なレベルまで達したことで,理学療法士自身による論文や書籍出版も飛躍的に進展してきました。

 日本で理学療法士が誕生してまもなく50年になります。この半世紀の歴史の中で,理学療法士自身の努力が進歩の基盤になっているとはいえ,関連専門職をはじめ,医学系出版社の協力があったことは否定できません。今後も医学・医療を多面的にとらえて,貴社が躍進されることを心より祈念しています。


青いリンゴとまむしの世界

矢谷 令子(社会医学技術学院理事長)


 赤門前の通りを隔てて建つ小柄な建物に入るとすぐ右側に階段があって,上った2階に医学書院旧社屋の編集室がありました。1967年の春ごろと覚えております。その日私はキャラバン靴で三国峠から汗まみれのまま,ある編集会議に参加してしまい,今では到底考えられない初めての医学書院との出会いとなりました。『週刊医学界新聞』とのご縁もこの日の延長線上にあり,感謝しております。

 通常,タブロイド版,8面に盛られて届く医学界の情報は,居ながらにして日本列島,加えて国外までもの医学界の情報をしかも週一で掌握させてくれるという優れものです。何と贅沢なありがたい紙面でしょうか。

 医学界新聞入手当初のころを思い出すと,紙面下段に「まむしのたわごと」という小さなコーナーがあり,気になっていました。"まむし"とはどなたなのか,編集長さん? 実は当時の社長,金原一郎氏であったと教えていただきました。"たわごと"と称して,実は意中の大事を語る大人の世界なのだと,青いリンゴの私には忘れられない社会勉強の一つとなりました。

 そして興味深く読んでいる記事に,李啓充先生の連載「続・アメリカ医療の光と影」があります。医療の本質の優先を阻む現実,DRG/PPSの導入は信じがたいものでしたが,訪米の機会にその事実を確認し,李先生の著書も勉強しました。違った形で同じ現実を今の日本の医療福祉の現状に見ます。医療が医療の本質を国民に届けられる日を,それでも信じたいと願っております。

 今年の新春特集「日本発!! ブレイン・マシン・インターフェース新時代」(第2959号,2012年1月2日発行)は圧巻です。私はロボが大好きです。上海交通大学との交流も東大の精密工学,東京電機大学の先生方からのご指導も思い出されます。対象者の皆さん方に喜んでいただけるために,第一線の先生方に心からのエールをお送り申し上げます。

 医学教育,臨床教育,各学会報告,対談,新刊書紹介,書評,みーんなありがとうございます。


言語聴覚障害学のスタンドポイント

藤田 郁代(国際医療福祉大学大学院医療福祉学研究科教授・言語聴覚分野)


 『週刊医学界新聞』3000号刊行,おめでとうございます。本紙の発刊は戦後復興期の1955年にさかのぼり,半世紀以上にわたって医学医療分野における最前線の多様な情報を読者に提供されてきたことに対し深く敬意を表します。おそらく本紙の見出しを年代順に並べるとわが国の医学医療の発展と変遷の歴史が一目瞭然になるものと思います。

 言語聴覚士が本紙に登場するようになったのは,97年に国家資格として制度化され,2000年に日本言語聴覚士協会が設立された以降になると思います。協会設立時は言語聴覚士が全国に約4000人しかおらず,言語聴覚障害がある方に言語聴覚士の専門的サービスが届かない深刻な状況がありました。同協会の初代会長となった私は早速,言語聴覚療法を提供する基盤の整備を求める活動に着手しましたが,幸いなことに同年はリハビリテーションに大きな展開をもたらした介護保険と回復期リハビリテーション病棟が開始となった年であり,これらが追い風となって言語聴覚療法を提供する体制は徐々に整備されていきました。それから12年が経過した今,言語聴覚士数は2万人となり,養成校も2001年の41校から67校へと増えてきました。一方,この間の医療福祉を取り巻く環境の変化は激しく,言語聴覚療法を提供する場は医療から介護福祉へ,施設から地域へと広がり,本分野の課題も量的充足から医療と福祉における専門的サービスの質の充実に移ってきました。また言語聴覚障害学および近接領域の学問の進歩は目覚ましく,専門的知識・技術の高度化と細分化がさらに進んでいます。これらの経過は本紙でも紹介していただきました。

 現在,医療福祉の現場では高度な専門的知識・技術を備えるにとどまらず,QOLに視点を置いて総合的観点から関連職種と協働できる人材が求められています。今後も変化し続けていくであろう医療福祉の現場で激しい流れを柔軟に受け止め,専門性と総合性のせめぎ合いの中で未来の言語聴覚障害学のグランドデザインを描き出すことができる人材を育成したいと思っています。

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